コタロウとママのつれづれ日記

パピヨンコタロウとママの日々のあれこれ
そしてコタロウが命いっぱい生きた記録です。

私が涙を流す時

2015-07-30 | 日記
人はどんな時に涙を流すのだろう。

悲しい時。
くやしい時。
幸せすぎて。
笑いすぎて(私よくある、これ)
最近は動物の話にめっぽう弱くなって
動物のテレビ番組ではよくホロッと泣いたりする。

でも、普段の生活では
本当に泣かなくなった。
ま、泣いてばかりいる大人というのもどうかと思うが
泣くということに限らず
「感情」そのものが表に出なくなっている。
それが大人というものかもしれないけど。

気がつくと、普段の私は笑わない、怒らない、
もちろん泣かない。
頭の中ではいろいろ思っているけど表情に出すことはない。
いつからそうなったのかしら。

何でも自分で考えて決めてやるようになってからか。
泣いたりうろたえたりしている暇があったら、
考えて、自分で動いていかなくてはいけない。
そんな自分になってからか。


今日は、仕事で嫌なことがあった。
私の人生の長い時間の中では
本当にちょっとした
たいしたことのないようなことだけど。

でも、ある意味それは、何年にもわたって
私自身を貶められてきたといってもいいことだった。
納得のいかないことでもあったけど
私にはどうにもできないことだった。
私はニッコリとそれを受け入れた。今年も。

もっと食い下がっても、憤慨してもよかったのか・・・?
悲しくて、くやしいという気持ちも芽生えたけど
帰りの電車でも、帰宅してからも
私は淡々としていた。

帰宅してコタロウに会うと
どうしたって笑顔になる。
ひとしきり、おやつ探しっこゲームで盛り上がる

でも心の片隅に今日のことがあって、もやもやして
ワーッと泣いたらすっきりするかもしれないのに、
私ッたら、感情のない人間になってしまったのかしら。
これは自分が壊れないための防衛本能というものなのかしら。
などと考えながらパソコンを立ち上げると 

下のニュースが目に飛び込んできた。


「殺処分直前に抱き合う2匹の犬」

はっと息をのむ。

この2匹のワンちゃんは死んでしまったのかしら。
重い気持ちで記事を読むと・・・

最後まで読み進めた私は自分でも驚くほど
ワァワァと泣いてしまった。

そして、
くやしくて泣くよりも

あぁよかったとホッとして
幸せな気持ちで涙を流せることに感謝した。
そんな自分の方がいい。
私の感情は、死んではいない


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コメント (2)
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