録画していた番組を観たら、希望とモヤモヤと暗澹の気持ちでごちゃごちゃになった。
医療の未来予想図というのが出てきて、
2025年には認知症の早期発見が可能になり、
2030年には3Dプリンターで臓器のオーダーメイドが可能になる。
2035年にはガンの大半が治癒可能になり、
2050年には体の大半を機械化したサイボーグ生活が始まる。
・・・のだそうだ。どう思いますか?
個人的には、認知症になるのは怖いなって気持ちがあるので
頭の中がクリアな状態を保って一生を全うできるのはありがたい。
でも、それ以外はモヤモヤと暗澹。
こんな未来になったなら、人の命はいったいどこまで続くのだろう。
臓器を取り替え、ガンも治り、その先、サイボーグになったら
死ぬってことはどうにもこうにも遠くなる。
全てが可能になったなら、いったいどこまで生きたいですか?
人間にとってたった一つ、絶対的に平等なことは「死」だ。
全員に一度与えられる。
医療の未来の実現は、そこに踏み込むことにもなるのでは・・・(心配)
でも、私がこんなふうに思うのは、
自分がもう人生半ばまでは生き永らえたからであり、
今現在、大病をしているわけでもないからなのだろう。
まだ若かったり、難病に向き合っていたら
これらの医療の未来は「希望」なのだろうだと思う。
医療の未来が実現していくとしたら
3Dプリンター臓器移植や、サイボーグの人と一緒に生きる、
混沌の世界を見ることができるかもしれない。
そんな、大きな変化の狭間に私たちは生きている。
私が好きな作家、曾根綾子さんの本から・・・。
人間の心身は段階的に死ぬ。
だから人の死は突然襲うものではなく、50代くらいから徐々に始まる
おだやかな変化の過程の結果だ。
客観的な体力の衰え、機能減少に、自然に、もうこれ以上生きている方が辛い、
生きていなくてもいい、もう充分生きた、と思うことは、
肉体の衰えによって得る神の贈り物だ。
人間がいかに生き、いかに死ぬべきか、ということには選べない部分もある。
もし最期まで、他者に対する思いやりと感謝を続けられる病人であり死者であれたら
こんなにすばらしいことはない。俗世でどんな出世を遂げるよりも成功者である。
老い先短い、というのは
もう長く苦労しなくて済む、もう長く貯金して備えなければならないと思わなくて済む、
もう長く痛みに耐えなくて済む、晩年はいいことづくめだということだ。
人生に風が吹き渡るように身軽になり、人の世の枷が外れて次第に光もさす。
全てのものごとに終わりがあることに感謝。
多くの人間が体験したことのない恐怖は「終わらないこと」だ。
終わりを祝福するという思いがもっとあってもいい。
私は、命の時間が相当あると、ダラけて無為に過ごしてしまうから、
・・・って今もダラダラしてるけど・・・
年を取ることも、身体があちこちガタガタしてくることも、
ジタバタしながらも「仕方ないなぁ、もう」と受け入れていくような
生き方がいいなと思ったりする。
でも、同年代のお友達がサイボーグになったりしたら・・・焦るのかな
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