本日、最高のお天気の中、
富士山マラソン、無事、完走することができました!
今回、何とも体調が悪く、身体が重く、
30キロを過ぎてからは、
気持ちは走っているのに身体は歩いているのか・・・
という状態で、
いつになく、
「ここでやめたらラクになるだろうな」
という声が聞こえて来ました。
もちろん、
心は「いやいや、やめるもんか!」と叫びもしているわけで、
そちらに従うから、結局、完走するわけです。
「しんどいなあ」と思う時、考えたのは、
「やめることはいつでもできる」
ということでした。
やめることは、ほんとに、今この瞬間、
できることです。
でもやめるという選択をすると、そこでほんとに終わりです。
それしか、結果がないわけです。
でも、やめない選択をすると、
その先には、「完走する」という結果もあるし、
「やめる」という結果もある。
「時間切れでバスに回収される」という結果もある。
この先、まだ色々ある可能性を
ここで、「めんどう」「つらい」「やめたい」という
一時の思いで
自分でつぶしてしまいたくはない。
それに本当にもう無理なら、
できる限りのことを尽くして無理なら、
それはそれで、自分で自ずとその選択を、
納得して受け容れられると思うけれど、
そうじゃなければ、ずっと後味が悪いだろうな、
と思うのです。
まあ、そんなわけで、
今回は「余力」というものは、ほぼ皆無の状態でゴールしました。
毎年、このレースのあとには私自身の誕生日が来ます。
そんなこともあり、このレースは、
自分の老化を測る、一つのバロメータのようにも、
思っているのですが、
今年も完走できたことで、
なんとかある一定線を保つことができたかなと感じます。
それはそれで、嬉しいのですが、
今回は、初フルチャレンジの仲間が無事に完走を果たせたり、
また、私と同時期にマラソンを始めたのだけれど、
これまでどうしてもフルを完走できなかった仲間が、
制限時間ギリギリに、ゴールすることができたことが
何より、嬉しいことでした。
フルマラソン完走は、彼女の、
そして私や仲間の、
悲願でもありました。
今日は、わざわざ熊本から来てくれた仲間が、
彼女とずっと一緒に走ってくれました。
ゴールして泣き崩れる彼女を前に、
私も声を上げて泣いてしまいました。
ほかのチームメイトも泣きました。
そしてまた、途中リタイヤした仲間は
悔し涙を流すのです。
(男性は、涙は見せませんが・・・)
大の大人が、こんなふうに、素直に泣けるって
いいなあ、と思います。
そんな貴重な場と仲間に、
そしてこうしてこの場に送り出してくれる家族に、
いろんな意味で、そうやって走りに行ける状況に、
走ることができる自分の身体に……
心から感謝です。
「走れることに、ありがとう」
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おめでとうございます。
すごいなぁ。
身体が重いなって思う日だったのに、ちゃんと走り始めて最後まで……。
それってすごいことです~。
お疲れさまでした。
お友達の方も完走されて、良かったですね。
ほかの大会には申し込まなくても、富士山マラソンだけは行こうと思っています。仲間と一緒、というのがキーポイント。
一人ではできそうになくても、仲間と一緒だとできるんです。不思議ですよね。