父が10日ほど前から入院しています。
直接的には「肺炎」という理由ですが、
いかにせよ、87歳という高齢なので、
何があってもおかしくありません。
昨夜は、「担当のお医者さまから家族への説明」というのを
聞いてきました。
現状と、入院時からの変化。
病状が上向いた場合、どうなったら退院できるか。
病状がこのまま、もしくは下向きとなった場合、
どういう選択肢があるか。
家族はどの選択肢を選ぶか?
という内容でした。
母は、尊厳死というものを考え、
10年以上前からそうした会にも所属し、
自分の最期は自分で決めていますが、
父は、母が水を向けても、その話自体をいやがり、
その時々で答えが変わるようで、
父の意思はこれまでのところ確認できていません。
結局は、母の決断に任せようと思いますが……
こういう状況が現実的になり、
「いかに死ぬか」を見つめる時間ができてくると、
それとともに、「いかに生きるか」をいやでも考えます。
親や、先の世代の人たちの死に様=生き様が、
次の世代に生き様を考えさせることになるんだなあ、と思います。
そんな中、
昨日、母がお医者様に質問をしたときのお医者様の答えに
なるほどなあ、と思うことがありました。
母は、入院する少し前から父が食事を摂らなくなっていたことについて、
その原因が「肺炎」なのか、そうでないのかを知りたかったようです。
すると、お医者は、こう答えました。
「人は動物です。動物というのは『動く物』です。
だから、動かなくなると、いろいろ支障が出てきます。
寝てばかりいたら、食欲もなくなるのは当然。
それに、食べなくならなかったら、人間はいつまででも生きてます。
人間は死ぬものなんだから、いつかは食べなくなります」
ざっと、こんな趣旨でした。
それを聞いて、
「そうか、動物って、動くことが前提なんだ~」
というところに、感心した私でした。
座って、パソコンに向かってばかりだったり、
っていうのは、やはり動物として不自然なんだ、
最期まで健康的に動物として機能するには、
身体を動かすことってとても大切なんだ!
と、思ったのでありました。
ま、父は退職してからの四半世紀あまり、
ほっとんど座って過ごしましたけれどね……。
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