今日は、上野で行われるセミナーに出かけたので、
これはチャンス と思い、
上野の西洋美術館で6月の2日まで行われている
「ラファエロ展」に行ってきました。
セミナーの前に行くつもりが、
行ってみると長蛇の列。
入場までに30分かかると聞き、予定変更。
ちょうど、開館時間が延長になっていたので、
行動の順番を入れ替えることにしました。
セミナーの前には、上野の森の樹の気を浴びながら、
まとめたいものを考えることに。
そして、セミナーのあとに、
再び西洋美術館へ。
入場制限は続いていたものの、
夕方には比較的スムーズに、
作品を見ていくことができました。
今回の展示は、ラファエロを中心として、
彼に影響を与えた人たちの作品、
そして彼から影響を与えられた人たちの作品を
流れの中で見ていけるような構成となっていました。
こうしたことは、
彼らが生きた時代が終わってしまっているからこそ
できることでもありますね。
そしてその「流れ」は、実によくわかりました。
ラファエロが父から受け継いだもの、
弟子たちに受け継いだもの・・・
そうしたものは、確かに作品を見ると現れているなあ、
と思いました。
それはまさに、人の親子の似方と同じ、
そう思います。
そして、彼の前にも後にも、優れた画家はいたけれど、
その中にあって、ラファエロがいかに天才的であったか、
ということも、よくわかりました。
私は、絵画のことはよくわからないのですが、
なんだろう、
あらゆる意味で、ダントツに「バランスが取れている」
ゆえに(?)そこに命が宿っていると感じました。
その「バランス」は、
ラファエロとともに、
ルネサンス最盛期の三大巨匠と並び称された
レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロにも
共通するもののように思います。
彼らの間で、互いに影響し合っていたということも、
大きな意味を持つのでしょう。
別に、バランスが傑作の要因のすべてとは思いませんが・・・
ちなみに、今回のメインとも言える
『聖母子像』ですが、
描かれた当初、その背景は
外の見える窓のある室内、だったそうです。
それを、ラファエロの死後、おそらく17世紀頃に、
真っ黒に塗った、という経緯があるそうです。
理由は定かではないようですが、
17世紀頃、聖母子像のバックを黒くすることが
はやっていたという事実もあるとか。
傷みを修復する際に、「いまふう」にチェンジした
っていうことなんでしょうか
絵画のこうした変遷がわかるのは、
エックス線解析などができる現代ならではですね。
そんなことも知ると、
一つの作品を見るのに、さらに奥行きが出て
楽しめる気がします。
それにしても、
目の前にあるものが、
今から500年以上もの時を経ている、
というのは、何とも不思議な感覚です。
そのモノには、500年以上にわたる
さまざまなエネルギーが含まれているんだろうな、
そう思います。
・・・というわけで、
これまでなら、行く時間が取れない、
無理しないでおこう、
そんなふうに思って後回しにしたり
諦めてしまうことの多かった
自分の心の栄養となる時間を、
今日も、「あえて」取ってみました。
そうすると、なんとなく
心が水を含んでやわらかくなるような感覚を持ちます。
また、やりたいことを選んで実行した、という事実が、
自分で自分の人生をコントロールしている感覚に
つながります。
樹の気を浴びながらまとめたことも、
短時間ながら効果的にできたし、
今日は満足。
やはり、自分を後回しにしてはいけないですね。
自分がやりたいと思うことや、やろうと思ったことがある時、
それは、実は自分と約束するようなものかもしれません。
そして、それをやらない、ということは、
自分との約束を破ること。
約束を破る人のことは、
信用しなくなります。
それはたぶん、自分でも同じ。
自分で自分を信用しなくなるから、
自信がなくなっていくのです。
自分で決めたことを自分で実行できると、
自分で自分を信用し、
自信を積み上げていくのです。
だから、自分で決めたこと、
やりたいと思ったことをやることは、
とても気持ちがいいのだろうと思います。
(西洋美術館の『地獄の門』ロダン作)