昨日は、ドリームマップというものの普及に力を入れている
秋田稲美さんという方のお話を伺ってきました。
彼女が、ドリームマップの話をすることが主な目的で
この夏、85日かけて、
ドイツを中心としたヨーロッパを訪問してきた時のお話を
お聞きしました。
ご自身やお子さんが海外生活経験者という方や、
文科省で現在、教育改革の委員をされていらっしゃる方、
先生などなど、
さまざまな方がいらしていて、
刺激的なお話を沢山伺うことができました。
いくつもご紹介したいことがあるのですが、
私の中で、最も印象に残ったことは、
ドイツと日本の教育の違いを端的に表したエピソードです。
秋田さんが、10名程度の日本人の方々に
『Switch』という映画をお見せして、
感想を聞いていた時のこと。
ほとんどの日本人は、
「元気をもらいました」
「遺伝子の可能性を感じました」
といった、肯定的な感想一色だったのだそうです。
すると、そこにいたドイツの大学生が最後に
「ちょっと、ネガティブな感想を言ってもいいですか?」
と前置きして、
「遺伝子の97%が使われていないのは、
それが使われるべきではないからではないかと思います」
ということを述べたそうです。
その感想にも、「なるほど~」と思ったのですが、
そのことに対して、ドイツの教育をよく知る人が
あとから秋田さんに伝えたということに
さらに感銘を受けました。
それは、ドイツでは、
「全員がYesと言ったら、Noの理由を考えろ」
という教育を、徹底して行っている、
ということだったのです。
こうしたドイツの教育は、
かつて第二次世界大戦の頃にヒットラーのナチズムを生み出した
自国の歴史への痛烈な反省からきているものです。
戦争教育に関しては
「忘却に抵抗するドイツ」と言われるそうです。
秋田さんは「ドイツの覚悟」という言葉をおっしゃっていましたが、
まさに「覚悟」なのだと思います。
(「覚悟」については、かつてこんなことも書きました→ カクゴ )
そして片や日本は、というと、
「なかったことにする日本」……
私は、一人の人間でも、
自身の「いま」
(つまりそれは、それまでの過去のすべてを受けての今)
をありのままに認めることができなければ、
次に向かうことはできないと思っています。
それは、きっと国でも同じ。
「いい」「悪い」ということの前に、
事実をありのままに受け止める。
そこがなくては、次にどうするのか、決められない。
日本がこうして未来のビジョンを描きにくい状況にある背景には、
そうした教育の違いがあるのかも・・・
と思った次第でした。
ちなみに、
日本とドイツとでは、教育によってつくろうとしている人間の
完成形が違う、というお話もありました。
このフレーズもとても心に残っているのですが、
これについては、また次回に。