3年間、癌と戦ってきた義父が逝った ---------
常に前向きに、そして冷静に病と向き合ってきた。
・ 最近の癌治療がほとんど通院で行なわれるということ、
・ 入院はよほど体調が悪くならない限りさせてもらえないということ、
・ 抗がん剤はそれぞれの発症部位で効くモノが決まっているということ、
・ 同じ抗がん剤は二度と使えないということ、
・ 転移ガンの場合、転移部位ではなく最初に発症した部位の抗がん剤でないと
効果がないということ。
義父の闘病で、現在の癌治療がどんなものなのか、その問題点も含め
いろいろなことを知った。
(入院に関しては、小泉さんの医療費削減政策のせいで保険点数が改正され、
長期入院を受け入れると病院経営がなりたたなくなったらしい。
これは老人医療も同様。まるで患者を切り捨てるかのような心無い政策!
おかげで地方では、患者が病の体を押して遠い病院まで通院するという事態が・・・)
幸い義父は癌の痛みも治療の副作用も少なかったため、良いと思われる治療法
があれば積極的に出向き治療を受けた。
が、最終的にはそれが災いしたか(?)非常に珍しいことらしいが
抗がん剤によって骨髄が侵され急性骨髄性白血病となったことが致命となる。
Dr.から「あとは週単位で考えておいて下さい・・・」
そう言われたにもかかわらず、1ヶ月以上先のおばあちゃん(義父の母親)の
13回忌まで義父は頑張った。
集まった義父の兄弟達と一緒に車いすでお寺にまで同行した。
義父は最後まで義父らしく、自分らしさを通した。
葬儀は皆をわずらわせないよう、最低限の人数で行うこと、
宗教色を取り除いたものにすること。
読経の代わりに好きなクラシック音楽をかけ、
弔辞の代わりに自分からのお別れの言葉を述べてもらい、
お焼香の代わりに献花をする。
なので病室では、葬儀でかける音楽をセレクトしたり、
挨拶文の文章を考えたりと、義父は最後まで忙しかった。
「最後位、俺は我がままを通すぞ!」
お義父さんは言っていたけれど、それは、後に残るものが困らないように
すべてを決めて逝ったお義父さんの優しさだったような気がする。
祭壇には、義父が作った帆船の模型が飾られた。
義父は経済的な理由で地元の大学に進んだが、本当は船乗りになりたかったそうだ。
なので、遺骨の半分は海へ散骨される。
残りの半分はどこか風の流れる樹木の下に(いずれはお義母さんと)眠りたいそうだ。
お義父さん・・・きっと犬はあまり好きではなかったですよね?
帰省時、いつも騒々しくして申し訳なかったです。
でも、犬達は父と同じニオイのする宇部のオジーチャンのこと、
好きだったような気がします。
(見ててそんな感じがしました。)
葬儀が終わった夜、小春が誰もいない方を向いて唸った。
「お父さん、来てるのかな?」
そんな言葉に義妹が
「お父さんさー、小春の名前ちゃんと覚えなかったから
小春に唸られんだよ(笑)」
そんな冗談で返した。
葬儀の終わった夜だというのに、こんなにもおだやかな空気の中で
過ごせたのは、お義父さんがちゃんと「死」と向き合い、
皆でこの日の準備してきたせいの気がする。
おかげで、心の準備が少しづつ出来たような・・・
お義父さん、これもきっとお義父さんの優しさですよね?
お義父さん、お疲れ様・・・・
ゆっくり休んで下さいネ
お義母さんが寂しくないよう、見守ってあげて下さいね。
常に前向きに、そして冷静に病と向き合ってきた。
・ 最近の癌治療がほとんど通院で行なわれるということ、
・ 入院はよほど体調が悪くならない限りさせてもらえないということ、
・ 抗がん剤はそれぞれの発症部位で効くモノが決まっているということ、
・ 同じ抗がん剤は二度と使えないということ、
・ 転移ガンの場合、転移部位ではなく最初に発症した部位の抗がん剤でないと
効果がないということ。
義父の闘病で、現在の癌治療がどんなものなのか、その問題点も含め
いろいろなことを知った。
(入院に関しては、小泉さんの医療費削減政策のせいで保険点数が改正され、
長期入院を受け入れると病院経営がなりたたなくなったらしい。
これは老人医療も同様。まるで患者を切り捨てるかのような心無い政策!
おかげで地方では、患者が病の体を押して遠い病院まで通院するという事態が・・・)
幸い義父は癌の痛みも治療の副作用も少なかったため、良いと思われる治療法
があれば積極的に出向き治療を受けた。
が、最終的にはそれが災いしたか(?)非常に珍しいことらしいが
抗がん剤によって骨髄が侵され急性骨髄性白血病となったことが致命となる。
Dr.から「あとは週単位で考えておいて下さい・・・」
そう言われたにもかかわらず、1ヶ月以上先のおばあちゃん(義父の母親)の
13回忌まで義父は頑張った。
集まった義父の兄弟達と一緒に車いすでお寺にまで同行した。
義父は最後まで義父らしく、自分らしさを通した。
葬儀は皆をわずらわせないよう、最低限の人数で行うこと、
宗教色を取り除いたものにすること。
読経の代わりに好きなクラシック音楽をかけ、
弔辞の代わりに自分からのお別れの言葉を述べてもらい、
お焼香の代わりに献花をする。
なので病室では、葬儀でかける音楽をセレクトしたり、
挨拶文の文章を考えたりと、義父は最後まで忙しかった。
「最後位、俺は我がままを通すぞ!」
お義父さんは言っていたけれど、それは、後に残るものが困らないように
すべてを決めて逝ったお義父さんの優しさだったような気がする。
祭壇には、義父が作った帆船の模型が飾られた。
義父は経済的な理由で地元の大学に進んだが、本当は船乗りになりたかったそうだ。
なので、遺骨の半分は海へ散骨される。
残りの半分はどこか風の流れる樹木の下に(いずれはお義母さんと)眠りたいそうだ。
お義父さん・・・きっと犬はあまり好きではなかったですよね?
帰省時、いつも騒々しくして申し訳なかったです。
でも、犬達は父と同じニオイのする宇部のオジーチャンのこと、
好きだったような気がします。
(見ててそんな感じがしました。)
葬儀が終わった夜、小春が誰もいない方を向いて唸った。
「お父さん、来てるのかな?」
そんな言葉に義妹が
「お父さんさー、小春の名前ちゃんと覚えなかったから
小春に唸られんだよ(笑)」
そんな冗談で返した。
葬儀の終わった夜だというのに、こんなにもおだやかな空気の中で
過ごせたのは、お義父さんがちゃんと「死」と向き合い、
皆でこの日の準備してきたせいの気がする。
おかげで、心の準備が少しづつ出来たような・・・
お義父さん、これもきっとお義父さんの優しさですよね?
お義父さん、お疲れ様・・・・
ゆっくり休んで下さいネ
お義母さんが寂しくないよう、見守ってあげて下さいね。
わざわざコメントをありがとう!
おかげさまで私のブログ仲間は、皆、常識もあり心優しき方ばかりなのです。
私もいろいろ励まされることが多く感謝してます。
不器用な義姉の手料理を食べさせて申し訳なかったね。
不器用ゆえ私が役に立ったかどうかは??だけど、お義父さんの生き様は
しっかり見せてもらいました。
お義父さん、ちゃんと「ありがとう」に変わる言葉を言ってくださってたみたい。
そちらから帰る時、夫に私を見て「頼むぞ」と言ったそうですよ。
今思えばそれがそうなんじゃないか、って。
季節は寒くなりますが、お義母さん、兄弟達の気持ちが落ち着いて
穏やかにお義父さんを思い出せるようになりますように・・・
コメントで色々な方が父への温かい思いやりの言葉を下さっているのを読み、さらに癒されました。
兄が長男だという事や、子供達の中では一番近くに住んでいる事もあり、ご負担いただく事も多く、心労と疲労を掛けてしまいました。
お義姉さんの、苦しい時に家族を思いやる気持ちに支えてもらった事、母も私もとても感謝しています。
父が昔気質の人間のせいで、もしも「ありがとう」と言葉にし損ねていたら、きっと残念に思っていると思います。
助けてもらうばかりでしたが、寒くもなってきましたし、まずはお身体ご自愛くださいますよう、感謝を込めて母と願っております。(健康第一です!)
お心のこもったお悔やみのお言葉を頂戴し、ありがとうございます。
私にまでお気遣いいただき、感謝するばかりです。
私個人は後方支援に徹しましたので、本当に疲れたのはずっと病院で付き添っていた
義母や義妹かと思います。
そちらもお母様の入院生活のサポート大変そうですね。
我が家も老人施設に入所している父がおりますので、ご苦労お察し致します。
お互い無理のないようやっていきましょう。
○ダンボ耳ジャックさんへ
お心のこもったお悔やみのお言葉を頂戴し、ありがとうございます。
ハイ、お父様の訃報をお聞きしてまだ間もないですが、我が家の義父も
逝ってしまいました。
お父様は苦しまれたのですね。お父様の苦しみはもちろん、それを看なくては
ならなかったご家族のご心痛を考えると胸が痛みます。
おっしゃるように、きっと今、お父様はやすらかにお休みになられてますよ。
ご家族の皆様の悲しみと疲れが一日も早く癒されることを願ってやみません。
お父様もジャックの名前、呼んでなかったのですね。
もしかしたら向こうで会って「あのJKCという犬は・・」な~んて
犬にうつつを抜かす我が子達のことを愚痴りながら話してるかもしれません。
仏壇に座ってたジャック・・・
小春同様、ジャックもお父様のことが好きだったのですね。
大事な柱を亡くされて少し時間がかかるかもしれませんが、ダンボ耳ジャックさんも
のんびり、ゆっくり、お心を癒していって下さいね。
○ジョヴィパパさんへ
お心のこもったお悔やみのお言葉を頂戴し、ありがとうございます。
ハイ、最後の生き様は、我が義父ながら立派だったと思います。
でも、ここだけの話、「これでいいんだよ」とは思ってなかったかも・・・
だって、お義父さん、逝くのが早過ぎて・・・
「葬儀で着たい」と言っていたスーツ、まだクリーニング中で間に合わなかったんです。
きっと小春の前に出てきたのは「こらッ!違うだろ!」と一言、
言いたかったんじゃないかなぁ~。
そんな話も笑いながら語った、最後の夜でした。
○すもも母さんへ
お心のこもったお悔やみのお言葉を頂戴し、ありがとうございます。
すもも母さんは若くしてお母様を亡くされたとのこと。
さぞやおつらかったことと思います。
皆様からのコメントを拝見し、改めて、早過ぎる別れも、苦しんでの別れも
それぞれに深い悲しみや後悔・心残りを残すものだと感じました。
その点、義父の場合、もちろん病に罹ったことは不幸ではありましたが
痛みも少なく充分な準備もできた別れだったこと、
改めて感謝しなくてはなりませんね。
○まっちゃんへ
お心のこもったお悔やみのお言葉を頂戴し、ありがとうございます。
まっちゃんもお若いうちにお母様を亡くされたのですね。
さぞやおつらかったことと思います。
医療の進歩は目覚ましいものがありますが、それでもまだこの癌という
病は克服できないもので。
外科手術は、今も完治率は高いものの後の生活にいろいろ制約が出るようです。
義父も手術か抗がん剤治療か悩んで、最終的に抗がん剤治療を選びました。
おかげさまで再発するまでの日々は普通どうりに暮らせました。
今となってはどっちが良かったのかはわかりませんが、都度自分達の
納得出来る判断を下していけたことは良かったと思うことにします。
○chimeさんへ
お久しぶりです!コメントをありがとう。
思えば、あなたは随分と若いうちにこの経験をしたのですよね?
改めて大変だったね、という言葉を送りたいと思います。
遅ればせながら、ようやく私も親を送るという経験をしました。
義父は東京暮らしが長かったので、やはり都会の人って感じで、
私も最後はこうありたいと思いました。
落ち着いたら、またお茶なんぞご一緒したいね。
○pecoさんへ
お心のこもったお悔やみのお言葉を頂戴し、ありがとうございます。
ハイ、一度は完治したんですけどね。ちょっと早かったかな・・・
でも3年間、少しづつ心の準備もできましたので、夫も大丈夫です。
義父が最後の準備を始めてしばらくして、TVで最近は同じような準備を
される方が多いことを知りました。
「終活」と言うんですってね。
改めて、子供のいない私達夫婦もその時には皆に迷惑をかけぬよう、
準備をしておかなくては、と思いました。
pecoさんちもご両親70代かな?どうか大事にしてあげて下さいね。
○じょん&姫ママさんへ
お心のこもったお悔やみのお言葉を頂戴し、ありがとうございます。
お義母様、頑張られたのですね。肝臓は大変な病気ですよね?
お義母様も、ママさんも、本当にお疲れ様でした。
それにしてもママさん、聞けば聞く程、いろいろなご経験をされているのですね?
どうかご自身のお体も充分お気をつけられますよう。
新しいランもできたことですし、一家の太陽が倒れたら大変ですよ!
とっても頑張り屋さんの気が致しますので、くれぐれもご無理のないようにね!!
うちも肝硬変と他の合併症などで余命4年と言われたにも関わらず治療を頑張り治療7年目に亡くなった主人の母を3年前看取りました。
覚悟はできていたはずなのに、やっぱり亡くなると寂しくって、悲しくってしかたありませんでした。
はは様もご主人様も、今は気を張って頑張っている時期かもしれませんがこれから疲れが出てくる頃です。
気温差も激しい季節でもありますので、体調など崩さないように気を付けてくださいね。
お心のこもったお悔やみのお言葉を頂戴し、ありがとうございます。
ずっと東京で暮らしていた義父は、やはり我々地方の人間から見ると
ひと味違っていたように思います。
お義父様は今、闘病中なのですね。
外科的手術、抗がん剤、放射線治療・・・何が一番ベストなのか?
なかなか判断が難しいところもありますが、お義父様にベストの治療法が
見つかり、是非とも克服なされることを心よりお祈りしております。
○sumireさんへ
お心のこもったお悔やみのお言葉を頂戴し、ありがとうございます。
sumireさんには途中いろいろお話聞かせていただき、ありがとうございました。
我々の年齢になると、皆、何かしら親の心配を抱えてるモノですね。
先日のそちらのお母様の記事も感慨深く読ませていただきました。
キャラメル情報、どうかご心配なさらず・・・
危篤の連絡が深夜だったので、間に合うためにはどちらにしても
連れて行かざるえなかったので。
親子は夜が明けてから、前々から調べてた夫の実家近くのペットショップに預けました。
ご心配いただき、本当にありがとうございました。
落ち着きましたら、また遊んで下さいませ。
○kurigeさんへ
お心のこもったお悔やみのお言葉を頂戴し、ありがとうございます。
kurigeさんのお父様も素敵な方でしたよねぇ~。
そうでしたか、お父様も癌でしたか・・・
お父様の記事のすぐ後、義父は白血病がわかり最終宣告をされました。
以後は、義父も延命治療はしないと決めました。
ただ、お父様と違い痛みがなかったので、体力がなくなるまでは、
思うように最後の準備ができたのが義父にとって幸せだったと思います。
さくらちゃん、仏壇に向かって吠えるのですね。
きっと小春も見えているような気がします。
そんなことも、家族にとっては亡き父を感じる小さな癒しになる気がします。
○炭谷のママさんへ
お心のこもったお悔やみのお言葉を頂戴し、ありがとうございます。
うぅ~~ん・・・お会いしたこともないのに何だか見抜かれちゃいましたねぇ~
そうなんです。不器用っつーか、なんだか頑張りすぎちゃうのですよね。
後からドドッと疲れが来るタイプです。
しかし、ママさんの人間観察力に驚き!
ママさんの暖かいお言葉に、それだけで救われた気がします。
でも多分、精神的にも体力的にも一番疲れているのは、病院で看病を続けてきた
義母と義妹(私は後方支援でしたから)
二人の悲しみと疲れが一日も早く癒されることを願うばかりです。
○ブラウニーとーちゃんへ
お心のこもったお悔やみのお言葉を頂戴し、ありがとうございます。
そうなんですよ、私もこうありたいと思うものの、いざ自分のその時に
かくも冷静にふるまえるか?というと・・・???でして。
我が義父ながら立派だったと思います。
でも最近は元気なうちから「最後の時はこうありたい」と考える方が
増えていると聞きます。
義父がいいお手本を示してくれた訳ですから、私も是非、その時には
そうありたいと思います。
周りの皆さんも粛々と準備をされていられたのだと
思いますが、最後まできちんと後始末をつけられた
姿勢に頭が下がります。ご冥福をお祈り申し上げます。
自分もそんな風にしたいな~と思いつつ、その時になったら
できるのかどうか。。。
年取ってもキチンとしていられるよう、今から色々
鍛えなければいけませんね。。。
お義父さま、きっと小梅ちゃんも春ちゃんも好きでしたよ☆
パパさん、気を落とされませんよう。
お義父さまのご冥福をお祈りいたします。
ご闘病中と知りませんでした。大変でしたね。
素敵なお義父さまだったのですね。
本当にお疲れ様でした。
とても冷静で覚悟のあり、そして思いやりのある
義父様でしたね。
まっちゃんの母親も、まっちゃんが二十代のころ
癌でなくなりました。
そのころは今みたいに良い抗ガン剤が無かったので
手術手術の繰り返しで動ける状態ではなかったので
1年間の入院を余儀なくされましたが。
肺ガンの第3期だったので、直る見込みはないと言われました。
癌って病気は本当にいろんな事を考えさせられますね。
どうぞお力落としのないようになさってください。
ご自身の命の限りを知り 取り乱すこともなく
残されるご家族のことを思い
精一杯生きられたお義父さま。
大変ご立派な方だったのでしょう。
私の母は20数年前に突然逝きました。
残された家族は 心残りや後悔やら
いろんな気持ちがいまだにあります。
お義父さまのお話を読ませていただいて
ともに過ごした最後の時を羨ましく
思いました。
どうぞ 良い思い出をいつまでもいつまでも
心の中にとどめておいてあげてください。
はは様、ご主人様のご心痛、いかばかりかと存じます。また、お義父様の闘病中の心身の疲労もおありかと思います。
今しばらくは、どうかご自愛ください。
自らの死を目前にしても、後に残されたものが迷わないように、困らないように、自らの最期を準備・演出するお義父様の心配り、大変感銘を受けました。とても心のやさしいお義父様だったんですね。
お義父様のそういった行動をみながら、御遺族様の覚悟も少しずつできていったんでしょう。
穏やかに流れる最期の日の夜を、空の上から「これでいいんだよ。よかったよかった。」って眺めてたのではないでしょうか。
ご冥福、心よりお祈り申し上げます。
とてもしっかりして、前向きな方だったのですね。ご冥福を、心よりお祈りします。
最後は、ご家族と安らかな時間を過ごされましたでしょうか。
覚悟していても、その時を迎えるのは辛いもの。ご心中お察しします。
うちの父は、もがき苦しみながらだったので、私達家族はつらい思いをしました。
今は楽になったから良かったと思うようにしています。
葬儀後に、母が少し壊れました。悲惨な姿を見てたのと葬儀の疲れが出たのでしょう。
お義母さまも、どうか体調をくずされませんように。
今月7日から、秋のおまつりのおくんちが始まります。
今年はうちの町内も踊り町なので、6月1日の小屋入り(練習始め)に、お花(お祝儀)の相談を病室でしました。
今日、そのお花を事務所に持って行き、葬儀に参列して頂いたお礼とその話をしました。
表に書いた父の名を見て、急に涙が溢れて止まりませんでした。
信号待ちやレジに並んでいる時に、ふと思いがけなく悲しみが押し寄せてきます。
ご主人も、心寂しく想われていることでしょう。
小春ちゃん、唸りましたか。
おい!犬、と名を呼ばれなかったジャックも、昨日はいつの間にか仏前にポツンと座ってました。
来年、精霊流しをします。魚を愛した父、船乗りになりたかったというお義父さま、一緒にお船に乗ってるかもしれませんね。
家族の思いで優しい素敵なお父様だったのですね~。
はは様は人一倍心配りされてこられてると思うから、
きっとこれからお疲れが出ようかと‥
どうか暫くはゆっくり小梅ちゃん小春ちゃんとお過ごしくださいね。
闘病中は、ははさんも旦那さんも大変でしたね。
義父さまが準備をしっかりされ、ご葬儀後も穏やかに過ごされたとのことですが
ははさん、肝心な時は精一杯頑張られるので…
お嫁さんとして気を張りすぎたり、頑張りすぎたりして、お疲れになってないですか?
少し落ち着いたら、おりこうさんにしていた小梅ちゃんと小春ちゃんと
ゆっくり休んで下さいね。
ご自身のことを最期まできちんと見据えての行動
なかなか出来ることじゃないです。
周りへの気遣いの出来る方、きっと周りの人達から
慕われていたことでしょう。
ご自身が納得した治療を受け、最期の時までを考えられたお義父様。
残されたものが後ろ髪を引くことなく
送り出せたのではないでしょうか。
ご立派なお義父様ですね。
我が父も6年前、癌で亡くなりました。
最期覚悟は「延命治療はしない」と医師に伝えたこと。
最期は痛みがないように薬を使いました。
さくらと父は面識がありませんが、時々仏壇に向って吠えてます。
きっと遊びに来たのだと思います。
小春ちゃんもおじーちゃんと最期のお別れをしていたのかな。
ご家族のみなさまお疲れさまでした。
もう少し時間が経ったら
故人との楽しい想い出話で偲んでください。
3年間、義父様と一緒にみなさん頑張ってこられたのですね。
悲しいけど穏やかにその日を迎えられたというのがよくわかります。
立派な義父様です。
私の母のことを思い出しました。
先に逝くものは、自らの姿をもって私たちに教えを説いてくれるものなのですね。
小梅ちゃん、小春ちゃん、実家でいい子にしてたみたいですね。(写真で見る限り…)
気をつかわれたんじゃないですか。
キャラメルさんの情報をお教えしておけばよかったと後悔しています。
素敵な義父さまだったんですね。
きっと やるべきこと終え 天国でゆっくりしていることと思います。
偶然ですが我が家でも 今 義父が癌と戦っています。できるだけ長生きして欲しいと願っています。