私にとっては、尊敬していない・・・尊敬出来ないH先生と呼ばれる先生から・・・つまり、その彼とは、昨年度来の問題山積み状態ですが、・・・・いきなり留年して同じ学年になってしまったi君を「頼む!友達になってほしい!」とされ・・・迷惑がりながらも、どんな人物かを知ることができ、やっぱり本来の自分の力を、出して、侮られてはならないと、心に刻むべきことがあった。そして先日、珍しく彼女と二人しかいなかったロッカー室に入ってきたので、大声で挨拶した。
その弾みで、ロッカーが、開かなかったようで、彼と顔を見合わせながら、何度か、かかってあいたので、先にそれを言って、つまり「ロッカーが開かねーんじゃないか」と言い残して、なぜか彼が先に出た後に、一人で先にロッカーの部屋を出た。もちろん「しまった」と思った。そのまま放り出してきたからだ。
そこまでは普通の話しながら、出てみるとへんな噂話の対象になっていて、それを知らないで、何かあったの?と訪ねると・・・「わたしはなにもない」と、とんちんかんの答えが返り、同時にそれを聞いて、私が、異常に?心配して、ちょうど戻ってきて、帰るところの彼女にも聞くと「私は何かあった」と大いに怒られ?フンと横を向かれてしまったので、挨拶だけして返った次の日、笑顔の後の厳しい顔・・・これで完全に分からなくなってしまった。前日に、駐車違反の犯人探しがあって、私にばかり強くその話をしたので、「そんなことすぐに分かるでしょう」とばかりに、返事して話したので、クラスメートにすれば「裏切り者」と感じたのだなとすぐに分かった。
そして実習のことばかり計画しているから、彼女をほうっておいて、クラスメイトの19歳男子ばかりと話しており、先は、ないといわれているのだろうと容易に想像がつく・・・女性も日本仏教世界はよくない。
以来、旨く元に戻れない・・・しかも、日本社会特有の「簡単に重大な過失を、赦されたと判断する」ある人々の存在もあった。言動が変だと、やはり思うが本人はそう思わない。
とすれば、やはり、沖縄の問題は根深いのだろうと思う
私は、何も確認できないために苦しんでいます。きっとオバマ大統領夫妻ならば、笑い飛ばせそうですが、これだけ四面楚歌が続く私にとっては、簡単ではありません。
それが、今日の「おはようございます」のブログになってしまったわけです。
もう私自身の結婚は、そんなに先に延ばせないから、今日は、互助会の人に説明を依頼して、試験の終わる20日に、あって説明してくれることになった。
いかに祈ってもらって、健全になりつつあっても、こんなにも問題だらけでは、彼女にうらみはないけれど、あまりにひどい仏教偏重状態を潜り抜けてやっとのことで、正しいことについて話し始めたのに・・・もう再生は、不可能かもしれないとも思える。
このブログを読んでくれたら意味は、分かってもらえるとは思うけれど、それでも多少の感情的にすれ違った感じのする問題について、話す時間も取れないとなると確かに問題だと思う。
やっとのことで、自分の人格についてわかってくれてきた感じはあるものの、個人の力ではどうにもならないのかもしれない。
そして、悲しいかなこれが日本だ。自分達で盛り上がって、勝手に盛り上げても、敬虔に過している善良なクリスチャンは、世界中で傷ついている。
私も心を決めなければなるまいと思う。
書いてみると、やはり私は、彼女が好きだったのは間違いないようだし、そのすばらしいところが、他人に評価されない部分で、周りが気づかない部分だからこそ、私なのだと思うのだけれど。
しかし、あまりに奇妙な出来事が多くて、健全な復活が出来ないでいるのか、嫌われたのか?
私達はお互いに好きだと思うのだけれど、普通のキリスト教世界ならばありえない会話を聞きながら生きているから、疲れて嫌いになった可能性は、否定できない。
だから、いつも慎重に祈っているけれど、このことを伝えないとどうにもならないと感じたので書きました。
後は日々の祈り、言動、で解決できるかな?
では、これで終わります。神様の恵みと平安と祝福が相応しい人々と共にありますように。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.