しかし、思い起こせば、一学期は、我ながら、よく動かなかった。
しかし、それは理想からぶれたくないため。それが分からないほどに馬鹿の目立つ我が地元のテイタラク。
もちろん昔ながらの、正論はまだ生きていると思う。しかし、馬鹿に味方して、それすらも見えなくなってきていることもまた事実としてあるようだ。
彼女もまた例外ではなく、心がぶれたりしたこともまたあるのかもしれない・・・?
しかし、日本人?がたくさん文句と悪態をつく「普遍」であるカトリックの教えには、そのような影は、全く存在しない。
もちろん素直に聞き続ければ、結婚など考えられないほどに、奥深く厳しいこともまた事実なのだ。
つまりは我が国民の負け犬根性でしかない・・・しかし、赤信号皆でわたれば怖くない・・・なのだ。
にもかかわらず、井の中の蛙大海を知らず・・・に全く気づいてはいない。少なくとも知ったかぶりがいるとそれに翻弄されつくす? もっと説得力と正義感が昔は通ったと思うのだが・・・?
私がいたところでは彼女は大丈夫?だったと思うのだけれど・・・少なくとも今まではかなり厳しい状況があって神に、お尋ねしても・・・問題はないという回答だった。・・・感謝な事だ。 しかし、・・・。
「みわ あきひろ」さんのお言葉!本当にありがたい昔ながらの大変普通に貴重な真理です。
しかし、我が国民は、極めて狡猾に、恥知らずに生きる者達を寛容に赦す。
だから悪循環が時々復活する。・・・人間とは儚い事は確かなようだ。
自分自身、情けないのに行動するすべを失う「そんなものたちの離反的事実」だ。
価値観のかけらも無い心で生きてはいけない。と何度も言ってきたつもり。
神よ!全ての人々にあなたの相応しい恵みと祝福と栄光と賛美。健康と社会的責任がありますように。私の全てを捧げて祈ります。
Pietro Francisco Xavier Hiroyuki Sawaguti.