退院の翌日 覚悟を決めて IVHの点滴を始めました。
それはそれは緊張でした。
父親の命を預かっている という感じでした。
病院の看護師さんの手作りのマニュアルを見て 一つ一つ確認しながら
空気が入らないように注意しながら・・・・・
世の中 変わったもんだ なんて思いました。
12時間かけて 1000cc弱 の栄養の点滴です。
食事が取れない父の最低限の栄養です。
寝ているようで寝ていない そんな感じでしたが
4時になると「水戸黄門」を楽しみにしていました。
ちょっと離れると「お―い」 と呼びます。
声が出ないはずなのに その時だけは 出るのです。
不思議でした。
行くと「胸をさすってくれ」と手のしぐさで訴えます。
どれだけさすっても もういい とは 言ってくれません。
疲れると「ちょっと トイレね」
そう言って 休憩してました。(悪い娘?)
ごめんね、父さん。
足の裏のマッサ-ジは長時間続けられて お父さんも満足そうでしたね。
夜 点滴をはずすと 私たち(私と母)も一息つけました。
が 起こされて
夜が明ける前から さすりながらお話していました、一方通行でしたが。
採尿器も使うことが少なくなり おしめの交換が増えました。
訪問看護師さんが 毎日午前中に 来てくれました。
それは とても 救いでした。
1時間ほどかけて 酸素や 血圧測定から 着替えまで。
看護のことなど無知な私にいろいろアドバイスをしてくれます。
訪問入浴も 週1回の予定が2回お願いできることになり本当に帰ってきて良かったと思いました。
往診は 毎週月曜日になっていました。
地元の医院の先生が来て下さいました。
父には とても安心できる方のようでした。
3ヶ月もたないだろうとか、何もしない方法もある(つまり 点滴しない ということ)とか おっしゃる先生でしたので不安 不信をもっていましたが案ずる必要はなかったようです。
20日朝9時頃 さあ今日の点滴を始めようとしたところ
IVH の管を外して(抜いて)しまっていました。
朝から母が胸をさすっていたのに その場所は見ていませんでした。
まさか 外しているなんて 思いもしませんからね。
急きょ 義弟を呼んで 病院へ直行 です。
父は 何の表情の変化もありませんでした。
痛くなかったのでしょうか。
「何もしてないよ。」といった感じのすまし顔です。
ただ 病院では車椅子に乗っているのが辛そうでした。
看護師さんにお願いして 処置室のベッドに寝かせていただきました。
IVH をさしなおしてもらって (外科の先生でしたがやり直しされたそうで左から右側に変わっていました。)お昼ころ 帰宅しました。
車の乗り降りは 義弟に抱いてもらうしかなかったので本当に申し訳なかったです。父さん お願い もう抜かないで。
なのにまた 数日後の夜 また抜こうとしていました。
今度はビリビリというテ-プをはがす音がして未然に防ぐことが出来ましたが 訪問看護の方に来ていただいて消毒等処置をしていただきました。
夜でも来て下さる事に感謝感謝です。
帰り際 「何もしない選択肢もある」と教えて(?)いただきました。
そうなのね――― そんなに嫌なら 止めてもいいのよね。
でも でも でも 出来ない。
父さん 嫌なのよね 点滴が。
つながれているのが 嫌なのよね。
父さん ごめんね。
でも お願い 生きてて。
それはそれは緊張でした。
父親の命を預かっている という感じでした。
病院の看護師さんの手作りのマニュアルを見て 一つ一つ確認しながら
空気が入らないように注意しながら・・・・・
世の中 変わったもんだ なんて思いました。
12時間かけて 1000cc弱 の栄養の点滴です。
食事が取れない父の最低限の栄養です。
寝ているようで寝ていない そんな感じでしたが
4時になると「水戸黄門」を楽しみにしていました。
ちょっと離れると「お―い」 と呼びます。
声が出ないはずなのに その時だけは 出るのです。
不思議でした。
行くと「胸をさすってくれ」と手のしぐさで訴えます。
どれだけさすっても もういい とは 言ってくれません。
疲れると「ちょっと トイレね」
そう言って 休憩してました。(悪い娘?)
ごめんね、父さん。
足の裏のマッサ-ジは長時間続けられて お父さんも満足そうでしたね。
夜 点滴をはずすと 私たち(私と母)も一息つけました。
が 起こされて
夜が明ける前から さすりながらお話していました、一方通行でしたが。
採尿器も使うことが少なくなり おしめの交換が増えました。
訪問看護師さんが 毎日午前中に 来てくれました。
それは とても 救いでした。
1時間ほどかけて 酸素や 血圧測定から 着替えまで。
看護のことなど無知な私にいろいろアドバイスをしてくれます。
訪問入浴も 週1回の予定が2回お願いできることになり本当に帰ってきて良かったと思いました。
往診は 毎週月曜日になっていました。
地元の医院の先生が来て下さいました。
父には とても安心できる方のようでした。
3ヶ月もたないだろうとか、何もしない方法もある(つまり 点滴しない ということ)とか おっしゃる先生でしたので不安 不信をもっていましたが案ずる必要はなかったようです。
20日朝9時頃 さあ今日の点滴を始めようとしたところ
IVH の管を外して(抜いて)しまっていました。
朝から母が胸をさすっていたのに その場所は見ていませんでした。
まさか 外しているなんて 思いもしませんからね。
急きょ 義弟を呼んで 病院へ直行 です。
父は 何の表情の変化もありませんでした。
痛くなかったのでしょうか。
「何もしてないよ。」といった感じのすまし顔です。
ただ 病院では車椅子に乗っているのが辛そうでした。
看護師さんにお願いして 処置室のベッドに寝かせていただきました。
IVH をさしなおしてもらって (外科の先生でしたがやり直しされたそうで左から右側に変わっていました。)お昼ころ 帰宅しました。
車の乗り降りは 義弟に抱いてもらうしかなかったので本当に申し訳なかったです。父さん お願い もう抜かないで。
なのにまた 数日後の夜 また抜こうとしていました。
今度はビリビリというテ-プをはがす音がして未然に防ぐことが出来ましたが 訪問看護の方に来ていただいて消毒等処置をしていただきました。
夜でも来て下さる事に感謝感謝です。
帰り際 「何もしない選択肢もある」と教えて(?)いただきました。
そうなのね――― そんなに嫌なら 止めてもいいのよね。
でも でも でも 出来ない。
父さん 嫌なのよね 点滴が。
つながれているのが 嫌なのよね。
父さん ごめんね。
でも お願い 生きてて。