最近書いてるブログは、ピロリ菌除菌の事。
1週間の除菌が終わり(僕らの七日間戦争だったろ!?)
翌日。
もう酒を飲んでいい。
いいのに、酒を断った。
2日酒を断ってからの、七日間戦争の1日。
10日も酒を断った。この俺が!(どの?)
で、次の日は飲んでみた。
飲めた。体調も悪くならない。
けど、その翌日。
また酒を抜いた。
さらにその翌日も。
なんか飲みたいと思わなかった。
まだ、ピロリ菌が全滅していても、
いなくなっても、慢性胃炎もなくなるわけではないんだろう。
ちょっとづつ回復して行くんだろう。
そう思った。
そうだろね。
慢性胃炎が治るのも、早くても1週間。
まあ一ヶ月以内には、治るでしょ。
だけに、酒を断った方が、慢性胃炎の治りも、
早いんだろうなと、思いながら、酒飲まない日の、長い夜。
ゲームをやりながらドラマの録画を見る。
ながら見で、十分なドラマを片づけている(失礼だろ~)
で、夜の2時。
さて、寝るか!!
電気消して、ベッドに入る。
その時!!!
電話が鳴る。
なんだよこんな時間に!
出る。
兄貴だ!
私には兄がいる。3個上だ。
何喋ってるかわかんない。
とにかく緊急で、体調が悪そう。
咳がすごい。
そういえば、肺炎だと小さなクリニックで、
言われ、処方されてたな~。と。
それが悪化か?
で、
救急車内からの電話だった。
何言ってるかは、
うち開けっ放しで救急車に乗ったから、
保険証とか、使用している薬全部持ってきてと。
とのこと。
その後、
救急隊に電話変わる。
公平病院を断られたそうだ。
でしょうね。
私の骨折の時、手術できないから、転移させられたし。
だから、
私の意見を、
「ここらへんなら、戸田市中央病院、または、浦和の三愛病院または川口の済生会病院へお願いしますと」
もう、指定しといた。
じゃなきゃ、危ないと思った。
感じ取っていた。
この辺で、この3つの病院以上はないだろう。
そう直感でよぎっていた。
したら、一番近くの戸田市中央病院が受け入れると、
そこへ向かうと。
まずは一安心。
まあ肺炎の悪化だろうし。
で、兄の住んでるアパートへ。
必要なものを持って、戸田市中央病院へ。
でもよかったよ。
酒断っていて。
飲んでたら、飲酒、酒気帯び運転だから!!!
危ないところやで。体調不良で良かったなんて事ある?
これくらいだろう。
飲んでたり、飲み行ってたり、体調良い日だったらさ。
そうしてたよ。いつも通り。
そして、2時過ぎに、病院へ到着。
緊急用の入り口から入る。
で、受け付け済ませ、呼ばれて。
処置室へ。
すると、、、、。
担当の医者が、心臓のエコー画像を見ながら、
私に一言。
「これは肺炎ではないです」
全部薬を渡したけど、肺炎で効かなかったので、
その後の診断で、ぜんそくの薬も出されていたようだ。
てことは、誤診。2回連続の誤診だ!!問題だろ!!
そのクリニックを問題にしたいと思う。この後!マジで!
その担当医いわく、
「このエコーで見える心臓の中に、血栓があります」
ありえない大きさです。
これが、原因です。
心臓の機能も弱ってます。
すぐ手術です。
なので、ここでできるか、それとも、
どこかの病院へ移動か。
深夜だったので。
その後、外へ出される。
その後、CT検査、MRI検査など始まる。
で、4時過ぎ。
何度両親に電話しても出ない!!!
まずいそ。
この危険すぎる状況で、万が一のことがあったら、
親も自分を責めるだろうし。
で、私が「家が近いから呼んできます」と言ったら。
でも、「あなたは居てください。」と足止め。
20回は電話した。
で、5時前。
とりあえずの検査は終わったけど、結果は出ていない。
まだの状況で、呼ばれる。
担当の医者から、手術する執刀医へ変わり、
説明を受ける。
執刀医「緊急で手術が必要です。ここで5時から行いたいと思います」
「麻酔などすべて準備ができました」
「私は心臓外科です」
そう、ちょうど、ちょうど、当直の担当医が、心臓外科の先生。
そしてすべて準備ができる状況。
前に手術している患者もなく、手が足りる状態。
「検査結果出ないままだけど、もう始めないと間に合わなくなります!」
と続けざまに、
「4時に知らせを受けて5時に手術ができる状況は、
ものすごく早くて、良いことです。
早ければ早いほどいい状態です」
「もう、ちょっと遅かったら死んでいます」
「このままだと、死ぬか、この血栓が脳に行けば脳死。
腎臓なら人工透析。
腸なら人工肛門です」
見るからに、若いんですよ。その医者が!
30代前半くらい。
男性の先生。
任せるしかないんだけど。
で、「この手術の成功率が、出ますが見ますか?」と。
予想ができるらしい。
状態と年齢をスマホに打ち込んでいく。
失敗率15パーセント。
悪くても30パーセント。
そうか、良かったと思った。
なぜか?
それは4年前に、これもまた兄が手術入院した時、
生存確率0%。
もうおしまいですと、言われていた。
6日間の危篤状態。
まあ助かったんだけど。
それがあるし。
成功率が悪くても70パーなら。
「でも後遺症は別です」
「あくまで命を助ける事だけ」
「あとは心臓を開いてみないとわからないし、
他の臓器にも何かある場合もある」
とのこと。
で、
「手術しますか?」と。
「お願いします!」と即答。
4時に連絡を受けて5時に手術。
こんな最短で手術ができることが、
今回の成功率を上げられるラッキーなこと。
そんなようなことを言ってた。
私が同意書にサイン。
5枚くらいあった。
しかし、同意者にサインできない場合はどうなんだろう?
と、ずっと思いながらサイン。
で、5時前。
手術室へ移動。
私は親族待合室へ。めちゃくちゃ暑い。
25度設定でも。
ちゃっかり22度へ下げた。
そりゃ、2時に呼び出されたとき、
寒いので、ヒートテック着てフリース着て、
ジャンパーだもの。
で、、
やっと親が電話に出た。
で、その後、合流。
手術は6時間くらいかかると言われていた。
その前に、最初にいた先生に、
「私知らないんだけどカテーテルとかでできないんですか?」
と、
「出来ません。」
「心臓切ります!!」と言い返された。
ダメか。
病院ドラマ好きだから、そこからの知恵だけ。だから!
得意そうに言ってみた。
佐藤二郎似の最初の担当医に。
あとは、待つ!とにかく待つ!旅サラダを見ながら。
9時半くらい、手術が終わる。
予定より早かった。
特に他の異常はなかったようだ。
「やはり、
すぐに手術ができた事。これだけです!」
と、成功の要因を言われた。
「弟さんがいてくれたから手術のサインもらえてそれが良かった」
とのこと(サインできない状況の人は?聞きそびれた)
そう、2時に家出て必要な保険証とか持って、
2時過ぎから戸田市中央病院にいたから。
そう、寝てない。一睡もしていない。
成功後眠い。ようやく。
でも、まだ予断は許さない。
麻酔で眠ってるから、起きたときどうか?
そこと、
その後の回復力と。
先ほど、二日目。
ICUへお見舞いへ。
あれ?
こんなことあったよな~???
4年前と同じだ。デジャブ―かよ!
ふり幅がすごい!
何かあって会った時はICU(待ち合わせ場所かよ!)
兄よ、もっと、優しめの症状はないの?
1週間の除菌が終わり(僕らの七日間戦争だったろ!?)
翌日。
もう酒を飲んでいい。
いいのに、酒を断った。
2日酒を断ってからの、七日間戦争の1日。
10日も酒を断った。この俺が!(どの?)
で、次の日は飲んでみた。
飲めた。体調も悪くならない。
けど、その翌日。
また酒を抜いた。
さらにその翌日も。
なんか飲みたいと思わなかった。
まだ、ピロリ菌が全滅していても、
いなくなっても、慢性胃炎もなくなるわけではないんだろう。
ちょっとづつ回復して行くんだろう。
そう思った。
そうだろね。
慢性胃炎が治るのも、早くても1週間。
まあ一ヶ月以内には、治るでしょ。
だけに、酒を断った方が、慢性胃炎の治りも、
早いんだろうなと、思いながら、酒飲まない日の、長い夜。
ゲームをやりながらドラマの録画を見る。
ながら見で、十分なドラマを片づけている(失礼だろ~)
で、夜の2時。
さて、寝るか!!
電気消して、ベッドに入る。
その時!!!
電話が鳴る。
なんだよこんな時間に!
出る。
兄貴だ!
私には兄がいる。3個上だ。
何喋ってるかわかんない。
とにかく緊急で、体調が悪そう。
咳がすごい。
そういえば、肺炎だと小さなクリニックで、
言われ、処方されてたな~。と。
それが悪化か?
で、
救急車内からの電話だった。
何言ってるかは、
うち開けっ放しで救急車に乗ったから、
保険証とか、使用している薬全部持ってきてと。
とのこと。
その後、
救急隊に電話変わる。
公平病院を断られたそうだ。
でしょうね。
私の骨折の時、手術できないから、転移させられたし。
だから、
私の意見を、
「ここらへんなら、戸田市中央病院、または、浦和の三愛病院または川口の済生会病院へお願いしますと」
もう、指定しといた。
じゃなきゃ、危ないと思った。
感じ取っていた。
この辺で、この3つの病院以上はないだろう。
そう直感でよぎっていた。
したら、一番近くの戸田市中央病院が受け入れると、
そこへ向かうと。
まずは一安心。
まあ肺炎の悪化だろうし。
で、兄の住んでるアパートへ。
必要なものを持って、戸田市中央病院へ。
でもよかったよ。
酒断っていて。
飲んでたら、飲酒、酒気帯び運転だから!!!
危ないところやで。体調不良で良かったなんて事ある?
これくらいだろう。
飲んでたり、飲み行ってたり、体調良い日だったらさ。
そうしてたよ。いつも通り。
そして、2時過ぎに、病院へ到着。
緊急用の入り口から入る。
で、受け付け済ませ、呼ばれて。
処置室へ。
すると、、、、。
担当の医者が、心臓のエコー画像を見ながら、
私に一言。
「これは肺炎ではないです」
全部薬を渡したけど、肺炎で効かなかったので、
その後の診断で、ぜんそくの薬も出されていたようだ。
てことは、誤診。2回連続の誤診だ!!問題だろ!!
そのクリニックを問題にしたいと思う。この後!マジで!
その担当医いわく、
「このエコーで見える心臓の中に、血栓があります」
ありえない大きさです。
これが、原因です。
心臓の機能も弱ってます。
すぐ手術です。
なので、ここでできるか、それとも、
どこかの病院へ移動か。
深夜だったので。
その後、外へ出される。
その後、CT検査、MRI検査など始まる。
で、4時過ぎ。
何度両親に電話しても出ない!!!
まずいそ。
この危険すぎる状況で、万が一のことがあったら、
親も自分を責めるだろうし。
で、私が「家が近いから呼んできます」と言ったら。
でも、「あなたは居てください。」と足止め。
20回は電話した。
で、5時前。
とりあえずの検査は終わったけど、結果は出ていない。
まだの状況で、呼ばれる。
担当の医者から、手術する執刀医へ変わり、
説明を受ける。
執刀医「緊急で手術が必要です。ここで5時から行いたいと思います」
「麻酔などすべて準備ができました」
「私は心臓外科です」
そう、ちょうど、ちょうど、当直の担当医が、心臓外科の先生。
そしてすべて準備ができる状況。
前に手術している患者もなく、手が足りる状態。
「検査結果出ないままだけど、もう始めないと間に合わなくなります!」
と続けざまに、
「4時に知らせを受けて5時に手術ができる状況は、
ものすごく早くて、良いことです。
早ければ早いほどいい状態です」
「もう、ちょっと遅かったら死んでいます」
「このままだと、死ぬか、この血栓が脳に行けば脳死。
腎臓なら人工透析。
腸なら人工肛門です」
見るからに、若いんですよ。その医者が!
30代前半くらい。
男性の先生。
任せるしかないんだけど。
で、「この手術の成功率が、出ますが見ますか?」と。
予想ができるらしい。
状態と年齢をスマホに打ち込んでいく。
失敗率15パーセント。
悪くても30パーセント。
そうか、良かったと思った。
なぜか?
それは4年前に、これもまた兄が手術入院した時、
生存確率0%。
もうおしまいですと、言われていた。
6日間の危篤状態。
まあ助かったんだけど。
それがあるし。
成功率が悪くても70パーなら。
「でも後遺症は別です」
「あくまで命を助ける事だけ」
「あとは心臓を開いてみないとわからないし、
他の臓器にも何かある場合もある」
とのこと。
で、
「手術しますか?」と。
「お願いします!」と即答。
4時に連絡を受けて5時に手術。
こんな最短で手術ができることが、
今回の成功率を上げられるラッキーなこと。
そんなようなことを言ってた。
私が同意書にサイン。
5枚くらいあった。
しかし、同意者にサインできない場合はどうなんだろう?
と、ずっと思いながらサイン。
で、5時前。
手術室へ移動。
私は親族待合室へ。めちゃくちゃ暑い。
25度設定でも。
ちゃっかり22度へ下げた。
そりゃ、2時に呼び出されたとき、
寒いので、ヒートテック着てフリース着て、
ジャンパーだもの。
で、、
やっと親が電話に出た。
で、その後、合流。
手術は6時間くらいかかると言われていた。
その前に、最初にいた先生に、
「私知らないんだけどカテーテルとかでできないんですか?」
と、
「出来ません。」
「心臓切ります!!」と言い返された。
ダメか。
病院ドラマ好きだから、そこからの知恵だけ。だから!
得意そうに言ってみた。
佐藤二郎似の最初の担当医に。
あとは、待つ!とにかく待つ!旅サラダを見ながら。
9時半くらい、手術が終わる。
予定より早かった。
特に他の異常はなかったようだ。
「やはり、
すぐに手術ができた事。これだけです!」
と、成功の要因を言われた。
「弟さんがいてくれたから手術のサインもらえてそれが良かった」
とのこと(サインできない状況の人は?聞きそびれた)
そう、2時に家出て必要な保険証とか持って、
2時過ぎから戸田市中央病院にいたから。
そう、寝てない。一睡もしていない。
成功後眠い。ようやく。
でも、まだ予断は許さない。
麻酔で眠ってるから、起きたときどうか?
そこと、
その後の回復力と。
先ほど、二日目。
ICUへお見舞いへ。
あれ?
こんなことあったよな~???
4年前と同じだ。デジャブ―かよ!
ふり幅がすごい!
何かあって会った時はICU(待ち合わせ場所かよ!)
兄よ、もっと、優しめの症状はないの?