狭き門より入れ

スペイン在住クリスチャン。聖書にある救いとは?罪の赦しとは? 礼拝などから、福音メッセージを載せています。

多数に従う?

2020年10月15日 | 聖書
“狭い門から入りなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広く、そこから入って行く者が多いのです。
いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出だす者はわずかです。“(マタイ 7:13-14)

都市の横断歩道では、歩行者たちのグループが、信号が緑色に変わるのを待っている様子をよく見かけます。 信号がまだ赤なのに、誰かが横断歩道を渡り始めると、ほとんどの場合、何人かの人々が、その人に続いて渡り出します。 彼らにとっては、信号機が何を示しているかよりも、他の人たちがどうするかが大切なのです。

人生において、同じことが、しばしば起こります。 私たちは、公正または真実に基づいてではなく、主に他の人の行動に基づいて自分の行動を決定します。

前述の歩行者たちは、赤信号で横断したために、事故で死ぬ可能性があります。 霊的、道徳的な分野においても、“他の人々がしているから。“ という理由だけで何かをすることは、同じように危険です。なぜなら、その決断には、私たちの永遠の未来がかかっているからです。

イエス•キリストは、この、神に通じる道を、十字架での死と復活により、切り開いて下さいました。

“わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。…“(ヨハネ14:6)

神に至る道は、多くの人が行く広い道ではなく、狭い道です。 その狭い門を通り抜けるには、悔い改め、自分の罪を認めなければなりません。 また、その狭い道を進むには、神が私たちの人生の所有者であると認め、神のみを信頼する必要があります。 この道を選ぶ人はほとんどいませんが、いのちにつながるのはこの道だけなのです。

神を見つけるためには、特定の規則に従う必要はなく、また、他の大勢に倣う必要もありません。 私たちは謙虚に、そして信仰をもって、ひとりで、イエス•キリストの御前に行くのです。 そうすれば、私たちは、神が私たち、すなわち神の子供たちに期待すること、“神が聖霊を通して私たちに与えてくださる愛を表すこと“ が、できるようになるでしょう。

(Tomasのショートメッセージより)