狭き門より入れ

スペイン在住クリスチャン。聖書にある救いとは?罪の赦しとは? 礼拝などから、福音メッセージを載せています。

罪の中で死ぬ

2020年10月17日 | 聖書
「•••もしあなたがたが、わたしのことを信じなければ、あなたがたは自分の罪の中で死ぬのです。」(ヨハネ8-24)

「•••主にあって死ぬ死者は幸いである。」(黙示14-13)


罪の中で死ぬか?

主にあって死ぬか?

上の二つの聖句は、死を前にして

の、二つの道を示しています。

「罪の中で死ぬ」とは、神により提供

されている救いを拒絶する人々の唯一

の道であり、神を前にして、自分が犯

してきた罪の責任をとらなければなり

ません。 聖書は「神の怒り」は、神の

御子を信じない者たちの上にとどまる

と宣言しています。また、「•••人間に

は、一度死ぬことと死後にさばきを受

けることが定まっている•••」(ヘブル

9-27)とも、言っています。このさば

きの判決は、神との最終的な決別で

す。すなわち、永遠の地獄で苦しむこ

となのです。けれども、今、悔い改め

て、イエスキリストを信じる全ての人

に、この問題への解決である神の許し

が、提供されているのです。

「主にあって死ぬ」というのは、イ

エス様を信じる信仰のうちに眠り(死

に)、天国で目覚めることです。

しかし、この「主にあって死ぬ」幸

いな人びとは、「罪の中で死ぬ」人び

とより、罪が少なかったのでしょう

か?それとも、まじめな良い人間だっ

たのでしょうか?

いいえ!そうではありません。

彼らは、ただ、その生涯のある時点

で、イエス様が自分の罪の罰を受けて

十字架で死んで下さり、そして甦られ

た唯一の救い主と信じたのです。聖書

の言葉を単純に信じ、神に信頼したの

です。

「御子を信じる者は永遠のいのちを持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」(ヨハネ3-36)

こうしてふたつの死に方があると同じ

く、ふたつの生き方があります。

ひとつは、神を無視し、神と関わり

なく生きる生き方です。もうひとつ

は、祈りと聖書を読むことによって、

神との交わりの中に生きる生き方で

す。

神は、神との交わりの中に生きる者

の人生を、豊かに祝福してくださいま

す。

(Buena semilla より)