人が聞くとき、神は語ります。
これは、とても重要なことです。 聞くこと、それはその創造者に対する被造物の敬意の表れのひとつではないでしょうか? これは、ただ単に聞くよりも、もっと強い意味で、注意深く聞くことを意味します。
聖書を通して、私たちは、私たちの魂の救いに関しての神様のことばを聞くことができます。
それは、“私たちは罪人であり、しかし、神のひとり子のイエスキリストが、十字架で私たちの身代わりに、私たちが受けるべき罪の罰を受けて下さったので、自分が罪人であることを認め、イエスキリストを救い主として受け入れる者は、罪を許され、死後、永遠の天国に行くことができる。 “ と、いうことです。
“聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。“ と、預言者イザヤは、書き残しています。
また、イエスキリストを信じて、新しいいのちを受けたとき、私たちは、主を喜ばせるために、すべてにおいて、新しいいのちを受けた者としてふさわしく行動したいという願いが与えられます。
“主にふさわしく歩み、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる良いわざのうちに実を結び、神を知ることにおいて成長しますように。“ (コロサイ 1:10)
ですから、聖霊に導かれて、正しい方向に進むことができるように、神の言葉が私たちに明らかにすることに耳を傾ける必要があるのです。
道には罠が散らばっていて、人の敵である悪魔が私たちをつまずかせようとします。 イスラエルの偉大な王ソロモンは、若い日に、彼の祈りの中で、自分の責任を果たすことが出来るように、「聞き分ける心」を神に求めました。 私たちも彼のこの祈りに倣いたいものです。
“善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、この大勢のあなたの民をさばくことができるでしょうか。“(1列王記 3:9)
また、使徒ヤコブがこのように言っています。
“人はだれでも、聞くのに早く、語るのに遅く、怒るのに遅くありなさい。“( ヤコブ 1:19)
人が聞くとき、神は話します。それに反して、彼の言うことを聞きたくない人は、私たちの魂の敵(悪魔)の声を、聞くことになるでしょう。
みなさん、神様のことばを聞くために、聖書を読むことを心からお薦めします。
(Buena semilla より)