一季咲のばら安曇野、キングローズ、なるみだかもそろそろ終わりかけてきました。
二番花の蕾が膨らんできましたので開花が楽しみです。
長らく楽しませてくれたビオラやパンジーを抜いて整理をしています。
丹頂
伊豆の踊子
メルヘンケーニギン
グラハムトーマス
クレマチス
一季咲のばら安曇野、キングローズ、なるみだかもそろそろ終わりかけてきました。
二番花の蕾が膨らんできましたので開花が楽しみです。
長らく楽しませてくれたビオラやパンジーを抜いて整理をしています。
丹頂
伊豆の踊子
メルヘンケーニギン
グラハムトーマス
クレマチス
昨日に引き続き観光ボランテイアガイドで案内をしましたが、この地区では三歩太郎伝説の説明が欠かせません。
ガイドの締めくくりは三歩太郎のからくり時計でした。
三穂(歩)太郎伝説
菅原朝臣満佐(みつすけ)は菅原道真公より13代後の末裔にあたり、知仁勇に優れていましたが、
1234年9月15日に赤松久範と佐用で戦い、52才で討死しました。
死後、頭(こうべ)は関本の三穂明神(こうべさま)、右手は梶並の右手(うて)大明神、
肩の部分は智頭のにゃくいちさまとして祀られ美作菅家党の基板を創りました。
満佐公は別名三穂太郎とも呼ばれていますが歴史上の実在人物です。
巨人伝説として 「那岐山の頂上に腰をかけ、瀬戸内海で足を洗い、京の都まで三歩で行った」と言う伝説も残っております。
観光ボランテイアガイドで木地師の館を案内しました。この木地師の館は岡山県地域振興事業(ふるさと技術伝承事業)により建設した、
ふるさと技術伝承施設で開館日は毎月第2・第4日曜日ですが、今日(明日も)は特別に開けてもらいました。
木地師とは、とち・ぶな・けやきなどの木を伐り椀や盆などの木地を作る職人のことをいい、轆轤師・杓子師・塗物師・引物師を木地業の四職ともいいました。
明治までは木地師は全国のどこの山に入っても良く、山の8合目以上の木は切っても良いという許可を得て近江国小椋村の君ヶ畑、蛭谷を原籍地として、
ジプシーのように全国の山を20~30年ごとに移動しながら生活をしていました。
当地右手・木地山の木地師は約450年前の永禄3年(1560年)苫田郡の越畑から移住してきたといわれています。
このような木地師たちの身分を保障し、職業の繁栄に尽くしたのが永源寺町(現在東近江市)蛭谷の筒井公文所と君ヶ畑の高松御所でした。
伝承によれば、即位の機会を失った惟喬(これたか)親王は貞観元年(859年)、小椋谷に入山しました。
このとき親王は、法華経の巻物のひもの原理から、里人に綱を引いて軸を回転させる手引きロクロを造り、椀や盆を製作する木地挽きの業を伝授したといわれています。
このようにして生まれた小椋谷の木地師は、この地に良材がなくなったことから、小グループに分かれ全国各地に移住していきました。
木地師たちは、惟喬親王を木地業の祖神と仰ぎ、小椋谷を自らの出身地として頼り活動し、現在でも小椋谷が全国の木地師の子孫たちに「ふるさと」と慕われる由縁となっています。
また、蛭谷の筒井公文所や君ヶ畑の高松御所も、各々が全ての木地師は自らの氏子であると称して保護したため、江戸時代には全国最大の木地師支配組織が確立しました。
両支配所は、その権威を高め、通行の自由・諸役免除といった木地師の特権を保護するため、お墨付きと称する朱雀天皇や正親町天皇の綸旨をはじめ、時の為政者の免許状の写しを下付しました。
各地の木地師は、こうして与えられた御墨付・宗門手形・往来手形などをもっていると安心して活動ができたわけです。
また両支配所は、氏子として木地師の身元を確認し、氏子かり料や初穂料・奉加金などを集め、氏子には神札・御墨付などを配布しながら各地を巡り歩きました。
梶並の地名の由来にもなっている梶の木が梶並神社の境内にあると思っていましたが、本殿横の磯神社脇の木は瓜肌楓でした。
境内には是非梶の木が欲しいのでネットで注文して植樹することにしました。
観光ボランテイアガイドで梶並神社を明日明後日と案内しますがこれはその副産物です。
梶並の由来
美作神社資料によると仁明天皇の承和元年(834)香美神社(現在は梶並神社)の神主藤原持麿が
宮廷の七夕祭りの御料として香美山に茂っている梶の木(古代から神に捧げる神木として尊ばれていた為、
神社の境内などに多く生えられ、主として神事に用い供え物の敷物に使われました)の葉7枚を並べて
献上したところ大変喜ばれ、またその時参内していた僧空海がこれを見て「珍しい梶の葉ですね。
皇后の御願成就のしるしですね」とお祝いを申し上げたところ、天皇はますます喜ばれ香美郷は
梶の葉が茂る梶並郷だといわれたため、之を縁にここを梶並と言うようになったとのことです。
残念ながら現在では梶の木が殆どないためこれから植樹して増やしていきたいと思っています。
梶の葉は、諏訪大社の神紋としても有名ですが梶の木は平安の時代から神聖な木とされ、
神社の境内に植えられることが多く、神事に用いられたり、供え物の敷物に使われたりします。
冷泉家では、詠んだ七夕の歌を梶の葉の裏に書きます。
昔は、短冊ではなく、梶の葉の裏に書いていたようです。
3月30日に整備した休耕荒廃地もすっかり草が生えてきましたので、活性化のメンバーで草刈りをしました。
これから畔に水仙や彼岸花の球根の植栽、そばの種まきなどの作業が続きます。
庭も賑やかです。
ナエマ
クラウンプリンセスマルガリータ
伊豆の踊子
ピエール・ド・ロンサール
観光ボランテイアガイドで産卵場所を案内するため右手地区に行ってきました。沢山の卵が木にぶら下がっていました。
モリアオガエル
学名 Rhacophorus arboreus
英語名 forest green treefrog
全長または甲長 オス4.2~6cm、メス5.9~8.2cm
日本固有種。本州と佐渡島に分布。
夜行性で肉食。体色は地域により異なり、緑一色のものと、背に赤褐色や暗褐色の斑紋があるものとがいます。
森林に棲み、樹上生活を送り日本本土では、産卵も樹上で行なう唯一のカエルです。
池・沼・水田などの水面に張り出した木の枝や水辺の草むらなどに、黄白色の泡状の卵塊を産み、
産卵の際には雌一頭に対して複数の雄が抱きつき、雌が産んだ卵塊を後肢でかき回して、泡状にします。
孵化した幼生はそこから水面へと落ちて行きます。産卵数は300から500個ほどで、繁殖期は4月から7月頃。
産卵は、集団で泡状の卵を池に突き出ている枝先に産むという独特の繁殖を行いますが、
繁殖前に必ず一度池にドボンと飛び込んでから木に登って産卵を開始します。
これは、卵塊を作るときに大量の水分が必要なため、池に飛び込んで水を摂取し、
それを産卵時に尿として排泄するのではないかと言われています。