年越し派遣村に対する世間の関心は急速にさめ、僕の派遣村関連の記事のアクセス数もピーク時には3つの記事それぞれ1日5000アクセスくらいだったのだが現在は200前後まで下がってきている。(ピーク時にこのブログはgooの全ブログ数116万の中で上位19位まで食い込んでいた。それだけ派遣村は世間の関心が高かったのだ。現在では450位ほどである。)
Tさんのその後や、僕の記事で紹介した村民の方々が都内4箇所に設けられた移転先でどのようにすごしているか気になっていらっしゃる方もいると思う。派遣村についての記事はとりあえず日比谷公園のでおしまいにするはずだったが、世間の関心が下がってもなおこの村のことを気にかけて下さる方のために「おまけ話」を書くことにした。
Tさんが練馬区の社会福祉法人石神井学園のほうにいることがわかったので、年明け最初の3連休の中日(1月11日)に行って3時間ほど様子を見てきた。家からバイクで40分ほどのところにある。ホームページの沿革を見ると石神井学園は明治5年(1872年)東京府養育院として老人・児童・病弱者の援護のために創立され、現在の場所に移転したのが昭和17年(1942年)と書いてある。昨年放送されたNHKの「篤姫」の最後のほうは江戸が明治に変わるあたりのことだが、わずかその数年後に日本に「福祉」が誕生していたことに僕は驚いた。この場所をわかりやすく言えば「児童養護施設」である。
古い施設なので敷地内の建物はゆったりと配置されている。練馬区は都内とはいえ今でも畑が多くある地域だ。移転当時は戦中のさなか。当時は畑しかなかったから米軍は空襲とかもする必要がなかったのだと思う。村民が寝泊りしているのはこの施設の体育館だ。
入口を入って並木道を進むとなつかしい「昭和の香り」がした。少し進むと右のほうで村民を支援しているNPO法人のスタッフが古着のバザーをしているのが見えた。体育館入口の前。Tさんはそこにいた。相変わらずじっとしていない。
僕が行くことは伝えてなかったので(というか伝えようがなかったので)Tさんに声をかけると、ちょっと驚いた様子。そして日比谷からここに来るまでに起きたことを話してくれた。ここでもTさんは自分を曲げず、都の職員や支援者の方にご厄介をかけていた。(笑)あーあ、Tさんは相変わらずだな。でもそれが悪意ではなくTさんの善意や正義感からくるわがままであることを周囲の人は理解されているようだった。こんな風に書くと事情を知らない世間の人は「せっかく助けてもらったのに生意気だ。」と激しくバッシングされてしまうかもしれない。僕にもそれは半分理解できるし、半分は「まぁ、それも大目に見てよ。」という感じ。彼のマナーの悪さについては僕も完全に擁護するつもりはない。
というのも生活保護申請を出しに日比谷から千代田区役所に行ったTさんは、そこでもちょっとした問題を起こしたという。生活保護は「村民登録」した人に対して申請が許されるのだが、Tさんは日比谷公園でプライドが邪魔して村民登録しないどころか「ボランティア登録」していたのだ。本編の記事で「Tさんの腕にはボランティアのハンカチが巻かれていた。」と書いたが、まさかそんなことしていたとは。これには僕もあきれて笑ってしまった。Tさんは派遣村に人道支援に来ていたのだ。
区役所の職員の方は当然きめられたルールに従って村民の申請を受け付けるのだから、「村民ではない」Tさんは順番が後回しになるため困ってしまい職員に食ってかかるわけである。本当にTさんは生きるのが下手だなと思うし他の村民も「Tさんはバカだな~。」と言っていた。最終的に生活保護申請は受理された。やれやれ。
住まいのほうも不動産会社の計らいにより練馬区内に決まったそうだ。(担当者の方、本当にご厄介をおかけしています。m(_ _)m)僕はTさんの保護者なんかじゃないけど。
古着のバザーをしている横にちょっとした談話スペースが設けられていて、Tさんと僕はまた話に熱中した。隣で談話されていたNPO法人のスタッフの女性たちがTさんと僕がタバコの火をお互いにつけあうために「お先にどうぞ。」を繰り返しているのを見て笑っていた。まるで漫才みたい。
その談話スペースで他の村民たちとも運よく再会することができた。僕の記事でイタリア人記者の取材を受けたSさん、炊き出しの列に並んだときに都内の炊き出しの様子を話してくれたKさんもこの場所にいた。Tさんも入って4人で座談会のようなものがはじまった。TさんとSさん、Kさんの3人が仲がいいこともこの場所でわかった。
僕がSさんにイタリア人記者の写真撮影について「本当に写真に写りたかったんですか?」と聞いたところ、意外な答えが返ってきた。「そんなわけないだろ。あいつらだって仕事で遠くから来てんだから写真撮らなきゃならんだろ。そんであいつ困っているようだったから撮らせてやったんだ。」。。。「げっ!そ、そんな。。。」と僕。「でも、嫌だったら断ってくださいって僕は何度も念を押しましたよね???」って聞くと彼は「そりゃ、アンタの顔を立てたいと思ったからだよ。」とSさん。え~~~!そんな~~~!!!
イタリア人記者も僕もSさんに助けられていたのだ。(愕然)
Sさんは富山県育ち。空調設備の工事を長年してきたことは本編で紹介したが、なんと大卒で法学部出身だということがわかった。年をとってしまったのと身体を壊してしまったので、残念だがもう仕事には戻れないという。これだけ身体を酷使して働いてきたのだから、余生は生活保護を受けて安心して暮らしてほしいと僕は思った。
都内の炊き出しの様子を教えてくれたKさんは、すごく頭がきれ、弁がたつことがわかった。何かのテーマで議論したら僕はきっと負けてしまうだろう。あのTさんでさえKさんの頭のよさについては絶対的な尊敬の念を抱いているくらいなのだから。TさんはKさんの言うことなら渋々だが従う。Kさんからいろいろ話をうかがったのでここに紹介したいのだが、難しすぎて僕にはついていけなかった。残念ながら書くことはできない。(笑)
やわらかな陽射しの中、のどかな冬の日の座談会だった。
夕方、別の用事があったので僕は早めに石神井学園を出た。サヨナラするときTさんは笑顔で僕に向かって手を振って、おじぎをしてから照れくさそうに言った。
「俺、人に頭下げんの派遣村に来て初めてなんだよな。」
う~む。。。他の人に対してもいつもこんな感じで低姿勢でいてくれたらいいんだけどなぁ。と思いながら僕も手を振った。こんな調子だからTさんはこれからもきっとあちこちで衝突しながらしぶとく生きていくのだろうと妙な安心感を胸にしまい、僕はその場を後にした。
でも、もしTさんと今度会うことがあったら酒好きの彼には絶対こう言ってやろう。
「Tさん!大儀を成したいなら男は黙ってサッポロビール!せっかく黒澤年男似なんだから静かにシブく演技しましょうよ!」ってね。
- 完 -
多くの村民は住居が決まらず、明日から実行委員会が手配した旅館に宿泊することになっている。また、今回助けられたのは東京近郊の生活困窮者だけで、日本中には多くの人が路上生活を強いられている。
経済問題を含めこの問題を解決するには麻生総理は忙しすぎると年初からの総理のスケジュールを見ていて僕は思った。忙しすぎて気持ちに余裕がなく村民や野党の声を聞く耳さえ持てないだろう。また責め立てられれば人の心は自然と防御してしまうものである。今求められている総理の役職というのは生物としての人間の限界を超えているのではないか。
総理が賛成するにしろ反対するにしろ大きな決定をするためには、一人になって熟考したり根回ししたりする時間が必要だと思う。閣僚はもう少し積極的な役割を果たせないものだろうか。今のような役割分担では誰が総理になってもすぐにつぶれてしまうと思うのだ。
今回の派遣村での僕の活動やブログ記事作成は肩書きのない個人の立場で行ってきたので何の制限も受けずに自分の思うままに行うことができた。もしこれを自分が仕事として行っていたとしたら、所属する会社や同行している記者やカメラマンへの配慮や報道倫理規制や記事に使える言葉などによる制限がでてくるし、また村民が僕に向ける目も違ったものになっただろう。そして自分自身でも無意識のうちブレーキをかけて遠慮してしまう局面が多かっただろう。その結果、自分が書く記事はずいぶん違ったものになったはずだ。
これからも続く派遣切りされた人やホームレスの人への取材や報道手法については、マスメディアで働く方の姿勢や工夫によって大きく異なってくるのだということを今回強く感じた。
- FIN -
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1月4日の年越し派遣村レポート
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村の名前が「派遣切りされた人たち」の村という意味であるのと、僕たちが通常「派遣社員」という名前から想像する年代やイメージに近い人たちをマスコミは取材していたから、僕のレポートの雰囲気と報道が違っていたのだと思います。
僕は主に話しかけていたのはホームレスの人たちですが、派遣村の村民の8割くらいは45~65歳のホームレスあるいは元日雇い労働者の雰囲気を持つ人たちでした。いずれにせよ報道は顔を映してはいけないので、短いニュースでは正確なことを伝えるのはとても難しかったと思います。
まして、彼らに「やる気があるかないか」を報道することはほとんど無理だったでしょう。
私は、新年から会社などで、ホームレスの方への理解などを訴えました。私が話した人は、普通の人だったり、頭がよかったって。あと、声をかける重要性を。一人だとなかなか難しいですが、困った人(困っていなくても)には、声をかけることが大切だということがわかった経験でした。
とねさんが、Tさんなどに愛着がわいてしまうのが、わかる気がします。一生懸命生きている感じに魅力を感じたからではないでしょうか?わたしは、ホームレスの方とお話してそう思いました。
でも、このことをを自分以外の人に求めるのは会社の同僚と会社の外の知り合いに対してでは全く違ってくるのでご注意くださいね。
派遣村の活動の背景には労働運動や与党対野党の対立がありますから、会社の中でそういう話題に近づくことを避けたい人も多いはずです。会社という場所はそれぞれが生活を支えるために働いて給料をもらう大切な場所ですから、派遣村や労働問題の話は他の同僚も会社の目を気にして敬遠する人が多いはずです。ですからそういうことに触れないのが、その同僚社員に対する優しい配慮になるのだと思います。
もし会社にボランティアをする組織があるならばその中でこの話はできますね。あと、会社によほど仲良しの同僚がいるなら、その人と話すぶんには全く大丈夫だと思います。
また個人の信条を変えてほしいということはそれが「いいこと」であっても、すぐ目の前にあることでないかぎり受け入れるのが難しいことです。ボラさんも実際に派遣村に行って、ホームレスの方への意識が変わったのですよね。実際にテレビ報道だけ見ているのでは、なかなか理解してもらうのは難しいと僕も思いました。だからブログの記事にしたわけですけど。(笑)
ボラさんもTさんのこと、よく覚えていらっしゃいますよね!何か直接彼とお話しましたか?
とねさんの記事を読むうちに派遣村の中にも本当にいろいろな人がいたのだということを理解できた気がします。
もちろん派遣労働者は甘えだと言う元からのスタンスは変わりありませんが、その人が努力するならそれを助けてあげるべきじゃないかとも思えるようになりました。
何が言いたいのか自分でも良く分からなくなってしまいましたw
でも、こんなに心に来る記事を読ませてくれたと根さんに最大級の感謝を。
神の味噌汁さんのスタンスは変わっていないとはいえ、僕の記事を読んでいただき「心に残る」とおっしゃっていただいたことで僕は十分満足です。
同じものを見ても人それぞれ感じ方や考え方は違うものですから当然だと思っています。
おわかりのとおりこのブログは「物理ブログ」で僕はどうしても数学的、統計的側面から物事を考えるクセがついています。派遣労働者の中にもそして正規雇用労働者の中にも甘えが広がっている昨今の状況は事実です。また自己責任を取れるほど十分な手取りの給料を派遣労働者に与えていない派遣会社や元受け会社があるのも事実です。いろいろな状況はケースバイケースなのでひとまとめにいえないのですが、自己責任をとれなかった派遣労働者と自己責任を自ら取っていなかった派遣労働者の両方が昨年末の金融危機のあおりを受けて路上に放り出されてしまったというのが僕の「理系頭」がとらえている姿です。
いずれにせよ、神の味噌汁さんに最大級のお褒めの言葉をいただき、僕のほうこそ感謝しております。
余談:「神の味噌汁さん」とはユニークなハンドル名ですね!物事を深くとらえようとするお姿が僕には感じられました。
サイトのメインは「キョンハルSS (ハルヒ x キョン)」なのですね!
なるほど、そういうことだったのですね。
さっそく返信させていただきました!
なるほど政治家は忙しすぎるのかもしれませんね。
もともとなんらかの志を持っているからこそ政治家になるのでしょうし、その有している力量をきちんと発揮できる環境・状況であってほしいなと思います。
ひねくれ者である僕の頭では、今回たくさんの政治家が関与してくれたのは選挙が近いせいに違いないと断定してしまいたくなるのですけど(笑)
なお、ご存知のこととは思いますがもちろん村民以外の人が生活保護の申請をできないわけではありません(「村民登録」した人に対しては面談の順序など一定の配慮がなされてはいますが)。生活保護適用の唯一の要件は”生活困窮状況にあること”のみです。
今回のニュースをきっかけにして村民以外の方の生活保護申請も増えているようです。