「アインシュタイン・ショック〈2〉日本の文化と思想への衝撃:金子務」
内容紹介:
光を曲げた革命児の来日は大正日本に熱狂的な興奮を巻き起こし、その影響は遠く昭和の時代にまで及ぶ。科学界だけでなく文学・思想・宗教各界や知識人たちは、アインシュタイン博士の思想や人格、相対性理論といかに切り結んでいったのか。そして原爆投下の責任をめぐって日本人とアインシュタインはどのようなやりとりをしたのか。日本と人間性豊かな天才物理学者の関係を多彩な資料にもとづき鮮やかに描く。
2005年3月16日刊行、543ページ。
著者について:
金子 務:公式サイト、ウィキペディア
1933年埼玉県生まれ。1957年東京大学教養学科(科学史・科学哲学)卒業。読売新聞記者、中央公論社編集者、大阪府立大学教授(総合情報センター所長)、図書館情報大学教授、平成帝京大学教授、放送大学客員教授をへて、大阪府立大学名誉教授、国際日本文化研究センター共同研究員、形の文化会会長、(財)日本科学協会理事。2020年12月16日、死去。
理数系書籍のレビュー記事は本書で478冊目。
本書はもともと1981年に単行本として刊行されていた。そして2005年の世界物理年を契機に文庫化されたものだ。世界物理年とは、その後の物理学に大きな影響を与えたアインシュタインによる5つの論文が発表された1905年を「奇跡の年」とし、その100年後の2005年をマイルストーンとして宣言したものだ。
第2巻の章立ては次のとおりである。
第2部:日本の文化と思想への衝撃 - アインシュタイン・エフェクト -
第1章:アインシュタインにとっての訪日体験
第2章:東北の月沈原とアインシュタイン
第3章:二人のアインシュタイン学者
第4章:アインシュタインと社会思想家たち
第5章:大正文化人の反応と感想
第6章:相対性理論のカルチュア・ショック
第7章:科学界への衝撃と影響
第8章:アインシュタインにおける平和と原爆
エピローグ:なぜアインシュタインか
付記1:大正年間における相対性理論関係者
付記2:アインシュタイン年譜
僕が関心を持っていることがらは、第3章までに集中していた。特に第3章が重要だ。アインシュタインの元を訪れた2人の物理学者、桑木彧雄と石原純についてである。相対性理論や黎明期の量子力学をどれだけ理解できていたかを知りたかった。
桑木彧雄がアインシュタインの元を訪れたのは、特殊相対性理論発表後まもなくである。もちろん桑木はこの理論が理解できていたことがわかった。また石原純がアインシュタインの元を訪れていたのは、一般相対性理論の構築に集中していた時期だ。この理論で重要な役割を果たすテンソル解析、そして重力と加速度の等価原理を石原が理解していたことが書かれていた。残念ながらヨーロッパでは1914年に第一次世界大戦が勃発したため、石原は理論の完成を見ることなく日本に帰国することになった。石原はドイツ滞在する中で、マックス・プランク、アインシュタインらが基礎をきづいた前期量子論も学学び、帰国後に相対論と量子論について計16篇の論文を書いている。
理論を正しく理解できていたからこそ、石原はその後の人生を相対性理論を一般読者に伝えるための啓蒙書、解説書の執筆をして過ごすことになる。そして石原のそのような人生を決定づけたのが、女流歌人原阿佐緒との不倫騒動である。このスキャンダルにより1921年にこの恋愛事件が新聞報道され、「阿佐緒によって男女の真情を知った」と述べて妻子を捨て、東北帝大教授という地位を捨てることになる。アインシュタイン来日はこの事件から1年3か月後のことで、博士の世話をした石原は当時休職中の身だった。もともと容姿に恵まれ、自らも離婚経験があるアインシュタイン博士は、石原のこのような状況をどのように思っていただろうか?(それについて、本書には書かれていない。)
本書の第4章では「宮沢賢治の四次元幻想」として、宮沢賢治のことが書かれている。賢治も相対性理論には関心を寄せていたはずだが、アインシュタイン来日のタイミングが悪かった。博士が日本に滞在したのは1922年11月17日から12月末までの43日間である。そして賢治の妹のトシが亡くなったのが同年の11月27日だった。最愛の妹の看病に全力をそそぎ、その甲斐もむくわれずにどん底の精神状態にあった賢治が、仙台で行われたアインシュタインの講演に出かけることができたはずがなかった。賢治が四次元幻想を含む「春と修羅」を刊行したのは1924年のことである。
あと、「第8章:アインシュタインにおける平和と原爆」についてである。原爆開発をルーズベルトに進言したことは最大の後悔として博士自身が述べているが、原爆開発と投下のプロセスに博士が一切のかかわりを持っていなかったのは明白である。そして戦後、この反省をもとに「世界政府」設立が必要だと訴え続けた。
しかし、博士の願いはかなえられることなく、東西冷戦、キューバ危機など核兵器お開発競争はとどまることを知らず、今日、キューバ危機以来で最大の危機を人類は迎えている。本書の単行本が出版されたのは1991年だ。
来月にはマンハッタン計画で原爆開発を主導した科学者オッペンハイマーの伝記映画が公開される。広島、長崎に投下された原爆についての責任は、アインシュタインよりもオッペンハイマーのほうがはるかに大きいと思う。原子核物理学(そして化学、バイオテクノロジー)は、人類の行く末に大きな影響をもっている。すでに開発されてしまった核兵器、化学兵器、生物兵器の使用をいかに防ぐかは、科学者を含む私たちすべての人間が真剣に取り組まなければならない課題だ。「言うは易く行うは難し」と手をこまねいていては何も進まない。
本書は絶版である。中古本はこちらからお求めいただきたい。
「アインシュタイン・ショック〈1〉大正日本を揺がせた四十三日間:金子務」(紹介記事)
「アインシュタイン・ショック〈2〉日本の文化と思想への衝撃:金子務」
関連ページ:
時は戦前。来日したアインシュタインを感動させた神秘の国ニッポン
https://www.mag2.com/p/news/242620
ア博士来日
http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/mukashino/2013031800011.html
アインシュタインが講演で来訪
https://www.qsr.mlit.go.jp/suishin/story2019/06_15.html
アインシュタインの来日 −日本の物理学へのインパクト
https://www.jstage.jst.go.jp/article/oubutsu/74/10/74_1293/_pdf
[ステンドグラス] アインシュタインと慶應義塾
https://www.keio.ac.jp/ja/contents/stained_glass/2005/248.html
アルベルト・アインシュタインと日本
http://www.yorozubp.com/0502/050228.htm
こんな記事、読めます No.29「アインシュタイン来日」(雑誌『改造』ほか)
https://www.library.pref.kyoto.jp/?pickupkiji=32451
アインシュタインの来日100周年記念
https://japan.diplo.de/ja-ja/aktuelles/-/2516626
関連記事:
アインシュタイン・ショック〈1〉大正日本を揺がせた四十三日間:金子務
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/b43c8abe0ea752c36df0366f441474b7
神は老獪にして…: アブラハム・パイス
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d9258ed7a2d52173116ccd6e61ba0881
アインシュタインここに生きる: アブラハム・パイス
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/4e64de68cf38281792de9a34fc249ad5
だれが原子をみたか(岩波現代文庫):江沢洋
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/0f1e91e296d8d83ff2759c2de190be57
アインシュタインの反乱と量子コンピュータ: 佐藤文隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/9fa38724ad6881636cdff2903ee14a5b
アインシュタイン選集 1 ―特殊相対性理論・量子論・ブラウン運動―
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/26d6fc929bf7b9f0fc1e2a210882f559
アインシュタイン選集 2 ―一般相対性理論および統一場理論―
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d3d0869ab3911e84845b5b121bd1aa3e
アインシュタイン回顧録:アルベルト・アインシュタイン
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/2481867f87eeb2269e39426b36ea568f
一般相対性理論に挑戦しよう!
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/ea7ad9292ce01ad4abbbc8c98f3303d0
「アインシュタイン・ショック〈2〉日本の文化と思想への衝撃:金子務」
第2部:日本の文化と思想への衝撃 - アインシュタイン・エフェクト -
第1章:アインシュタインにとっての訪日体験
第2章:東北の月沈原とアインシュタイン
- 東北ルネッサンスの星たち
- アインシュタインを迎えた杜の都
第3章:二人のアインシュタイン学者
- 桑木彧雄 -- 歌わぬ物理学者
- 石原純 -- 恋と歌と研究と
第4章:アインシュタインと社会思想家たち
- レーニンとアインシュタイン
- 国際連盟における新渡戸稲造との交流
- 帝大新人会と種蒔く人
- 賀川豊彦と室伏高信
- 山宣とアインシュタイン -- 知識階級論
第5章:大正文化人の反応と感想
第6章:相対性理論のカルチュア・ショック
- 感覚への異議申立て -- 寺田寅彦と横光利一
- 認識の枠組への衝撃 -- 哲学する群像
- 経済学におけるアプリオリ論争
- 石原純の新短歌運動
- 宮沢賢治の四次元幻想
第7章:科学界への衝撃と影響
- 各国科学界の反応の違い
- 特別講義と反相対論者 -- 科学界のプロ・アンド・コン
- 旅行中の研究と態度
- 若手科学者への影響
- 科学の啓蒙とは何か
第8章:アインシュタインにおける平和と原爆
- 世界政府運動をめぐって
- 原爆責任と「私の弁明」
エピローグ:なぜアインシュタインか
付記1:大正年間における相対性理論関係者
付記2:アインシュタイン年譜
註
あとがき
人名索引
内容紹介:
光を曲げた革命児の来日は大正日本に熱狂的な興奮を巻き起こし、その影響は遠く昭和の時代にまで及ぶ。科学界だけでなく文学・思想・宗教各界や知識人たちは、アインシュタイン博士の思想や人格、相対性理論といかに切り結んでいったのか。そして原爆投下の責任をめぐって日本人とアインシュタインはどのようなやりとりをしたのか。日本と人間性豊かな天才物理学者の関係を多彩な資料にもとづき鮮やかに描く。
2005年3月16日刊行、543ページ。
著者について:
金子 務:公式サイト、ウィキペディア
1933年埼玉県生まれ。1957年東京大学教養学科(科学史・科学哲学)卒業。読売新聞記者、中央公論社編集者、大阪府立大学教授(総合情報センター所長)、図書館情報大学教授、平成帝京大学教授、放送大学客員教授をへて、大阪府立大学名誉教授、国際日本文化研究センター共同研究員、形の文化会会長、(財)日本科学協会理事。2020年12月16日、死去。
理数系書籍のレビュー記事は本書で478冊目。
本書はもともと1981年に単行本として刊行されていた。そして2005年の世界物理年を契機に文庫化されたものだ。世界物理年とは、その後の物理学に大きな影響を与えたアインシュタインによる5つの論文が発表された1905年を「奇跡の年」とし、その100年後の2005年をマイルストーンとして宣言したものだ。
第2巻の章立ては次のとおりである。
第2部:日本の文化と思想への衝撃 - アインシュタイン・エフェクト -
第1章:アインシュタインにとっての訪日体験
第2章:東北の月沈原とアインシュタイン
第3章:二人のアインシュタイン学者
第4章:アインシュタインと社会思想家たち
第5章:大正文化人の反応と感想
第6章:相対性理論のカルチュア・ショック
第7章:科学界への衝撃と影響
第8章:アインシュタインにおける平和と原爆
エピローグ:なぜアインシュタインか
付記1:大正年間における相対性理論関係者
付記2:アインシュタイン年譜
僕が関心を持っていることがらは、第3章までに集中していた。特に第3章が重要だ。アインシュタインの元を訪れた2人の物理学者、桑木彧雄と石原純についてである。相対性理論や黎明期の量子力学をどれだけ理解できていたかを知りたかった。
桑木彧雄がアインシュタインの元を訪れたのは、特殊相対性理論発表後まもなくである。もちろん桑木はこの理論が理解できていたことがわかった。また石原純がアインシュタインの元を訪れていたのは、一般相対性理論の構築に集中していた時期だ。この理論で重要な役割を果たすテンソル解析、そして重力と加速度の等価原理を石原が理解していたことが書かれていた。残念ながらヨーロッパでは1914年に第一次世界大戦が勃発したため、石原は理論の完成を見ることなく日本に帰国することになった。石原はドイツ滞在する中で、マックス・プランク、アインシュタインらが基礎をきづいた前期量子論も学学び、帰国後に相対論と量子論について計16篇の論文を書いている。
理論を正しく理解できていたからこそ、石原はその後の人生を相対性理論を一般読者に伝えるための啓蒙書、解説書の執筆をして過ごすことになる。そして石原のそのような人生を決定づけたのが、女流歌人原阿佐緒との不倫騒動である。このスキャンダルにより1921年にこの恋愛事件が新聞報道され、「阿佐緒によって男女の真情を知った」と述べて妻子を捨て、東北帝大教授という地位を捨てることになる。アインシュタイン来日はこの事件から1年3か月後のことで、博士の世話をした石原は当時休職中の身だった。もともと容姿に恵まれ、自らも離婚経験があるアインシュタイン博士は、石原のこのような状況をどのように思っていただろうか?(それについて、本書には書かれていない。)
本書の第4章では「宮沢賢治の四次元幻想」として、宮沢賢治のことが書かれている。賢治も相対性理論には関心を寄せていたはずだが、アインシュタイン来日のタイミングが悪かった。博士が日本に滞在したのは1922年11月17日から12月末までの43日間である。そして賢治の妹のトシが亡くなったのが同年の11月27日だった。最愛の妹の看病に全力をそそぎ、その甲斐もむくわれずにどん底の精神状態にあった賢治が、仙台で行われたアインシュタインの講演に出かけることができたはずがなかった。賢治が四次元幻想を含む「春と修羅」を刊行したのは1924年のことである。
あと、「第8章:アインシュタインにおける平和と原爆」についてである。原爆開発をルーズベルトに進言したことは最大の後悔として博士自身が述べているが、原爆開発と投下のプロセスに博士が一切のかかわりを持っていなかったのは明白である。そして戦後、この反省をもとに「世界政府」設立が必要だと訴え続けた。
しかし、博士の願いはかなえられることなく、東西冷戦、キューバ危機など核兵器お開発競争はとどまることを知らず、今日、キューバ危機以来で最大の危機を人類は迎えている。本書の単行本が出版されたのは1991年だ。
来月にはマンハッタン計画で原爆開発を主導した科学者オッペンハイマーの伝記映画が公開される。広島、長崎に投下された原爆についての責任は、アインシュタインよりもオッペンハイマーのほうがはるかに大きいと思う。原子核物理学(そして化学、バイオテクノロジー)は、人類の行く末に大きな影響をもっている。すでに開発されてしまった核兵器、化学兵器、生物兵器の使用をいかに防ぐかは、科学者を含む私たちすべての人間が真剣に取り組まなければならない課題だ。「言うは易く行うは難し」と手をこまねいていては何も進まない。
本書は絶版である。中古本はこちらからお求めいただきたい。
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関連ページ:
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ア博士来日
http://www.asahi.com/special/kotoba/archive2015/mukashino/2013031800011.html
アインシュタインが講演で来訪
https://www.qsr.mlit.go.jp/suishin/story2019/06_15.html
アインシュタインの来日 −日本の物理学へのインパクト
https://www.jstage.jst.go.jp/article/oubutsu/74/10/74_1293/_pdf
[ステンドグラス] アインシュタインと慶應義塾
https://www.keio.ac.jp/ja/contents/stained_glass/2005/248.html
アルベルト・アインシュタインと日本
http://www.yorozubp.com/0502/050228.htm
こんな記事、読めます No.29「アインシュタイン来日」(雑誌『改造』ほか)
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アインシュタインの来日100周年記念
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アインシュタイン・ショック〈1〉大正日本を揺がせた四十三日間:金子務
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アインシュタイン選集 2 ―一般相対性理論および統一場理論―
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第2部:日本の文化と思想への衝撃 - アインシュタイン・エフェクト -
第1章:アインシュタインにとっての訪日体験
第2章:東北の月沈原とアインシュタイン
- 東北ルネッサンスの星たち
- アインシュタインを迎えた杜の都
第3章:二人のアインシュタイン学者
- 桑木彧雄 -- 歌わぬ物理学者
- 石原純 -- 恋と歌と研究と
第4章:アインシュタインと社会思想家たち
- レーニンとアインシュタイン
- 国際連盟における新渡戸稲造との交流
- 帝大新人会と種蒔く人
- 賀川豊彦と室伏高信
- 山宣とアインシュタイン -- 知識階級論
第5章:大正文化人の反応と感想
第6章:相対性理論のカルチュア・ショック
- 感覚への異議申立て -- 寺田寅彦と横光利一
- 認識の枠組への衝撃 -- 哲学する群像
- 経済学におけるアプリオリ論争
- 石原純の新短歌運動
- 宮沢賢治の四次元幻想
第7章:科学界への衝撃と影響
- 各国科学界の反応の違い
- 特別講義と反相対論者 -- 科学界のプロ・アンド・コン
- 旅行中の研究と態度
- 若手科学者への影響
- 科学の啓蒙とは何か
第8章:アインシュタインにおける平和と原爆
- 世界政府運動をめぐって
- 原爆責任と「私の弁明」
エピローグ:なぜアインシュタインか
付記1:大正年間における相対性理論関係者
付記2:アインシュタイン年譜
註
あとがき
人名索引