「原子・原子核・原子力―わたしが講義で伝えたかったこと:山本義隆」
内容紹介:
福島の原発事故後、「α 線」「セシウム」といった言葉が日常に入り込んでいる。一人ひとりが避けて通れない問題をなおかかえる現在、自分でものごとを判断するために、科学者の発見や研究の歴史に関するさまざまな話題をまじえ、原子・原子核について基礎からやさしく解説する物理学の入門書。
原子・原子核について基礎から学び、原子力について理解を深めるために、科学上の発見や研究の発展を歴史的にたどりながら、ていねいに解説する、物理学の入門書。福島原発の事故以来、後の世代にとてつもなく大きな負債をつくってしまった我々に何ができるか、問い続けてきた著者が、2013年に駿台予備学校千葉校で行なった記念講演(開校20周年、ボーア原子模型100周年)に基づくもので、やさしい語り口で記される。
2015年3月刊行、240ページ
著者について:
山本義隆(やまもとよしたか)
1941年大阪生まれ。大阪府出身。大阪市立船場中学校、大阪府立大手前高等学校卒業。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。 東京大学大学院博士課程中退。
1960年代、学生運動が盛んだったころに東大全共闘議長を務める。1969年の安田講堂事件前に警察の指名手配を受け地下に潜伏するが、同年9月の日比谷での全国全共闘連合結成大会の会場で警察当局に逮捕された。日大全共闘議長の秋田明大とともに、全共闘を象徴する存在であった。
学生時代より秀才でならし、大学では物理学科に進んで素粒子論を専攻した。大学院在学中には、京都大学の湯川秀樹研究室に国内留学しており、物理学者としての将来を嘱望されていたが、学生運動の後に大学を去り、大学での研究生活に戻ることはなかった。
その後は予備校教師に転じ、駿台予備学校では「東大物理」などのクラスに出講している。一方で科学史を研究しており、当初エルンスト・カッシーラーの優れた翻訳で知られたが、後に熱学・熱力学や力学など物理学を中心とした自然思想史の研究に従事し今日に至っている。遠隔力概念の発展史についての研究をまとめた『磁力と重力の発見』全3巻は、第1回パピルス賞、第57回毎日出版文化賞、第30回大佛次郎賞を受賞して読書界の話題となった。
山本義隆: ウィキペディアの記事 Amazonで著書を検索
理数系書籍のレビュー記事は本書で281冊目。
鹿児島県の川内原発1号機が今月11日に再稼動し、来月10日に営業運転を始めるそうなので、原発についてもう一度考えてみようと思い本書を読んでみた。今年3月に刊行されたばかりの山本義隆先生の最新刊である。
若い方にとって山本先生は駿台予備校の物理の先生、僕のような科学ファンにとっては「磁力と重力の発見」をはじめ数々の科学史本をお書きになった知の巨人である。そして団塊の世代以上の方にとっては「東大全共闘のリーダー」としての印象が残っているだろう。
山本義隆 元全共闘議長 東大闘争語る(2014年10月):ページを開く
山本義隆『知性の叛乱』:ページを開く
本書は2013年3月に駿台予備校の千葉校で高校生、受験生、そして大学入学が決まった若者に対して山本先生がおこなった「原子・原子核・原子力」という特別講演の講演内容を3倍に加筆して出版した本だ。
高校3年までで学ぶ物理や数学の範囲の数式を使って解説が進むので、本書では明らかにされていないが、聴講生は理数系の学生がほとんどだったのだろうと僕は想像している。
章立ては次のとおりだ。
はじめに
第1章:原子論のはじまり
第2章:イオンと電子の発見
第3章:X線と放射線の発見
第4章:アインシュタインと光子仮説
第5章:原子モデルをめぐって
第6章:原子核について
第7章:原爆と原発
あとがき
索引
断片的な知識や公式の丸暗記になりがちな受験勉強としての物理に慣れてしまった聴講生には古代ギリシャの四元素説からはじまり、原子論の誕生、原子内部の構造がどのように解明されてきたかを順序だてて理解するのはさぞかし新鮮で刺激的な体験だったろうと僕は思った。
実際に人類がたどった自然科学の解明の歴史は、正しい知識と誤解が交錯した試行錯誤の過程を経て、そしてさらに互いの知識が影響を与えているので、ありのままの姿を講演という短い時間で述べるわけにはいかない。そこである程度の厳密性を犠牲にしつつ、整理した形、理数系高校生にも理解できる範囲で解説しているのが本書の特長だ。
はじめに原子ありき、電子ありきで「覚える」のではなく、どのようにしてそれらを発見していったかという過程が教科書や受験参考書にはない面白さを若者に与えるのだと思う。
少なくとも第1章と第2章は「だれが原子をみたか(岩波現代文庫):江沢洋」、「新版 電子と原子核の発見(ちくま学芸文庫):S.ワインバーグ」のように純粋に科学的興味だけで読み進められる本だった。
第3章の「X線と放射線の発見」あたりから、物理学としての話の中に原子力のもつ負の側面、人体におよぼす危険性についての記述が見られるようになる。ポロニウムとラジウムの発見で知られるマリー・キュリーをはじめ、世界初の原子炉開発の陣頭指揮をとったエンリコ・フェルミ、マンハッタン計画に参加したリチャード・ファインマン、広島に原爆投下された2日後に市内を調査してまわった仁科芳雄などの物理学者が癌で亡くなっていることが紹介されている。
キュリー夫人の研究用ノートは100年が経過した今も放射線を出している
http://gigazine.net/news/20150802-marie-curie-paper-still-radioactive/
物理学としての計算をしながら定量的な理解を助け、正確な知識を伝えることで原子力の危険性を明確に示している。理数系の聴講生にはいちばんストレートに伝わるだろうし、聴講生のうち何割かは将来電力関連企業や開発を担う企業のエンジニアになるかもしれないから、対象を理数系に絞った講演や著書でも大きな意味がある。
本書の中で最も重要でページ数が多く割かれているのが第5章「原子核について」と第6章「原爆と原発」である。
本書全体を通じて、ほとんどの事柄を僕はすでに知っていたが、これら2つの章には知らなかったこと、気がついていなかったことがいくつかあった。たとえばそれは次のような事柄である。
- アインシュタインが提唱した質量とエネルギーの同等性(E=mc^2)、つまり核分裂では質量があらかたエネルギーに変換されるかのように書かれている本があるが、それは完全に間違いだということ。(それは具体的な計算によって本書に示されている。)
- 原発や原子爆弾開発に必要な原子炉の技術は第二次大戦という異常な状況下、国家の強制によって極めて短い期間に開発された技術で、安全性についての要件は無視されていたこと。
- 核エネルギーについての物理学的実験と工業的レベルの実現とでは規模が違うだけではなく、全く別の意味合いを持つものであること。後者には解決しなければならない多くの問題があること。
- 出力100万キロワット規模の原発を1日稼動させるのに必要とするウランは1日あたり広島型原爆1つぶんに相当し、1年稼動させると広島型原爆が撒き散らした「死の灰」の約1000倍の「死の灰」を残すこと。現在日本全体では使用済み核燃料が1万6千トン残されていて、最終的な処分方法が決められないでいること。
- 原発に利用できるウランはあと100年から200年ぶんしか地上に存在しないこと。人類の歴史からすればそのようにわずかな期間に、数十万年にわたって毒性の消えない廃棄物を残すことになる。十万年のスケールでそれを安全に保管する方法には全くめどがたっていないこと。
- 原発は発電に要した熱の倍の量の熱を「温廃水」として海に流すため、海洋に対する熱汚染が深刻であること。また取水口に使われている化学薬品がプランクトン、えびや蟹の幼生や魚を殺し、海洋汚染の原因になっていること。
あげればきりがないが、説得力じゅうぶんである。
駿台予備校という半ば公な場所であり、そして物理学を主軸に進めた講演なので、政治的にセンシティブな話題は分量が抑えられているが、それでも日本の原発開発を推進してきた「原子力村」と呼ばれる集団の無責任性と独善性については山本先生のお考えがはっきり述べられている。
時節柄、国会や世論の関心は「集団的安全保障」に傾き、原発についての議論はずいぶん減ってしまった。特に再稼動を判断するための「活断層があるかどうか」や「使用済み核燃料の保管方法」の話題はすっかり忘れ去られているように思える。
本書の「まえがき」に山本先生は次のようにお書きになっている。
「実は10年くらい前までには、大学の入試に原子・原子核の分野がありました。もちろん、駿台でも授業でやっていました。ところが、大学の入試で出さなくてもよいとなってから、ほとんどの大学で出題しなくなりました。10年くらい前までの受験生は、原子・原子核についての最低限の知識はもっていたのだけれど、今はそんな知識がまったくないまま大学に入ってしまっているのです。また2年ほど先に復活するらしいのですが、この10年間ほどの受験生には、その方面の知識が低下ないしは欠落しているわけです。」
ということで本書は「高校生にお勧めする30冊の物理学、数学書籍」という記事にも追加しておいた。
原子や原子核についての知識を補う意味で、(数式アレルギーのない方は)ぜひ本書をお読みになっていただきたい。
2011年に山本先生がお書きになった次の本も紹介しておこう。「原子・原子核・原子力―わたしが講義で伝えたかったこと:山本義隆」とはまた別の切り口で、日本が推進してきた原子力政策の問題点を解説したもの。こちらは数式のでてこない本なので理数系が苦手な方でも読める本だ。
「福島の原発事故をめぐって― いくつか学び考えたこと:山本義隆」(Kindle版)(紹介記事)
「まえがき」より
事故発生以来、日本の原発政策を推進してきた電力会社と経済産業省(旧通産省)と東京大学工学部原子力工学科を中心とする学者グループ、そして自民党の族議員たちからなる「原子力村」と称される集団の、内部的には無批判に馴れ合い外部的にはいっさい批判を受け入れない無責任性と独善性が明るみにひきだされている。
学者グループの安全宣伝が、想定される過酷事故への備えを妨げ、営利至上の電力会社は津波にたいする対策を怠り、これまでの事故のたびに見られた隠蔽体質が事故発生後の対応の不手際をもたらし、これらのことがあいまって被害を大きくしたことは否めない。その責任は重大であり、しかるべくその責任を問わなければならない。
本質的な問題は、政権党(自民党)の有力政治家とエリート官僚のイニシアティブにより、札束の力で地元の反対を押しつぶし地域社会の共同性を破壊してまで、遮二無二原発建設を推進してきたこと自体にある。
ご注意: 今日の記事は人によって考え方、感じ方が大きく分かれるセンシティブなテーマなので、内容によってはいただくコメントの公開を承認しないことがありますのでご注意下さい。
関連記事:
福島の原発事故をめぐって― いくつか学び考えたこと:山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/7940dcbcf9929b45269dc9efae303848
新・物理入門(増補改訂版):山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/8ea0ef12c20ef703b81afe2752b4c3a2
熱学思想の史的展開〈1〉:山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d1b18caf10c0e9a10baff20434eb9ffc
熱学思想の史的展開〈2〉:山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/f852e9510c040c23ae18c4da6df2dcbf
熱学思想の史的展開〈3〉:山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/c4f5c84e9854ddd2e60a1300044c9efc
発売情報: 世界の見方の転換 1~3: 山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/0847cdea93a530854efbbb325ab5c147
知ろうとすること。(新潮文庫): 早野龍五、糸井重里
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/a4ef77bfa321388003c87214d7367b3d
だれが原子をみたか(岩波現代文庫):江沢洋
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/0f1e91e296d8d83ff2759c2de190be57
新版 電子と原子核の発見(ちくま学芸文庫):S.ワインバーグ
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d6244b03bafe78c8c2316c91342df73e
応援クリックをお願いします!
「原子・原子核・原子力―わたしが講義で伝えたかったこと:山本義隆」
はじめに
第1章:原子論のはじまり
- 化学原子論
- 歴史的な語りについて
- 力学のおさらい
- 気体分子運動論
第2章:イオンと電子の発見
- 重力をめぐって
- 電磁気学の初歩
- 電気分解の法則
- 電子の発見
第3章:X線と放射線の発見
- レントゲンとX線の発見
- ベクレルとキュリー夫妻
- 放射線をめぐって
- 放射線の人体への影響
第4章:アインシュタインと光子仮説
- 光電効果をめぐって
- 放射線のエネルギー
- 光子の波動性と粒子性
- アインシュタインについて
第5章:原子モデルをめぐって
- 有核原子
- 原子の古典モデルとその問題点
- ボーアの原子モデル
- 一般の原子について
- モーズリーの悲劇
第6章:原子核について
- 放射性元素の崩壊
- 核物理学のはじまり
- 核力と核エネルギー
- 核分裂と連鎖反応の発見
第7章:原爆と原発
- 原子爆弾について
- 原発の事故について
- 使用済み核燃料の問題
- 原発と環境汚染・被曝労働
- 放射線の危険について
あとがき
索引
内容紹介:
福島の原発事故後、「α 線」「セシウム」といった言葉が日常に入り込んでいる。一人ひとりが避けて通れない問題をなおかかえる現在、自分でものごとを判断するために、科学者の発見や研究の歴史に関するさまざまな話題をまじえ、原子・原子核について基礎からやさしく解説する物理学の入門書。
原子・原子核について基礎から学び、原子力について理解を深めるために、科学上の発見や研究の発展を歴史的にたどりながら、ていねいに解説する、物理学の入門書。福島原発の事故以来、後の世代にとてつもなく大きな負債をつくってしまった我々に何ができるか、問い続けてきた著者が、2013年に駿台予備学校千葉校で行なった記念講演(開校20周年、ボーア原子模型100周年)に基づくもので、やさしい語り口で記される。
2015年3月刊行、240ページ
著者について:
山本義隆(やまもとよしたか)
1941年大阪生まれ。大阪府出身。大阪市立船場中学校、大阪府立大手前高等学校卒業。1964年、東京大学理学部物理学科卒業。 東京大学大学院博士課程中退。
1960年代、学生運動が盛んだったころに東大全共闘議長を務める。1969年の安田講堂事件前に警察の指名手配を受け地下に潜伏するが、同年9月の日比谷での全国全共闘連合結成大会の会場で警察当局に逮捕された。日大全共闘議長の秋田明大とともに、全共闘を象徴する存在であった。
学生時代より秀才でならし、大学では物理学科に進んで素粒子論を専攻した。大学院在学中には、京都大学の湯川秀樹研究室に国内留学しており、物理学者としての将来を嘱望されていたが、学生運動の後に大学を去り、大学での研究生活に戻ることはなかった。
その後は予備校教師に転じ、駿台予備学校では「東大物理」などのクラスに出講している。一方で科学史を研究しており、当初エルンスト・カッシーラーの優れた翻訳で知られたが、後に熱学・熱力学や力学など物理学を中心とした自然思想史の研究に従事し今日に至っている。遠隔力概念の発展史についての研究をまとめた『磁力と重力の発見』全3巻は、第1回パピルス賞、第57回毎日出版文化賞、第30回大佛次郎賞を受賞して読書界の話題となった。
山本義隆: ウィキペディアの記事 Amazonで著書を検索
理数系書籍のレビュー記事は本書で281冊目。
鹿児島県の川内原発1号機が今月11日に再稼動し、来月10日に営業運転を始めるそうなので、原発についてもう一度考えてみようと思い本書を読んでみた。今年3月に刊行されたばかりの山本義隆先生の最新刊である。
若い方にとって山本先生は駿台予備校の物理の先生、僕のような科学ファンにとっては「磁力と重力の発見」をはじめ数々の科学史本をお書きになった知の巨人である。そして団塊の世代以上の方にとっては「東大全共闘のリーダー」としての印象が残っているだろう。
山本義隆 元全共闘議長 東大闘争語る(2014年10月):ページを開く
山本義隆『知性の叛乱』:ページを開く
本書は2013年3月に駿台予備校の千葉校で高校生、受験生、そして大学入学が決まった若者に対して山本先生がおこなった「原子・原子核・原子力」という特別講演の講演内容を3倍に加筆して出版した本だ。
高校3年までで学ぶ物理や数学の範囲の数式を使って解説が進むので、本書では明らかにされていないが、聴講生は理数系の学生がほとんどだったのだろうと僕は想像している。
章立ては次のとおりだ。
はじめに
第1章:原子論のはじまり
第2章:イオンと電子の発見
第3章:X線と放射線の発見
第4章:アインシュタインと光子仮説
第5章:原子モデルをめぐって
第6章:原子核について
第7章:原爆と原発
あとがき
索引
断片的な知識や公式の丸暗記になりがちな受験勉強としての物理に慣れてしまった聴講生には古代ギリシャの四元素説からはじまり、原子論の誕生、原子内部の構造がどのように解明されてきたかを順序だてて理解するのはさぞかし新鮮で刺激的な体験だったろうと僕は思った。
実際に人類がたどった自然科学の解明の歴史は、正しい知識と誤解が交錯した試行錯誤の過程を経て、そしてさらに互いの知識が影響を与えているので、ありのままの姿を講演という短い時間で述べるわけにはいかない。そこである程度の厳密性を犠牲にしつつ、整理した形、理数系高校生にも理解できる範囲で解説しているのが本書の特長だ。
はじめに原子ありき、電子ありきで「覚える」のではなく、どのようにしてそれらを発見していったかという過程が教科書や受験参考書にはない面白さを若者に与えるのだと思う。
少なくとも第1章と第2章は「だれが原子をみたか(岩波現代文庫):江沢洋」、「新版 電子と原子核の発見(ちくま学芸文庫):S.ワインバーグ」のように純粋に科学的興味だけで読み進められる本だった。
第3章の「X線と放射線の発見」あたりから、物理学としての話の中に原子力のもつ負の側面、人体におよぼす危険性についての記述が見られるようになる。ポロニウムとラジウムの発見で知られるマリー・キュリーをはじめ、世界初の原子炉開発の陣頭指揮をとったエンリコ・フェルミ、マンハッタン計画に参加したリチャード・ファインマン、広島に原爆投下された2日後に市内を調査してまわった仁科芳雄などの物理学者が癌で亡くなっていることが紹介されている。
キュリー夫人の研究用ノートは100年が経過した今も放射線を出している
http://gigazine.net/news/20150802-marie-curie-paper-still-radioactive/
物理学としての計算をしながら定量的な理解を助け、正確な知識を伝えることで原子力の危険性を明確に示している。理数系の聴講生にはいちばんストレートに伝わるだろうし、聴講生のうち何割かは将来電力関連企業や開発を担う企業のエンジニアになるかもしれないから、対象を理数系に絞った講演や著書でも大きな意味がある。
本書の中で最も重要でページ数が多く割かれているのが第5章「原子核について」と第6章「原爆と原発」である。
本書全体を通じて、ほとんどの事柄を僕はすでに知っていたが、これら2つの章には知らなかったこと、気がついていなかったことがいくつかあった。たとえばそれは次のような事柄である。
- アインシュタインが提唱した質量とエネルギーの同等性(E=mc^2)、つまり核分裂では質量があらかたエネルギーに変換されるかのように書かれている本があるが、それは完全に間違いだということ。(それは具体的な計算によって本書に示されている。)
- 原発や原子爆弾開発に必要な原子炉の技術は第二次大戦という異常な状況下、国家の強制によって極めて短い期間に開発された技術で、安全性についての要件は無視されていたこと。
- 核エネルギーについての物理学的実験と工業的レベルの実現とでは規模が違うだけではなく、全く別の意味合いを持つものであること。後者には解決しなければならない多くの問題があること。
- 出力100万キロワット規模の原発を1日稼動させるのに必要とするウランは1日あたり広島型原爆1つぶんに相当し、1年稼動させると広島型原爆が撒き散らした「死の灰」の約1000倍の「死の灰」を残すこと。現在日本全体では使用済み核燃料が1万6千トン残されていて、最終的な処分方法が決められないでいること。
- 原発に利用できるウランはあと100年から200年ぶんしか地上に存在しないこと。人類の歴史からすればそのようにわずかな期間に、数十万年にわたって毒性の消えない廃棄物を残すことになる。十万年のスケールでそれを安全に保管する方法には全くめどがたっていないこと。
- 原発は発電に要した熱の倍の量の熱を「温廃水」として海に流すため、海洋に対する熱汚染が深刻であること。また取水口に使われている化学薬品がプランクトン、えびや蟹の幼生や魚を殺し、海洋汚染の原因になっていること。
あげればきりがないが、説得力じゅうぶんである。
駿台予備校という半ば公な場所であり、そして物理学を主軸に進めた講演なので、政治的にセンシティブな話題は分量が抑えられているが、それでも日本の原発開発を推進してきた「原子力村」と呼ばれる集団の無責任性と独善性については山本先生のお考えがはっきり述べられている。
時節柄、国会や世論の関心は「集団的安全保障」に傾き、原発についての議論はずいぶん減ってしまった。特に再稼動を判断するための「活断層があるかどうか」や「使用済み核燃料の保管方法」の話題はすっかり忘れ去られているように思える。
本書の「まえがき」に山本先生は次のようにお書きになっている。
「実は10年くらい前までには、大学の入試に原子・原子核の分野がありました。もちろん、駿台でも授業でやっていました。ところが、大学の入試で出さなくてもよいとなってから、ほとんどの大学で出題しなくなりました。10年くらい前までの受験生は、原子・原子核についての最低限の知識はもっていたのだけれど、今はそんな知識がまったくないまま大学に入ってしまっているのです。また2年ほど先に復活するらしいのですが、この10年間ほどの受験生には、その方面の知識が低下ないしは欠落しているわけです。」
ということで本書は「高校生にお勧めする30冊の物理学、数学書籍」という記事にも追加しておいた。
原子や原子核についての知識を補う意味で、(数式アレルギーのない方は)ぜひ本書をお読みになっていただきたい。
2011年に山本先生がお書きになった次の本も紹介しておこう。「原子・原子核・原子力―わたしが講義で伝えたかったこと:山本義隆」とはまた別の切り口で、日本が推進してきた原子力政策の問題点を解説したもの。こちらは数式のでてこない本なので理数系が苦手な方でも読める本だ。
「福島の原発事故をめぐって― いくつか学び考えたこと:山本義隆」(Kindle版)(紹介記事)
「まえがき」より
事故発生以来、日本の原発政策を推進してきた電力会社と経済産業省(旧通産省)と東京大学工学部原子力工学科を中心とする学者グループ、そして自民党の族議員たちからなる「原子力村」と称される集団の、内部的には無批判に馴れ合い外部的にはいっさい批判を受け入れない無責任性と独善性が明るみにひきだされている。
学者グループの安全宣伝が、想定される過酷事故への備えを妨げ、営利至上の電力会社は津波にたいする対策を怠り、これまでの事故のたびに見られた隠蔽体質が事故発生後の対応の不手際をもたらし、これらのことがあいまって被害を大きくしたことは否めない。その責任は重大であり、しかるべくその責任を問わなければならない。
本質的な問題は、政権党(自民党)の有力政治家とエリート官僚のイニシアティブにより、札束の力で地元の反対を押しつぶし地域社会の共同性を破壊してまで、遮二無二原発建設を推進してきたこと自体にある。
ご注意: 今日の記事は人によって考え方、感じ方が大きく分かれるセンシティブなテーマなので、内容によってはいただくコメントの公開を承認しないことがありますのでご注意下さい。
関連記事:
福島の原発事故をめぐって― いくつか学び考えたこと:山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/7940dcbcf9929b45269dc9efae303848
新・物理入門(増補改訂版):山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/8ea0ef12c20ef703b81afe2752b4c3a2
熱学思想の史的展開〈1〉:山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d1b18caf10c0e9a10baff20434eb9ffc
熱学思想の史的展開〈2〉:山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/f852e9510c040c23ae18c4da6df2dcbf
熱学思想の史的展開〈3〉:山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/c4f5c84e9854ddd2e60a1300044c9efc
発売情報: 世界の見方の転換 1~3: 山本義隆
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/0847cdea93a530854efbbb325ab5c147
知ろうとすること。(新潮文庫): 早野龍五、糸井重里
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/a4ef77bfa321388003c87214d7367b3d
だれが原子をみたか(岩波現代文庫):江沢洋
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/0f1e91e296d8d83ff2759c2de190be57
新版 電子と原子核の発見(ちくま学芸文庫):S.ワインバーグ
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/d6244b03bafe78c8c2316c91342df73e
応援クリックをお願いします!
「原子・原子核・原子力―わたしが講義で伝えたかったこと:山本義隆」
はじめに
第1章:原子論のはじまり
- 化学原子論
- 歴史的な語りについて
- 力学のおさらい
- 気体分子運動論
第2章:イオンと電子の発見
- 重力をめぐって
- 電磁気学の初歩
- 電気分解の法則
- 電子の発見
第3章:X線と放射線の発見
- レントゲンとX線の発見
- ベクレルとキュリー夫妻
- 放射線をめぐって
- 放射線の人体への影響
第4章:アインシュタインと光子仮説
- 光電効果をめぐって
- 放射線のエネルギー
- 光子の波動性と粒子性
- アインシュタインについて
第5章:原子モデルをめぐって
- 有核原子
- 原子の古典モデルとその問題点
- ボーアの原子モデル
- 一般の原子について
- モーズリーの悲劇
第6章:原子核について
- 放射性元素の崩壊
- 核物理学のはじまり
- 核力と核エネルギー
- 核分裂と連鎖反応の発見
第7章:原爆と原発
- 原子爆弾について
- 原発の事故について
- 使用済み核燃料の問題
- 原発と環境汚染・被曝労働
- 放射線の危険について
あとがき
索引
コメントありがとうございます。おっしゃるとおりだと思います。
核エネルギーを使わずとも他のエネルギーでじゅうぶんまかなえることは、本書にも書かれていました。
大震災があるなしにかかわらず、核廃棄物の安全な処理ができない以上、使うべきではありません。
わたくしも微力ながら、原子論や放射線に関してできるだけ分かりやすくをモットーに解説に努めておりますが、浅学なもので、必ずしも適切な解説ができておりません。今回ご紹介いただいた山本先生の本は早速入手して、読んでみようと思います。今後とも、貴ブログにて展開される様々なお話を楽しみに致しております。
(最近科学解説書(?)をアマゾン電子書籍にて出版いたしました。「腸内フローラ、ケトン体、ココナツオイルー秘密は全て縄文以前の暮らしにあった」です。万一お読みくださり、好評など頂けたら望外の幸せであります)
はじめまして。コメントをいただき、ありがとうございます。
虹法師さまのブログはこちらですね。さっそく読ませていただきます。
目指そう放射線主任
http://blog.livedoor.jp/nijhousi/
医療系、生物学系はほとんど知識がないのでと思いつつ、著書の説明を読ませていただきました。縄文時代へ思いを馳せるロマンもあり、専門外の人でも楽しく読み進められそうな本ですね。値段も高くないので、さしあたり購入させていただきます。