心に残るあの名作が野島伸司さん脚本でドラマ化された。原作は累計330万部の不朽の名作である。
僕が昔読んだのはこのような装丁の単行本だった。現在アマゾンからは買えないようだ。
ウィキペディアの「アルジャーノンに花束を」を見ると2002年にユースケ・サンタマリアさん主演でドラマ化されていたようだ。(僕は見ていなかった。)映画化は3度もされている。(1968年、2000年、2006年)
先週金曜から放送されているドラマのホームページはこちら。
アルジャーノンに花束を(金曜夜10時)
http://www.tbs.co.jp/algernon2015/
第1回の放送を見たところ、原作とは違った設定だと思ったが物語の本質は尊重されていた。小説のテーマは「IQが低いこと、知的障がいをもっていることは不幸なことなのか?」、「脳科学の発展によって人は天才になることができるのか?そしてそれは人の幸せに結びつくのか?」の2つである。
このドラマの後、金曜夜11時枠で「NHKニューヨーク白熱教室」が放送されているので脳科学の未来が人類に何をもたらすのかということも含めて考えるよい機会になると思う。
「試験管ベビー」と呼ばれたルイーズ・ブラウンさんが生まれたのは1978年。世界で初めて体外受精で生まれた人だ。その後、社会的に成功した男性の精子と優秀な女性の卵子による体外受精も行なわれた。(もちろんそれは人種差別や優生学であるという批判を受けた。)
その結果、たしかに天才並みのIQをもつ子供が生まれたのだが、遺伝的には知能が高くても人格を形成するために必要なしつけや教育などの環境が違うので、数値的には天才だとしても努力をしなければ能力が伸びることがなく、人間形成という意味でその多くに問題がでてきたのだという。結局多くの子供が大人になってごく普通の人生を選ぶことになった。
これは脳科学によるIQ向上の例ではないけれども、このドラマや小説の2番目のテーマに対して現実の結果が示している回答なのだと思う。
原作者のダニエル・キイス氏が昨年亡くなっていたことを、この記事を書くにあたって僕は知った。現在発売されている新版の文庫本には1999年の文庫化に際して著者から日本の読者に贈られた序文や、昨年の訃報に対する訳者の小尾芙佐さんの追悼文が掲載されている。
本をめくっているうちに、この小説が現代にもあてはまるもうひとつの意味を持っていることに気がつかされた。それは誰にも訪れる「老い」のことだ。
物理学や数学を勉強している僕は、もう少し頭がよければなぁと思ったりもする。けれども自分が老いて認知症になったらせっかく学んできたことをすべて忘れてしまうことだろう。そのことに思い至ったとき愕然とした。
学んだことを忘れるどころか、自分が誰なのかさえわからなくなってしまうかもしれない。家族や友達のことも思い出せなくなってしまう。昔の記憶を現実だと錯覚して理不尽なことを言い、徘徊するようになってしまうのだ。あれだけ優秀で頭が切れたイギリスのサッチャー首相でさえ晩年には認知症に悩まされていたのだから。
そう、誰もがこのドラマや小説の主人公のようになる可能性があるのだ。僕が将来、認知症になってしまったとき、社会の状況や働き盛りの世代そして若者たちは、知的弱者に対して寛容さを持てるくらい経済的余裕、精神的余裕を持ってくれているだろうか?
経済格差が進行していくなかで、そして自分の物差しに合わない他者への不寛容が横行しつつあるなかで、老いてもなお幸せを感じられる世の中になっているのだろうか?
また「頭の悪い子供」はとかくいじめられやすい。将来の大人世代は新たな形をとっているであろう子供たちのいじめ問題に対し、適切な対応をとってくれるだろうか?
このドラマや小説は、そのような問いも私たちに投げかけている。
主演の山下智久さんは知的障がい者を演じるにあたり、とても努力されている。原作も「原書を読んだ」とインタビューでお話されているので英語版をお読みになったようだ。体調に留意しつつも最終話まで立派に演じ切ってほしいと思う。(参考:山下智久さんへのインタビュー)
原作がハッピーエンドではないだけに、ドラマのほうも悲しい終わり方になってしまうのだろう。どのようにそのせつなさを表現するのかが僕が気になっているところ。
ドラマは舞台を現代の日本に移しているだけに小説よりもリアルに伝わる。毎回の放送で私たちに投げかけられる問いの答を自分なりに考えてみたいと思う。
アルジャーノンに花束を: 動画を検索してみる
読書離れが進んでいるそうだが、日ごろ本を読まない人でも今回のドラマが読書のきっかけになればと僕は思う。いま本を買うとこのような帯がついている。ネタバレになるので詳しく書かないが、読者は1ページ目から衝撃を受けることだろう。こういう文章をよく翻訳できたものだ。
「アルジャーノンに花束を(ハヤカワ文庫NV):ダニエル・キイス」(Kindle版)
内容:
32歳になっても幼児なみの知能しかないチャーリイ・ゴードン。そんな彼に夢のような話が舞いこんだ。大学の先生が頭をよくしてくれるというのだ。これにとびついた彼は、白ネズミのアルジャーノンを競争相手に検査を受ける。やがて手術によりチャーリイの知能は向上していく…天才に変貌した青年が愛や憎しみ、喜びや孤独を通して知る人の心の真実とは?全世界が涙した不朽の名作。著者追悼の訳者あとがきを付した新版。2015年刊行、464ページ。
著者について:
1927年ニューヨーク生まれ。ブルックリン・カレッジで心理学を学んだ後、雑誌編集などの仕事を経てハイスクールの英語教師となる。このころから小説を書きはじめ、1959年に発表した中篇「アルジャーノンに花束を」でヒューゴー賞を受賞。これを長篇化した作品がネビュラ賞を受賞し、世界的ベストセラーとなった。その後、オハイオ大学で英語学と創作を教えるかたわら執筆活動を続け、『五番目のサリー』『24人のビリー・ミリガン』(以上、すべてハヤカワ文庫)など話題作を次々と発表した。2014年6月没。享年86。
原作の英語版はこちら。1959年に中編小説として発表し、1966年に長編小説として改作された。
「Flowers for Algernon: Daniel Keyes」(Kindle版)
関連記事:
お勧めドラマ: 世紀末の詩(1998年、日本テレビ)
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/45b117475aadbd8f43c55d1d5953584d
月9ドラマ: 薔薇のない花屋(2008年、フジテレビ)
https://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/f3e679235dcadc104ca24c0ed7181f45
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とねさんがおっしゃるとおり、この社会が他者を受容する社会であって欲しいと思います。
「他者を需要する社会」のことを言うと、いきなり社会福祉の話に行きがちですが、それ以前にひとりひとりの気持の余裕と心がけの問題なのですよね。昨日、数学者の森毅先生の名言をツイートしているアカウントから次のような言葉がツイートされました。
@moritsuyoshibotより」
『国民のみなさん、「オモロイやっちゃ」と思っているほうが、粋ですよ。「ケシカラン」などと言うのはよしましょう。』
天才になってしまうと 一部の人としかうまく話題が出来なかったり、一般大衆とどうゆう共通の話題をすればいいのか悩んで、どんどん孤独になってしまうと思いました。
だから、そうならないように世の中の天才は自分が孤独にならないよう常に努力すると思いました。この解釈であってますか?
このドラマはよかったですよね。
天才もそうですが、一般の人より違う能力や考え方をするととかく孤独になりがちなものです。普通は人生の途中から天才になることはまずありませんから。
周囲の人とうまくやっていけるかどうかは、結局気持や性格の明るさなのだと思います。アインシュタインは天才でしたが、ジョークを言ったり皮肉を言ったりして周囲の人を楽しませましたよね。
あとこのドラマを見て考えさせられることは反対のことです、人間は年老いていくと認知症になる人がいますよね。このドラマの主人公のように周りの人のことや過去の記憶がなくなっていくわけです。そのようになってしまったとき、周囲の家族はどのように接したらよいのか、どうすれば認知症の人が幸せに生きられるかを考えてみるのが大切だと思いました。