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現代量子力学入門:井田 大輔

2021年10月02日 16時25分35秒 | 物理学、数学
現代量子力学入門:井田 大輔

内容紹介:
シュレーディンガー方程式を解かない量子力学の教科書。量子力学とは何かについて、落ち着いて考えてみたい人のための書。グリーソンの定理、超選択則、スピン統計定理など、少しふみこんだ話題について詳しく解説。

2021年7月1日刊行、216ページ

著者:
井田大輔(いだ だいすけ)
ホームページ: https://www.gakushuin.ac.jp/univ/sci/phys/ida/index.html
1972年鳥取県に生まれる。2001年京都大学大学院理学研究科博士課程修了。現在、学習院大学理学部教授。博士(理学)。


理数系書籍のレビュー記事は本書で464冊目。

今後の量子物理学、量子技術の分野で活躍する若者が学ぶべき量子力学の教科書はどのようなものであるべきか。昨年以来気になっているテーマである。7月初めに発売されたまったく新しいタイプの教科書を前回紹介した。(参考記事:「入門 現代の量子力学 量子情報・量子測定を中心として:堀田 昌寛」)

ところが、堀田先生のこの教科書とほぼ同じ時期に発売されたのが今回紹介する教科書だ。章立てや内容説明を見ると「新しいタイプの教科書」のように見える。これは読んでおかないと。。

このような章立てである。

1. 複素ユークリッド・ベクトル空間
2. オブザーバブルの測定
3. ヒルベルト空間
4. 状態決定
5. エンタングルメント
6. 混合状態
7. スピン
8. 対称性
9. グリーソンの定理
10. スピン・統計定理
11. 隠れた変数理論
12. 多世界解釈
13. 量子コンピューター


堀田先生の教科書は300ページほどあるが、本書はだいぶ薄く216ページしかない。入門書とはいえ、量子力学の基礎を網羅するには十分ではないと思った。ただ、初めて入門する人にとっては薄い本のほうが取り掛かりやすいというメリットはあるだろう。

最初の3章は、量子力学の本質を理解するうえで欠かせない数学の基礎、つまり複素線形代数(お勧めの教科書)とオブザーバブル、ヒルベルト空間を解説する。ここまででエルミート作用素、射影作用素、ボルン則、 純粋状態と混合状態、状態の収縮、自己共役作用素、固有状態、スペクトル分解など基本的な数学と量子力学の基礎概念とのつながりが理解できるようになる。初学者が勘違いしやすいことを取り上げ、丁寧に解説しているため、堀田先生の教科書と比べて数学が苦手な人でも読み進められる内容だ。

次いで第4章から第8章は、量子情報理論に欠かせない概念と計算の解説が行われる。状態決定、エンタングルメント、混合状態、スピン、対称性などだ。スピンや対称性の理解にはリー環やその表現の知識が欠かせない。他の本で学ばなくてもついていけるように初学者向けの解説がされている。これらの章の難易度は初学者向けといっても「量子コンピュータ、量子アルゴリズムを学びたい高校生のために」という記事で紹介したブルーバックス本よりは難しいと感じた。

堀田先生の本では、量子力学の基礎的な方程式を詳しく導出しているが、本書はページ数が少ないだけに数式の導出はかなり割愛されていると感じた。全体的な流れを理解するのであれば、本書のような省略した書き方のほうが初学者には優しいのかもしれない。好みは人それぞれだから、どちらがよいか僕には判断できなかった。

第9章以降で発展的なテーマを紹介している。グリーソンの定理、スピン・統計定理、隠れた変数理論、多世界解釈、量子コンピュータなどである。ここからは僕にとっても詳しく学べていなかったことが多いため、興味深く読むことができた。そのぶん内容も高度である。隠れた変数理論は堀田先生の教科書でも取り上げられていたが、これまでの量子力学の教科書には書かれていないものがほとんどだ。

本書はこのように量子情報理論、量子コンピュータの理解を目指している点で、堀田先生の教科書と共通している。つまり量子力学の正門から入って進む「新しいタイプの教科書」である。(補足:堀田先生はこれまでの科学史の順番に沿った教科書は「裏口から入って進んでいる」と表現されている。)

堀田先生の教科書と違う点は「量子力学の奇妙さ」、つまりコペンハーゲン解釈、波動関数の収縮、多世界解釈、観測問題などを明確に否定していない点だ。多世界解釈やコペンハーゲン解釈については、第12章の末尾で次のように締めくくっている。少し長くなるが引用しておこう。

「多世界解釈でのボルン則は、こうした特殊な例をいくつか枚挙できるくらいのことで、一般的な形で説明されているわけではないです。波束の収縮、つまり測定によって状態ベクトルが射影されるというルールも、簡単なモデルを作って、説明することはできますが、やはり一般的な状況で説明されているわけではありません。また、多世界解釈にしたがったところで、何か新しいことがいえるわけでもないです。

多世界解釈での世界観は、ある意味当然に思えます。しかし、多世界解釈での決定論的な世界観から、コペンハーゲン解釈におけるボルン則や波束の収縮が導き出される仕組みはほとんどわかっていないです。こういう考え方もあることくらいは知っておいたほうがよいかも、くらいの話だと思います。私は、測定を行わないものに対して、またアンサンブルではなくて系の1つのコピーに対して波動関数を考えること自体、意味がないと思います。それをコペンハーゲン解釈というのかもしれません。」

この部分を読んで僕は、正門から入った新しいタイプの教科書であるにも関わらず「古い間違った考えを捨てきれずに引きずられているのかな?」と思った。

著者による本書の宣伝文句は次のようなものだ。特に最初のほうのヒルベルト空間までの説明は、有限次元と無限次元(ヒルベルト空間)ではどのように違ってくるのかを解説するなど、初学者向けとしてとても優れていると感じた。

はじめにルールをしっかりと説明
無限次元のヒルベルト空間のエッセンスがわかる
なぜスピンがあるのか?なぜ電子はフェルミオンでなければならないか?という素朴な疑問に答える
量子コンピュータで素因数分解


量子力学の入門書には何を書くべきか?

「量子力学の脱魔術化」を目指した堀田先生の教科書と本書はどちらも量子力学の新しいタイプの入門書である。堀田先生の教科書は、可能な限り少ない実験事実から数学を道具として使いながら量子力学のを構築し、基礎的な方程式(註)を導出しており、本書はページ数の制限から構築までは至らないながら「解説にとどめている」と感じた。そしてどちらも新井朝雄先生の「ヒルベルト空間と量子力学」のような数理物理学寄りの教科書だと思った。

註:堀田先生は、このツイートで量子力学には古典力学の F=ma に対応するような基礎方程式は存在しないとおっしゃっている。


僕を含めて大方の物理学徒、物理学ファンは古いタイプの教科書を使って量子力学を学んでいる。自分が学んできたものを否定するのは容易なことではない。そして、これら新しいタイプの2冊の教科書には書かれていない事柄がいくつもあることを知っている。

つまり、これら2冊には解説されていない光電効果、電子の二重スリット実験、コンプトン効果、シュレーディンガー方程式の解を求める計算、散乱や散乱断面積の計算、摂動論、水素原子の極座標による電子雲の解法、井戸型ポテンシャルやトンネル効果の計算などは学ばなくてよいのだろうか?これらは量子情報理論、量子コンピュータを理解するうえでは不要だが、半導体などのエレクトロニクス技術、理論系の場の量子論や実験系の素粒子物理学を学ぶ上では必要になる。

さらに本書の特徴のひとつは「シュレーディンガー方程式を解かない」ことだそうだ。これが宣伝(長所)になるのかどうかは怪しいと僕は思う。

新しいものをなかなか受け入れることができないのがオジサン、オバサンである。そして新しいものを受け入れたら、何かを犠牲にしなくてはならないのが世の常だ。今後の科学、技術を担う量子ネイティブには何が必要なのだろうか?彼らが進む分野、領域によって入門書といえども必要な事柄は違ってくるのではないだろうか?

その意味で、古いタイプの教科書で扱うテーマ、解説の流れをもう一度チェックしたくなった。ほとんどのテーマを網羅しているという「メシアの量子力学(目次を紹介した記事の入口)」が参考になる。何を捨て、何を残すか、どのような順番で書くべきかを考えるにはちょうどよいと思う。

「量子ネイティブ」をひとくくりに考えてはいけないのだろうというのが、堀田先生の教科書と本書を読み終わって生じた気持ちである。国や企業が求める「量子人材」というくくりで考えると、今後はそのような人材のほうが増えていくだろうし、新しいタイプの教科書で学ぶほうがよさそうに思える。

しかし、世間の固定観念はそう簡単に変わるものではない。古いタイプの教科書にも取り上げられないシュレーディンガーの猫の亡霊は、今後もしばらく生き残るのだろうとも思った。


本書は「現代解析力学入門」の続編である。目次を確認したところ、解析力学入門のほうは、前半は初学者向けの良書、後半は一般的な解析力学の教科書ではあまり取り上げられないトピックが多く取り入れられている。

現代量子力学入門:井田 大輔
現代解析力学入門:井田 大輔」(紹介記事
 


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現代量子力学入門:井田 大輔


まえがき

1. 複素ユークリッド・ベクトル空間
- 複素ユークリッド・ベクトル空間
- 線形作用素
- エルミート作用素
- 射影作用素

2. オブザーバブルの測定
- オブザーバブル
- アンサンブル
- ボルン則
- 純粋状態と混合状態
- ユニタリーの時間発展
- 状態の収縮
- 量子力学のルール

3. ヒルベルト空間
- 無限次元ベクトル空間
- 可積分関数
- 関数空間の内積
- 自己共役作用素
- 固有状態
- スペクトル分解
- 測定
- シュレーディンガー表現
- ハイゼンベルク/シュレーディンガー描像
- エルミート v.s. 自己共役

4. 状態決定
- 密度作用素の空間
- 同時測定
- 測定の基底
- 不確定性関係
- 不偏な基底
- 素数次元
- スピン状態

5. エンタングルメント
- 合成系
- エンタングルした状態
- 部分系の状態

6. 混合状態
- アンサンブル定理
- エントロピー

7. スピン
- 回転群
- リー環
- リー環の表現
- SO3の表現
- スピン 1/2

8. 対称性
- 対称性
- 対称変換群
- 超選択則

9. グリーソンの定理
- フレーム関数
- R3のフレーム関数の連続性
- R3のフレーム関数の正則性
- 高次元のフレーム関数

10. スピン・統計定理
- ローレンツ変換
- 制限ローレンツ群の射影表現
- スピノール
- スピノールの既約分解
- ディラック・スピノール
- ディラック方程式の解
- フェルミオン
- スピン・統計定理

11. 隠れた変数理論
- 隠れた変数
- オブザーバブルの所有値
- ベル不等式
- コッヘン・シュペッカーのパラドックス

12. 多世界解釈
- 多世界解釈
- 量子力学における確率

13. 量子コンピューター
- 古典的な論理回路
- ショーアのアルゴリズム

文献
索引

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