あるクリスチャン理学療法士の思いつき日記

クリスチャン理学療法士の私
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「戦争と平和展 特攻兵が飛び立つとき―松本から知覧へ―

2013年08月18日 | 聖書から
「戦争と平和展 特攻兵が飛び立つとき―松本から知覧へ―」
松本市立博物館へ一昨日行ってきました。


HP 特別展「戦争と平和展 特攻兵が飛び立つとき―松本から知覧へ―」を開催します
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心に残ったこと。
少年飛行兵に小学5年生で志願し、合格。しかし、父の体を張った猛反対により断念した今井常雄さんの話です。
詳しくはこちらのHPをご覧下さい。ぜひご一読ください。⇒ 
子供守った父(松本の今井常雄さん)「入隊阻止」今は誇りに



以下(黒字の部分)は上記HPより抜粋

二十年の六年生になる春、母親と相談し少年飛行兵に志願した。長男だったが学校の先生は「家の人がよいと言うなら」と志願書を出してくれた。父親は松本 医学専門学校(信州大学医学部の前身)に勤め、立派なひげをはやし、威厳があった。近寄りがたく、志願の件は話さなかった。体格検査をパス、筆記試験の通 知はがきが届いた。喜びで体が熱くなった。
 だが、事態は一変した。はがきをみつけた父親は何も言わず、出掛けていった。夕方に戻ると父親の細面の顔は丸く膨れ、形が変わり紫色に。全身は赤黒くは れて、ものを言う元気もなく寝込んだ。顔をはられ、体はムチのようなもので打た れて、ものを言う元気もなく寝込んだ。顔をはられ、体はムチのようなもので打たれた。見れば分かった。
 憲兵分隊の施設へ赴き、試験の取り下げを願い出たと後で分かった。「お国のために志願したのに親が取り下げるとは何事か」「非国民め」とののしられ、暴行を受けながらも考えを通したようだった。憲兵は「泣く子も黙る」と恐れられた。殺される可能性もあったと、今では理解できる。
 しかし、当時は寝込む姿を見て恨んだ。飛行兵になる道を絶たれたと感じたからだ。学校では教室の前に立たされた。先生は「今井君は不合格」と発表した。 「悔しくて悔しくて。おやじの苦しみは二の次だった」

 体が丈夫だった今井さんの父親は寝たり起きたりの状態となった。終戦後、飛行兵に合格した友達が空襲で死亡したと今井さんは知らされた。「おやじが助けてくれたのかも」と、何となく感じた。ありがたいとは思えず、わだかまりはとけないままだった。
 着物の仕立てや染めの技術を習得するため昭和二十五年、修業で京都へ移った。十年間働き、松本へ戻った。黒部ダムの工事で建設関係者が集中したことで芸 者衆の着物の需要が高まるなど、仕事は増え出した。多忙で、思いをくみとる暇がないまま父親は他界した。
 家業が軌道に乗り、心の余裕が出てきたころ「待てよ」と思った。敗戦が近いと見通し、身を犠牲にして、自分を戦争から救ってくれたのかもしれない。 「今、生きているのはおやじのおかげか」。理解できるまで長い歳月が必要だった。
 互いに心を通わせないままだった。「ありがとう」。告げたくても、できない。悔やんだ。仕事の傍ら、道徳を普及する活動に加わり各地で講演をした。話しながら泣けてくることもあった。



子供を守ろうとする親の心はどんなに強く、自分の身にいかに危害が加えられても、どんなことをしてでも子供の死は止めようとするんだなと感じました。
イエス様も私のために、苦しんでくださいました。
私が地獄へ行かないためには、十字架にもかかってくださいました。
(文字で書くと何だか簡単に書けてしまうのですが、簡単なことではありません。
100万回繰り返して書いても、イエス様のしてくださったことの重みを書き表せません。)

イエス様、ありがとうございます。
このことを今日の教会での聖餐式のときに一言話させていただきます。
これから原稿を作ります。また完成したらアップしますね。

今日も神様が全世界で褒め称えられますように。