あるクリスチャン理学療法士の思いつき日記

クリスチャン理学療法士の私
聖書のこと、日々ニュースに思うこと、大好きな野球の話など
気ままにアップしています。

神の国を第一に求める、は超積極的です。

2014年08月02日 | 聖書から

「神の国を第一に求め、そのほかのことはみこころにお委(ゆだ)ねする。」チョキ

この文章を今朝読みました。
クリスチャンの理想像として当たり前、と思っていたけど、新しい発見でした。

これは「神様のことを思ってみこころに委ねる」、って感じで、
「神様がそうされたから、これは仕方ないか。本当はこうなって欲しかったけどあせる。」と諦める消極性でしょうか?
「やることはやった。あとはどうなるか、結果は神のみぞ知る。」と達観することでしょうか?

そうは思いません。
「神の国を第一に求め」という部分は超積極的です。攻撃的な攻めの姿勢ですグッド!
あまりにすごいものを求めているのです。

世のいろんな出来事以上のことを積極的に求めているので、世のことは小さく思えるので気にならない。
あえて気にしないようにしているのではなく、すごいことを求めているがあまりに、世の結果を気にすることにさえ気づかない。ニコニコ
神の国のことと世のことはそれくらいのレベルで、大きな差なんでしょう。

100億円の取引がどうなるかっていう会議に向かう時に、それを欠席してでも1円玉がタダでもらえる場所に行こうか?とか、いつもより10円安いスーパーのタイムセールに行こうか迷うでしょうか?
迷わず会議へ、というか「迷う」ということすら思いつきもしません。

これは「世のことは自分と関係ない」っていう冷たい主義でしょうか?
そうではなくて、世のことは結果的に(神の国のことを求めている結果として)、気にするんです。
これは良い意味であって、困っている人に自然と声をかけてしまう、そうせざるを得ない自分になっているってこと。
そうなったらいいな。
ホントに今日そんな自分であったらいいな。と思います。ラブラブ