久保美緒のブログ

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2013-08-12 | ピアノ
2013年8月12日(月)

昨日、信貴山にある 母と祖父のお墓参りに行ってきました。
毎年お盆と年末にはどんなに忙しくても行くようにしていますが、昨日の暑さは凄まじかったです。
それでも無事にお参りができてよかったです。




ところで 終戦記念日が近づくにつれ、連日 戦争関連の特集番組がテレビに映し出されていますね。
いいことだと思います。
本当はこの時期だけではなく、普段からもっとこういう番組増やしたらいいのにと思います。


さきほどたまたま見ることのできた番組。

終戦直後、北朝鮮や韓国からなかなか脱出できずにそのままその地で亡くなってしまった日本人や、自力で日本に帰国しようとして叶わなかった方々、教科書ではなかなかそこまで読み取れないような様々なお話を、そのときの生存者の方々がしておられました。

当時11歳の少年だった男性のお話。
終戦後、たくさんの日本人が集まってきていた北朝鮮の村落で、飢えや劣悪な衛生状況により、家族全員が伝染病にかかり、ソヴィエト兵が管理する収容所に入れられたそうです。
ご両親はそこで亡くなり、この方はなんとかその後も生き延びて日本に帰国。
戦後の時代を死に物狂いで生きてこられたそうです。


収容所で亡くなったご両親のご遺体はどうなったかわからないそうです。
そこで、ご両親の故郷の丘に墓標を建てて
「67年ぶりにお墓参りにまいりました。元気でやっております。ご報告が遅れましたが、○○年前に家内と結婚しました。4人の子供にも恵まれ、孫もいます。」
というようなことをおっしゃりながらお墓参りをされていました。

お墓参りしたくてもできない方もたくさんいらっしゃるのですよね。
ちょっと暑いくらいでお参りに行くのしんどいな~なんてちょっと思ってしまった自分って何なんだろうと思いました。


11歳というと、今でいうと小学5年生くらい。
この方はその年齢でご両親と死別し、異国で生き延びるために、そして日本へ帰国してからも、毎日どれほどの苦労をされてきたのだろうかと思うと、涙が止まりませんでした。


ちょうど「農から見た日本」という、お百姓さんが書かれた本を読んでいるのですが、自分の中でその内容ともリンクしました。
生きるか死ぬかの中、死に物狂いで生きてこられたこの時代の方々の精神には学ぶところが多くあるように思いました。



今でも世界中で毎日のように何らかの形でたくさんの人の生命が奪われています。
「何百人、何千人、何万人の方が犠牲になられました」
こういう数字だけを見ていると感覚がマヒしてきて実感がわきづらい。

けれでも、私たち一人ひとりの日々の暮らしに様々なことが起こり、それぞれに想ったり想われたりする大切な人がいるのと同じように、このおびただしい数の犠牲者の方々お一人お一人にも同じように日々の歩みがあったことを忘れてはならないと思いました。



戦争を体験された方々の生の声というのは、本当に大切だと思います。
こういう方々のお話を直接聞くことができなくなる時代が近い将来やってきます。
その時のためにも、歴史や戦争の本当の恐ろしさを書物のみから学ぶのではなく、こういう個人個人の貴重な体験のお話からも学び、それを子から孫へ、そしてその先もずっと伝えていかなくてはならないと思いました。





現代の世の中にも、状況や理由は違えど、生きるか死ぬかの瀬戸際で毎日踏ん張っている方々が数多くいらっしゃるそうです。そして、こらえきれずに自らこの世を去る選択をされる方が増えているのも現実です。


この国がどこへ向かおうとしているのか、一人一人が責任を持って注視する姿勢を持ち続けること
非常に大切なことだと思います。


そうでないと、いつの間にか私たちの国が大変なことになっていた

なんていうことになりかねません。


起こってからでは遅い。
手遅れです。



自らの勉強不足を反省すると同時に、20代の頃に比べてずいぶんと低下してしまった気力・根性を体力の衰えのせいにしていた部分も反省。




もう無理と思ってもそこからさらに一歩。
そしてまた一歩。



いつも真実を見つめる というか見抜けるように、疑問を持ち続け、気合入れなおしてあらゆることを勉強し続けなくては
と心に誓った夏でした。







それでもやはり 暑い、、、

はやく秋になってくれー