久保美緒のブログ

日々思うこと、感じること、考えること

掌~大切なものは手の中に

2018-09-10 | ピアノ
2018年9月10日(月)

もうはや2018年も残すところあと4ヶ月となりました。
度重なる天災をはじめとして、今年は地球全体が何だかざわざわもごもごと動いていますね。
一人でも多くの方が一日も早く日常を取り戻せますように、、、。


我が家でも地震の大きな揺れや迫りくる台風の恐怖、そこに存在していて当たり前だったはずの水道や電気の停止、洗濯機・クーラー・冷蔵庫・パソコンと次々に家電が故障していく状況に加えて、この夏は息子が2度も体調を崩し、続いて私も珍しく内科にかかり大嫌いな抗生物質のお世話になるという事態に至りました。

特に、不気味な音と共に巻き起こる強い”風”がこんなにも人の心を不安にするとは、この歳になるまで想像がつきませんでした。


そんな中ではありましたが、何とか今夏も音楽だけに身も心も捧げる(捧げきれたかは?ですが、、)幸せな4日間を過ごすことができました。有難いことです。


時は移ろい、月日の流れと共にそれぞれの置かれている状況も変化し、また人の力の及ばない様々なエネルギーの働きもあり、これからは他力本願ではなく、それぞれに自身の課題と向き合い、日々独り黙々と時を重ねていく、いつかまた再会が叶うことを愉しみにしながらも、そんな覚悟が必要なのかなと、ふと思いました。

そして、音楽に関係あることもないことも全てにおいて日常を丁寧に生きるということが、いかに大切であるかということをまた思い出させていただいた気がします。



生命誌研究者の中村桂子さんの言葉に「生の充実とは思い通りにならないものを手塩にかけて育む。時間を飛ばすのではなく、紡ぐこと。自分も生きものの一つという原点を見据えるためにも農業を学べ」とあるそうです。

中村さんの言葉を紹介しておられたその記事にもありましたが、扉を閉めるとき、ものを置く時、掃除をするとき等々、日常には手を使うことが非常に多いですが、その動作の最後まで優しく手を添える。何でもないそんな仕草がある風景の中で子供たちが育っていくわけです。

ひとつのフレーズの終わりをどう弾くか、次に登場する音楽がどういうものなのかを想定して終わりを大切にする、そのことが次の音楽へと繋がっていく。 

今、目の前で起きていることに集中し、その時間を大切にすることが次の時間を育んでいくという意味で、農業も日常生活も音楽もみんな同じなんだなと自分の中で何となく一つの線となってつながりました。
(つながりましたが、これがまた簡単そうでなかなか難しいのですよね、特に大人にとっては、、、。)


子供に対して親らしいことは何もできていないことになんとなく後ろめたさを感じることもあるのですが、でも私が私らしく生きるその姿を見せることが、唯一私にできることなのかなと、漠然とではありますが大切に持っていたその考え方を、これからも持ち続けていいのかなと、少し勇気をもらえた気がします。


とはいえ、まずはどうしょうもないこの大雑把な行動を直すべく、扉を静かに閉めたり、静かに片付けを行える様、嘘偽りのない心で意識を持って取り組めるよう、改めて心がけるところから始めようと思います。






わたしの不在中に建設されたそうです。
一階がコンビニで、二階がスシローだそうです(笑)




おじいちゃんと。
息子にとっては無条件に安心できる存在なのでしょうね。
不思議です。







4年前はこういう関係だったのですから、早いものです。





父もずいぶん歳をとったなと、色々心配ごとは後を絶ちませんが、できるだけ長く健康で生きていてくれたらと思います。




今日は、47歳という若さで他界した母の19回目の命日です。

私も今年40歳を迎え、47歳という年齢にかなり近づいてきたことによって、これまでよりは母の胸中を具体的に想像できるようになってきたように思います。



親子間の関係というのは、死後も変化し続けるのだなぁということをふと思いました。