じんくに、今を若々しく生きる 

日々の出来事や想い出等をUPしていきます
   ここの画像は、今までにドライブ旅行に行った時の物です

雨の東尋坊

2018年05月24日 20時59分37秒 | 旅行
家を出てから、永平寺・丸岡城・そして東尋坊と一向に雨はやむ気配はなく、ずーっと大降りのまま、なんと運のない事か


丸岡城から東尋坊に着きました


東尋坊商店街も日曜日なのに、人通りもまばらです









東尋坊と刻まれた大きな石が有りました








ここで、東尋坊の名の由来についてネットで調べてみた結果をお知らせします


東尋坊の昔話

一般的には、次のような話が東尋坊の由来として伝わっています。

昔、奥越(福井県東部の山間エリア)に、僧兵を有して隆盛を極めていた

「平泉寺」という寺がありました。僧兵の中には、極悪非道の振舞いで

近郷の民百姓を大変苦しめていた者もおり、その旗頭であったといわれる暴僧が「東尋坊」でした。

東尋坊には「あや姫」という娘をめぐる恋のライバル「真柄覚念(まがらかくねん)」がいました。

1182年4月、平泉寺の僧兵数十人が東尋坊を訪れ、酒盛りをしていたとき、

真柄覚念は東尋坊に絶壁の上で酒や肴をすすめ、泥酔させ、隙を見て絶壁の海へ突き落としてしましました。

その後、49日間にわたって東尋坊の無念により海は大荒れとなり、それからこの地が東尋坊といわれるようになりました。


このようにネット上では紹介されていましたが、昔私が聞いたのは以下のようでした


それは、東尋坊と言うお坊さんが修行の為、この柱状節理の岩から海に飛び込んでいた、と言う話でした


東尋坊は、四~六角の柱状節理の輝石安山岩が高さ25mの絶壁を形成している、この高さから飛び込んで


死なない人間が居たとはちょっと信じがたい話ではある


何はともあれ、天然記念物・名勝には違いない




















しかし、この高さ実際に見た限りでは足がすくみますね


また、東尋坊は自殺の名所とも言われています、崖から飛び込む自殺がほとんどで成功率は70%に及ぶとか


その為、自殺防止の為「いのちの電話」と言われる電話ボックスが有ります


この電話ボックスは観光客からあまり見えない所に設置されているみたいです


チョットしたきっかけで自殺を思いとどまる人がいるとか


飛び込む前にちょっと深呼吸してみてはどうでしょうか、命は大切にしましょう


生きたくても生きられない人の事も考えてほしいですね。        (訪:2018.5.13 東尋坊)






日本一短い手紙で有名です

2018年05月22日 21時14分30秒 | 旅行



「一筆啓上 火の用心 お仙泣かすな 馬肥やせ」この手紙は、徳川家康の忠臣「本多作左衛門重次」が、長篠の合戦(1575年)の折、


陣中から妻に宛てて送ったもの、短い文章の中に大事なことが簡潔明瞭に言い尽くされていると言われています





丸岡城(国指定重要文化財)は、桃山時代の天正4年(1576)に柴田勝家の甥、勝豊によって築かれました


小さなお城ですが城へ入る階段は結構急坂で長いです





日本最古の遺構である、二層三層の望楼式天守閣で、屋根が笏谷石製瓦で葺かれているのも珍らしい城だとの事


春は日本さくら名所100選にも認定された400本のソメイヨシノが霞ヶ城の別名にふさわしく古城に美しさをそえるそうです


別名「霞ヶ城」と言われているのは


 一向宗の残党が城をたびたび襲うことがありましたが、しかし、その度に、天守閣横にある井戸から大蛇が現れ、


城に霞をかけて城の危機を救ったと言われています


このことが丸岡城の別称「霞ヶ城」の云われだそうです


現在は大蛇が噴き出す霞を見ることはできませんが、春、丸岡城を取り囲んでいる桜の花々の淡いピンクが霞のように見え、


その中に丸岡城が浮かんでいるような幻想的な景色を作り出してくれるそうです、見てみたいものです


天守閣登り口の階段脇に石製の鯱が2つ並んで置かれていました、





福井震災で落下した笏谷石の鯱で、現在 階段脇に展示保管されています





城の中に入るとジオラマが展示されています


ここから天守閣へ上るのですが、天井の間に上るその階段の急な事、年寄りには上るのを躊躇させます





丸岡城特有の急な階段なのでしょうが、ご覧の様にロープが備え付けられています


ロープが無いとちょっと上るのが大変だと思った


必死で上り詰めました、ここが天井の間です





外を見ると丸岡市内が綺麗に見えます、天気が良ければ西方は日本海、三国の海岸まで見渡せるそうです





天守閣から降りるのがまた大変です





ほぼ垂直じゃーないですか、いくらロープが有るからと言ってもかなり怖いです


やれやれ、なんとか地上に降りることが出来ました


次は、東尋坊へ向かいます














永平寺参拝の色々

2018年05月18日 21時59分11秒 | 旅行
永平寺通用門で拝観料を払い寺の境内へ入ります


入って右側へ行くと参拝の説明する部屋が有ります


説明を聞き終えて、境内を拝観しに巡回します


最初に入ったのが、傘松閣です





「絵天井の間」が有り、著名な画家による230枚の美しい色彩画が天井に飾られています


このうち、5つの天井絵を見つけると願いがかなうといわれています。

     ・りす

     ・唐獅子(口を開けている青い獅子)

     ・唐獅子(口を閉じている白い獅子)

     ・鯉(2匹の白い鯉)夫婦円満

     ・鯉(黒い鯉)天まで昇るおめでたい絵柄




残念ながら見つけられませんでした


正面に飾られた、達磨大師の絵です





ここから階段を上がっていきます





僧堂・承陽殿等々を巡りました









法堂、正面外に法王法の額がかかっています





山門の両側には守護神である仁王像があります











この山門は修行する僧が永平寺に入山するさいに通る門で、仏に使える人が入る門となっています


大きな「すりこ木棒」が有ります





これは、本当のすりこ木棒ではなくて、もともとお寺の地ならしをするために使った棒だったのを、


捨てるのは惜しくて、すりこ木棒に見立て削ったのが、始まりらしいです


そのすりこ木に触れると、男性は「ゴマすりがうまくなり、出世する」


女性は「料理が上手になる」と、言われているらしいです


仏殿を仰ぐ





「祠堂殿」宗派を問わず納骨や供養ができる所です








「ごみ箱」も「護美箱」と書かれています、禅の道ですね























永平寺は、何度も行っていますが初めてでした

2018年05月14日 21時31分50秒 | 旅行
永平寺は、我が家系の菩提寺であり今までも何度となく訪れていた所でした


昨年から、実兄、今年3月には甥を亡くしました


両親もここに眠っています


そんな状況の中で、なぜか供養に出かけたいと心がうずいてきました


こんな気持ちになったのは初めてです


そこで、急に思い立ちお参りすることにしました


永平寺の入口です








普通に今まで永平寺の参拝は、通用門を入って拝観料(500円)を払って


自動的に説明場所で話を聞きき、その後は自由に境内を見て回れます


(境内の画像等はまたお披露目します)



今回は、この通用門の前を右奥の方へ 唐門の前を通りさらに奥へ








すると「寂光苑→」と書かれた案内看板が立っています








赤い橋が見えます「偃月橋(えんげつきょう)」と読むらしい、この橋の下を流れているのが永平寺川です





橋を渡って奥へ





寂光苑の石碑が有りました





この奥に、道元禅師の少年期の姿「稚髪像」が有ります、かなり大きいです





この像の正面に鐘楼が有ります






「寂照の鐘」と言う鐘楼で誰でも自由に撞くことができると後で知りました、撞いてくればよかったなぁー






寂光苑の石碑の前の永平寺川の向こう側に、滝が有れます





玲瓏(れいろう)の滝」と言って、落差15m 幅4mあるそうです








側には、仏様の石像もありました、こんなところに滝が有るのを初めて知りました






ドライブ旅行 後書 パンフレット・チケット等と錦帯橋の未来

2017年07月20日 20時07分19秒 | 旅行
2泊3日のドライブ旅行で観光したところのパンフレットや入場券です


旅の思い出としてUPしました


錦帯橋のパンフレット


今後は20年毎に架け替えられるそうです、今度は4年後だそうです

その時また来てください、と言われたけど多分ダメでしょう

世界遺産に登録できないのは、流出した時中央の橋の橋脚をコンクリートで

造ったからだそうです

でも、釘を使っていない橋下駄と言うか板の組合せ部分だけを今後登録する予定だそうです










厳島神社のパンフレット




耕三寺のパンフレット



今回、珍スポット的な地獄めぐり「千仏洞地獄峡」の画像を撮れなかったのが残念


千光寺のパンフレット






鞆の浦のパンフレット








入場券、他の物はレシートの様なものだったりしたので失くしてしまいました





今日、ゴミ箱へ破棄しようとして うん?・・・ 写真を撮って残そうと急遽思った次第です