じんくに、今を若々しく生きる 

日々の出来事や想い出等をUPしていきます
   ここの画像は、今までにドライブ旅行に行った時の物です

チョット、分かりにくい

2019年01月31日 21時17分42秒 | 日記
何時もデイケアサービスの利用者さんの送迎時に通るJRの踏切です





赤丸の所です


工事予告の看板が少し前から出ていたのですが、初めはあまり気にせず 


「あー、工事で通行止めなんだ」とあまり気にもしていなかったのですが、


何回か見ているうちに少ししっかりと見て確認せねばと思った


場合によっては最善のう回路を考えなければならない


そこでよく確認すべく踏切をゆっくり渡った


うん?





写真は撮れなかったのでイメージはこんな感じです


どう解釈しますか?


1月31日から2月3日まで全面通行止めなんだと理解するか


でも、わざわざ3行書いてある、1月31日(木)から2月1日(金)、この書き方


3行書いてあるにはそれなりの意味が有るのだろうか?


今日1月31日(木)送迎に通った、通行止めになっていない


予告と書かれたはがせるテープが張ったままだ、


今日は雨が降る予報なので中止なのだと勝手に思った


しかし、朝の仕事が終わりやはり気になったので、JRに問い合わせた


直ぐには担当が確認できないので返事出来ないと言われたが、


兎に角、連絡が欲しいと依頼して電話を切った


夕方仕事を終えて家に帰った頃に電話がかかってきた


連絡が遅くなって申し訳ありません、とまず謝罪の言葉あった


工事の日時について説明があった


1月31日(木)の23時から翌日2月1日(金)の朝6時迄が全面通行止


2月1日(金)の23時から翌日2月2日(土)の朝6時迄が全面通行止


この2日で終わる予定だけど、もしもの時を考慮して


2月2日(土)の23時から翌日2月3日(日)の朝6時迄が全面通行止を


書いたと説明が有り、分かりやすい看板にしますと言った


1月31日(木)から2月3日(日)まで、23時から翌朝6時まで全面通行止と


書いてくれれば悩まずに済んだのにと思った













教科書のお下がり

2019年01月27日 20時28分04秒 | 日記
2日ほど前の新聞の「暮らしの作文」?だったかなぁー、


「教科書のお下がり」こんなタイトルで掲載されていました


内容はこの方と違いますが、昭和の20年代から30年代前半には


「教科書のお下がり」は実際にされていました





僕の親戚の子が丁度1年下だったので、教科書が欲しいと言われていたのであげていました


当時は教科書は有償でた、戦後間もない頃で貧乏な暮らしでした、


節約できるものはなんでも、お構いなく貰うなどしていましたね


どこの家庭も生活に余裕なぞはありませんでした、リーマンショック等とは比較できません


我が家でも朝暗いうちから母は働いていました、今では信じられないことです


現在は、小中学校の教科書は無償になっているようです



えっ!びっくり!!

2019年01月24日 21時27分51秒 | 日記
今日は自分が古~い人間なのかなぁーと考えさせられました


13歳年下の人に送迎車で利用者さんの家を教えているのですが


今日はハイエースでなくキャラバンを使いました


道を教える為に助手席に乗っていますが、車のギアチェンジレバーの事で「うん?」と感じる事が


ありました


ハイエースのギアチェンジレバーは「インパネシフト」と言われるものです


前面のパネルの所に付いています


 
                        (画像は実際の物と違います)

 
キャラバンのギアチェンジレバーは「コラムシフト」と言われるものです


ハンドルの左側に付いています



                         (画像は実際の物と違います)

どちらの車もと言うか、日本の車はほとんどギアチェンジレバーがどこについていようが


D、R、N、D、2(この表示でない車もある)、L、の順番は同じである





ところが、彼が聞いてきた言葉がハンドルの横についているレバーを指さして


「これがチェンジレバーですか」と聞いてきた、


「そうだよ」と返答したら次にこんな質問が、一瞬耳を疑った聞き間違えたのかと思った


その質問が「R(バック)」はどこに有るのですか?」と


えっ・・・・・・・・!


そりゃあ最近は技術も発達していますのでコンパクトにはなっています


驚くぐらい小さいです D、R、N、D、2、L、の順番を変える事は簡単にできます





しかし、事故防止のため、D、R、N、D、2、L、の順番は変えていません


通勤には、車で来ているとの事、


軽自動車でも変わりはありませんが・・・・


これから どう対処したらいいものか 20~30歳代の人間ならはっきり言えるが


60歳代の人間にどう説明したものか悩む







哲学

2019年01月23日 21時30分42秒 | 日記
高校生の時、ある先生から哲学に関する本を読んでみなさいと手渡された

初めは何の本なのか分からなかった、なぜ先生がこの本を読めと言ったのか分からない

授業の後に色々質問したがその中に哲学に関する事は何もない(と思っていた今でも不明)

質問したり色々話もした、その中から先生は何かを感じたのだろうか?

ただ手渡された本の初めに書かれていた事が、なぜかすごく気になった、

そしていつまでも頭の片隅に残った、その文がこれだ うろ覚えだけど

「我、五尺の体で華厳の滝に飛び込む」こんな内容だった


ネットで調べてみた


1903年5月22日、藤村 操(ふじむら みさお)が華厳滝で自殺した日

日光華厳の滝



藤村 操は、北海道出身の旧制一高(東京大学)の学生で、日光の華厳滝において、

傍らのミズナラの木に「巌頭之感」(がんとうのかん)を書き残して自殺

webヨリ




翻訳すると


なんて広いのだ この天地は。

なんて遥かなのだ 古今(の歴史)は。

私は五尺の小さな体で この巨大さと対決しようとした。

ホラチウスの哲学(も学んだが)

それも何の権威があるのか、ありはしない。

この世のすべての真実の相(現象)は

ただ一言で言いつくせる、「不可解」と。

私はこの思いに苦悩し、ついに自殺を決意するにいたった。

すでに(華厳の滝の)岩の上に立った今、

私の胸中には何の不安もない。

初めて知った、大きな悲觀は大きな樂觀と同じだと。



自殺直後から藤村の自殺については様々に論じられ、そのほとんどは、

藤村の自殺を国家にとっての損失という視点から扱ったものだったそうだ

自殺の原因としては、遺書「巌頭之感」にあるように哲学的な悩みによるものとする説、

自殺前に藤村が失恋していたことによるものとする説とに分かれるが、

藤村をよく知る友人らはみな一様にこの「失恋説」を否定している



天地万物のすべて、この人生も不可解の一語につきる

解くことのできぬわだかまりを心に抱いて悩み苦しみ、自ら命を絶つことを決心したというのだ

この18歳の若い死は、日本における哲学的な煩悶による自殺の初めではないかという指摘もあり、

世間に大きな衝撃を与えた。追随者も出た

そしてこの華厳滝は自殺の名所としても有名、原因は藤村の遺した巌頭之感のせいなのか

この巌頭之感に感化されて華厳滝で自殺を試みた人は判ってるだけで185人いる


ずーっと気になっていた、華厳の滝に2015年(平成27年)に訪れることが出来た

卒業から50年経ってからだ



3等でした

2019年01月22日 13時10分40秒 | 日記
1月20日に2019年のお年玉付き年賀はがきの抽選が有りました


昨日(21日)の新聞の当選番号と貰った年賀はがきと睨めっこ





下2桁の3等の年賀はがきが2枚当たっていました、景品は切手シートです








まあー、何も当たらなかったよりはましだね