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哲学

2019年01月23日 21時30分42秒 | 日記
高校生の時、ある先生から哲学に関する本を読んでみなさいと手渡された

初めは何の本なのか分からなかった、なぜ先生がこの本を読めと言ったのか分からない

授業の後に色々質問したがその中に哲学に関する事は何もない(と思っていた今でも不明)

質問したり色々話もした、その中から先生は何かを感じたのだろうか?

ただ手渡された本の初めに書かれていた事が、なぜかすごく気になった、

そしていつまでも頭の片隅に残った、その文がこれだ うろ覚えだけど

「我、五尺の体で華厳の滝に飛び込む」こんな内容だった


ネットで調べてみた


1903年5月22日、藤村 操(ふじむら みさお)が華厳滝で自殺した日

日光華厳の滝



藤村 操は、北海道出身の旧制一高(東京大学)の学生で、日光の華厳滝において、

傍らのミズナラの木に「巌頭之感」(がんとうのかん)を書き残して自殺

webヨリ




翻訳すると


なんて広いのだ この天地は。

なんて遥かなのだ 古今(の歴史)は。

私は五尺の小さな体で この巨大さと対決しようとした。

ホラチウスの哲学(も学んだが)

それも何の権威があるのか、ありはしない。

この世のすべての真実の相(現象)は

ただ一言で言いつくせる、「不可解」と。

私はこの思いに苦悩し、ついに自殺を決意するにいたった。

すでに(華厳の滝の)岩の上に立った今、

私の胸中には何の不安もない。

初めて知った、大きな悲觀は大きな樂觀と同じだと。



自殺直後から藤村の自殺については様々に論じられ、そのほとんどは、

藤村の自殺を国家にとっての損失という視点から扱ったものだったそうだ

自殺の原因としては、遺書「巌頭之感」にあるように哲学的な悩みによるものとする説、

自殺前に藤村が失恋していたことによるものとする説とに分かれるが、

藤村をよく知る友人らはみな一様にこの「失恋説」を否定している



天地万物のすべて、この人生も不可解の一語につきる

解くことのできぬわだかまりを心に抱いて悩み苦しみ、自ら命を絶つことを決心したというのだ

この18歳の若い死は、日本における哲学的な煩悶による自殺の初めではないかという指摘もあり、

世間に大きな衝撃を与えた。追随者も出た

そしてこの華厳滝は自殺の名所としても有名、原因は藤村の遺した巌頭之感のせいなのか

この巌頭之感に感化されて華厳滝で自殺を試みた人は判ってるだけで185人いる


ずーっと気になっていた、華厳の滝に2015年(平成27年)に訪れることが出来た

卒業から50年経ってからだ



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