現在「会衆の聖書研究」で「自分を神の愛のうちに保ちなさい」が使われていますが、少し気になった点が2点。
9ページ 9節
つまり、聖書の内容をよく考えれば 明確な律法などなくても、何が神の意志なのか分かると言うことですね。
神が「淫行を避けなさい」(テサロニケ第一 4:3)と言っているわけなので、何が淫行かどうかなど、考えれば分かるので具体的な律法など必要ないわけです。
であれば、過去に取り上げましたが、わざわざ「オーラルセックス」だの「アナルセックス」だの書く必要があるのかと思いますね。
57ページ 15節
服装に関する規則集みたいなパンフレットを発行しているのはどこでしたっけ?
9ページ 9節
例えば,甚だしい暴力や性的不道徳を呼び物にした映画やテレビ番組を見てはいけないという直截的な命令は,聖書に記されていません。しかし,そうしたものを見ることを禁じる明確な律法が本当に必要でしょうか。わたしたちはエホバがそれらをどうご覧になるかを知っています。[中略]霊感によるそうした言葉を思い巡らすなら,何がエホバのご意志であるかをはっきり見分けることができます。
つまり、聖書の内容をよく考えれば 明確な律法などなくても、何が神の意志なのか分かると言うことですね。
神が「淫行を避けなさい」(テサロニケ第一 4:3)と言っているわけなので、何が淫行かどうかなど、考えれば分かるので具体的な律法など必要ないわけです。
であれば、過去に取り上げましたが、わざわざ「オーラルセックス」だの「アナルセックス」だの書く必要があるのかと思いますね。
57ページ 15節
聖書には,服装や身だしなみや清潔さに関するクリスチャンのための規則集はありません。エホバは,わたしたちが選択の自由を行使したり思考力を用いたりするのをとどめようとはなさいません。
服装に関する規則集みたいなパンフレットを発行しているのはどこでしたっけ?