なまぬるい生活

エホバの証人 元二世のブログ

私だけが滅びるんじゃない

2008年08月23日 14時01分03秒 | 一般記事
母親の研究生でなかなか進歩しない女性(50代)がいて、研究は打ち切りとなりました。

たばこをやめられないことや、今の生活を変えるほど「楽園の希望や永遠の命」に関心がない、ということだそうです。

それにハルマゲドンのときに「私だけが滅びるんじゃない」という理由のようです。

これを聞いて「なるほどそういう考えも一理あるなぁ」と思いました。

「死んだ者には何の意識もない」(伝道の書 9:5)ので、ハルマゲドンで滅ぼされたとしてもそれ以上のことはないのです。

エホバの証人としての生き方に魅力を感じず、またエホバの証人が教えている「将来の希望」に関心がないなら、今の生活を充実させることが一番大切なのです。

適用が違う!

2008年08月22日 21時05分30秒 | 一般記事
エホバの証人の友達と会話してると、よく「聖句の適用が違う!」と言われます。

Yahoo! 辞書(大辞林)によると、「適用」とは「法律・規則・原理などをあてはめて用いること。」という意味です。

つまり、「聖句を適用する」というのは、聖書の原則を実生活で当てはめて用いることを意味します。

どういう状況でどのように当てはめるのか、というのは聖句の解釈によって異なることがあります。

エホバの証人にとっては、「奴隷級」の出版物に記載されている内容がすべて正しい、絶対的な解釈だと思っているので、それと違うことを言うと「適用が違う」と言われてしまうわけです。

「神権宣教学校」の「聖書通読からの目立った点」では「聖書通読の範囲で良かった点やその益について聴衆に短い注解」が求められますが、ここでも「自分がどう良かったと思ったか、どのような益が得られたか」という点で「間違った適用」で注解すると後で助言されるかもしれません。

自分が感じたことや意見を率直に言うことは間違ったことではないと思います。

こんなことを書くと「『自分の理解に頼ってはならない』(箴言 3:5)の聖句を適用しろ!」って言われそうですね。

エホバの証人からの手紙

2008年08月20日 23時19分18秒 | 一般記事
某掲示板の過去ログを見ていたら、おもしろい書き込みがあったので紹介します。
香川県の人に届いた手紙だそうです。

○○様
拝啓

 私は近くに住む者で、××××と申します。時々お便りさせていただいておりますが、
読んで下さっていましたら、嬉しく思います。
 この聖書の伝道活動は、世界中で絶えることなく続けられていますので、
○○様への訪問やお便りが度重なってもご安心下さい。
 今回は「人間には不滅の霊がありますか」というパンフレットを同封させていただきます。
○○様も、人間には不滅の霊があると思われますか。
確かな答えを得られていますか。
 これまで幾千年もの間、人々は「死後の命があるのだろうか」という疑問を抱いてきました。
霊感のもとに記された神の言葉「聖書」はこうした問いに納得のゆく答えを与えています。
 神が与えて下さる「確かな答え」を知りたいと思われますか。
情報を得たいと思われましたら、お気軽に下記の住所にご連絡下さい。
                                           かしこ

2008年4月25日

                ○○市××××
                エホバの証人の王国会館 ××××

手紙の内容を見る限り、何度か手紙が送られてきているようです。

「霊感のもとに記された」なんて言ったところで一般の人は何のことか分かりません。

「訪問やお便りが度重なってもご安心下さい」って、何がご安心くださいだよって感じですね。

一般のダイレクトメールだと「入れ違いで本状が届いた場合はご容赦ください」とか「重複して届く場合がございますがご了承ください」のように、謝るのが普通ですよね。

エホバの証人としての感覚ではなく、一般の人が受け取ったときにどう思うかを考えて手紙を書いて欲しいと思います。


ちなみに、手紙が郵便で届いた場合、未開封なら「受取拒否」をすることができます。
詳しくは受取拒否 - Wikipedia郵便物の受け取り拒否をご覧ください。

神の用意してくださったもの

2008年08月20日 08時05分42秒 | 一般記事
ものみの塔 2008年6月15日号の13ページ 第2研究記事 10節に、ちょっと気になる言い回しがありました。

画像を読んでいただければ分かると思いますが、「忠実で思慮深い奴隷級」が提供する出版物、奴隷級が取り決めている集会や大会が「神の用意してくださったもの」であるかのような言い回しとなっています。

聖書は神が備えたものですが、それを解釈し本を出版したり集会や大会を組織しているのは統治体を筆頭とした協会です。

自分たちを「統治体」という称号で呼び、「優越感を抱き、目立つことやへつらいの称号を愛し」(ものみの塔 2007年11月1日号 4ページ)、「忠実で思慮深い」と自称するのはなんと謙遜さに欠けたことなのでしょう。
ローマ 12:12

エホバの義の基準は変わることがない

2008年08月19日 21時44分37秒 | 批判的意見
先日、公開講演で話されたこと。

「エホバの義の基準は変わることがない。世の中の基準はどんどん下がっている。数年前まで同性愛が非とされていたが、今ではごく当たり前の生き方となっている」

確かに、エホバの基準は昔から変わっていません。

でも、エホバが唯一導いておられる、と自称するエホバの証人はどうでしょうか。

80年代は子どもが何かするたびにムチで打たれましたが、現在はそれほど厳しい親はほとんど見かけません。
神権宣教学校、伝道者、バプテスマになろうとするとき、以前は模範的かどうか厳しくチェックされ、場合によっては保留されることもありましたが、現在はそれほど厳しくありません。
正規開拓者の要求時間も90時間から70時間に減り、補助開拓者は60時間から50時間に減っています。
『その日が近づいているのを見てますます集まり合わなければならない』(ヘブライ 10:25)はずなのに、集会が2009年から2回に減ります。

時代の変化に左右され、統治体の判断で教義・取り決めがころころと変わる…
そんな組織が本当に神によって導かれているのでしょうか。

連絡先

2008年08月17日 00時41分45秒 | 連絡先

このブログをご覧の親愛なる皆さん:

これまで,多くのコメントをいただいたことを大変うれしく思います。
ブログにコメントするよりも,直接メールしたいことがあると思われる方は少なくありません。

ここに,私のメールアドレスを公開できることは大きな喜びです。


皆さんはこの取り決めを知って大いに喜ばれるに違いありません。

掲載している画像に問題がある場合や誤字・脱字のご指摘,コメントの削除要請はこのアドレスまで連絡できるでしょう。
また,その他に連絡できる事柄は「WTL2010をZIPでくれ」といった個人的な内容に限られる,ということを思いに留めるのはふさわしいことです。

ブログに対する感想・意見はその記事のコメント欄を使うよう取り決められています。

皆さんの理解と協力を心から感謝いたします。

皆さんの兄弟,
ラオデキア会衆 なまぬる君
 
P.S. このメールアドレスは使えなくなりましたので、直接連絡したいことがありましたらTwitterからDMください。

雑誌を配布すること

2008年08月16日 15時03分21秒 | 一般記事
毎月2回、ダンボールに入った雑誌が会衆に届きます。
1つは書籍研究用のものみの塔と目ざめよ!、もう1つは配布用のものみの塔です。

到着すると数を確認してから成員に配られるわけですが、成員よっては一人で30冊以上の雑誌を受け取る人もいます。

こんな狭い区域で、そして反応の悪い区域でよくそんなに配布できるなぁ、と感心すると同時に、みんなちゃんと読んでくれているのだろうか?と疑問に思ったりします。

雑誌を多く配布している人と一緒に奉仕すると、どんな方法でそれだけの雑誌を配っているのか知ることができます。

「雑誌経路」という、毎月雑誌を受け取ってくれる人の所に行き「○○です。今回はこんな雑誌を持ってきました」と言ってから雑誌を簡単に紹介し、手渡した後に「いつも受け取ってくださりありがとうございます」と言ってから帰る、といった感じです。

多くの場合、「雑誌を読みましたか?」「雑誌を読んでいますか?」とか「どんな記事が役に立ちましたか?」といった質問はしません。

「読んでない」とか「読んでもよくわからない」といった答えが返ってくることが多いからです。

多くのエホバの証人は「配布した数」に喜びを感じるため、読んでいるのかどうかにかかわらず、断らない人には配布する、といった感じのようです。

読まない人に雑誌を配布するのは無駄なんじゃない?なんて普通は言えませんが、言ったとしても返ってくる答えは予想が付きます。
「大切なことは真理の種を蒔くことだ」ってね。

でも、「道路のわきや岩地」(マタイ 13:3-9)に蒔き続けても芽は出ないでしょう。

何ヶ月も配布し続けるより、本来の目的である「家庭聖書研究を取り決めること」を切り出したらどうなんですかね。
断られたら断られたで、しょうがないでしょ。「終わりの時代」だし。


余談ですが、うちの会衆では「雑誌経路」を会衆に報告することはありません。
なので、それと知らずにその家に入ると「女性の方がその雑誌を毎月持ってくる」と言われたり、同じ人が知らずに受け取ってしまうことがあります。

雑誌を受け取った人には「再訪問」するのが普通なので、ややこしいことになります。
こういうことはきちんと組織して欲しいものですが、そういうわけにはいかないようなので「この家は○○兄弟の雑誌経路だ」と覚えておくしかないようです。

こんな不満をつぶやいておきながら、今月はまだ一度も野外奉仕に出てません。
不活発扱いされないように1時間だけでも出ないとね。

「エホバの日」の年表

2008年08月14日 23時00分41秒 | 一般記事
「エホバの日」年表

先週から書籍研究で使っている「エホバの日を思いに留めて生きる」の本の20~21ページに年表があります。

13ページによると後の章でもこのページを随時参照するようなので、スキャンしてつなげてみました。
2ページにわたる挿絵をつなげたのでまだ若干のつなぎ目は見えますけど、そこはご勘弁を。

そのままスキャンしただけだとこんな感じです。 見る?

ちなみに「ヨタム、ペカハ、エホヤキム」の位置を少し移動しています。
よかったら印刷して書籍研究で使ってみてね。

世の中が悪くなってくれないと困る

2008年08月14日 00時24分07秒 | 一般記事
2008年9月号 雑誌の提供方法
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王国宣教の提供方法を見たり、野外奉仕の集まりに参加すると、エホバの証人って世の中が悪くならないと困るんだよなぁ、なんて思ったりします。

現代の世が提供するあらゆる便利な物に囲まれて生活し、公共機関の恩恵を受けながら、この世の悪い部分だけに注目し「ますます邪悪さが増している。終わりが近い」なんて不安を煽るわけです。

地震のニュースを聞いて「終わりの日のしるしだ」なんてニヤニヤしてる人もいます。

野外奉仕の集まりでは、最近身近で起こった事件などを取り上げて、人々の関心を呼ぶように提案されています。

僕個人としては、経済情勢や事件などの悪い面だけを考えるのは精神的に害がある、と思います。

もちろん、これは世の情勢や環境問題に無関心であるべき、というわけではありません。


以前、硫化水素自殺の事件が大々的に報道され、連鎖するように同じ事件が続けて起きました。

精神的に悪い状態で悪い情報が与えられると悪い結果になる、ということなのかもしれません。

ちょうどこんなことを考えていたときに、possibleさんのサイトを開いたら、こんなメッセージが表示されました。
【潜在意識の法則】
よいことを思えばよいことがおきます。悪いことを思えば悪いことがおきます。これが潜在意識の法則です。

J・マーフィー

雑誌の提供方法のほとんどが、
・世の中の不安なニュースを取り上げる
・世の情勢が良くなると思うか尋ねる
・聖書にはこんな希望がある、と聖句を紹介し雑誌を手渡す
というパターンになっています。

この、最初に世の中が悪くなっていることを不安に思わせる提供方法がものすごく嫌なんですよね。

こういうネガティブな影響を受けるのが嫌で、最近はあまり奉仕に出なくなりました。
会衆の区域の住民は一ヶ月に一度訪れるエホバの証人をしつこいと思うらしく、ほとんど良い反応をしてくれません。
(迷惑なら「もう来ないでください」って言ってくれればいいのに…)


最後にみなさんに一言。
こんな、やる気のないブログを見てるとあなたもやる気のない人間になってしまいますよ。