僕が子供の頃から会衆には何組かの開拓者パートナーがいて、常に接する機会がありました。
開拓者の話題はいつも「あとどれくらい時間を入れれば良いか」のように、常に時間を気にしている様子の方が記憶に残っています。
そんな、開拓奉仕の要求時間が 1999年1月に90時間から70時間に減りました。
あれからもう10年以上になるんですね。時が経つのは早いもんです。
開拓奉仕者は要求時間の変更をどう思ったのか、王国宣教 1999年8月号に載せられています。
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3ページ 3節にはちょっと気になるこんな「感謝の言葉」があります。
「天の父からの本当にありがたい贈り物です」。
「この備えに対する喜びや愛や感謝を何と表現したらよいか分かりません」。
「予定をこなすこともこれで随分楽になります」。
「これを機会にもっと多くの人が全時間奉仕を始めて,エホバに大いに仕えることから来る祝福を享受されるよう祈っています」。
これらの感謝はどれも的外れな感じがします。
要求時間が減ったことがなぜ「天の父からの本当にありがたい贈り物」なのか、「楽になった」と喜ぶのか不思議ですよね。
エホバの証人にとって、「正規開拓奉仕」こそが一種のステータスであり、特権意識があるんでしょうね。
だから、開拓者の要求時間が減ったことで、月70時間でも「開拓者」でいられることが「感謝の言葉」となったわけです。
統治体のさじ加減一つで「全時間」の定義が変わり、それを開拓者たちが「感謝する」というのはなんとも不思議な現象です。
この件については「
エホバの証人の開拓者制度について」をご覧ください。
鋭い視点でこの問題が取り上げられています。
月の途中で70時間に達成すると奉仕に出てこなくなったり、時間の蓄積があると年度末の8月はほとんど奉仕に出なかったりと、「時間」だけのために奉仕している開拓者がいるのはなんとも悲しいことです。
(1年で840時間に達すればよい)
ところで、この1999年8月号の王国宣教には「目標:7万人の正規開拓者」とあります。
その時点で6万3,000人ほどであり、今まで補助開拓をしていた人が加われば 7万人に達するというわけで、それが「道理にかなった達成可能な目標と考えて」いたそうです。
このように数字を目標にするのって、宗教というより企業の考え方ですね。
宣教奉仕にどれだけ携わるかは、各人が「心に決めたとおりに」(
コリント第二 9:7)行うべきだと思いますし、組織の目標を達成するためにせっつかれるのもなんだかなぁと思いますね。
さて、結果はどうなったかというと
1999年9月、
10月、
11月の奉仕報告を見る限りいずれも 6万3千人代で、目標の7万人には届きませんでした。
目標に達成していれば「7万人に達成しました!」と大々的に公表したでしょうけど、協会のもくろみ通りにならならなかったため、その記事はなかったことにしたようです。
ちなみに「王国宣教」には 2008年まで数ヶ月前の奉仕報告がすべて記載されていたのですが、2009年に
リニューアルしてからは「
野外奉仕のハイライト」と称して都合の良い数字だけを公表するようになりました。