なまぬるい生活

エホバの証人 元二世のブログ

エホバの証人によるサンタのコスプレ

2008年07月31日 22時20分39秒 | 一般記事
ブログを始めるようになって、過去の資料の内容、特に挿絵に注目するようになりました。

以前なら軽く目を通すだけで片付けていたのに、このように興味が湧くようになったのはエホバの導きでしょうか?

今日の奉仕会で扱われた資料、ものみの塔 2006年12月15日号の裏表紙にサンタの格好をした店員とクリスマスグッズを買う客の写真がありました。

またいつものように、それぞれエホバの証人が演じているのでしょう。
協会が信者の寄付で購入したクリスマスグッズを使って。

まさかサンタの格好をした世の人に「クリスマスを批判する記事の写真を撮りたいのでモデルになってくれないか?」なんて言っているわけではないでしょう。


こういうリアルな写真を見ると、以前地域大会の実演をした兄弟の話を思い出します。

その実演は、タバコを吸っている研究生が聖書を学んでタバコをやめる、というもので、吸っているタバコを捨てるシーンがありました。

もちろん実演では、実際にタバコを吸っているわけでも、本物のタバコを使っているわけでもありません。

タバコのような形をしたものを作って使用したそうです。
ただ、あまりにもリアルなタバコを作ってしまうと、「タバコを買ったのか」とつまずく人がいるかもしれないのでそれほど精巧には作らなかったようです。

協会の写真はリアルなのにそういうところには気を遣うって、なんだか不思議ですね。

公開講演の講演者にはどのように感謝したらよいか

2008年07月29日 13時19分07秒 | 一般記事
僕が神権宣教学校に入校しようと思っていた頃は、今よりも基準が厳しく模範的な行動を取っていないと入れてもらえませんでした。

会衆にもよるかもしれませんが、現在は余程目に余る行動がない限り、「神権宣教学校」に入ることや「バプテスマを受けていない伝道者」になることができるようです。

男性の場合、以前は「神権宣教学校」に入ると「第二の割り当て」は自分で作らないといけませんでしたが、現在は聖書を朗読するだけです。

聖書の朗読はもちろん大事なことですが、以前と比べるとハードルが低くなったなぁ、と個人的に感じます。


…で、話を元に戻しますが僕が当時助言されたことは、「講演者に感謝するとき、『ありがとうございました』だけでなく、どこが良かったのか、どのように益を受けたか具体的に言うと良い」という内容でした。

今改めて思うと、講演者への感謝って何を言えばよいのでしょうかね?

話し手は、協会が考えた筋書きを元に講演しているだけです。
(「だけです」という言い方は失礼かもしれませんが)

強調する内容、開く聖句もすべて指示されています。
(講演者によっては筋書きにない「例え話」や「経験」を入れることはあります)

ですから講演者に具体的な感謝を述べるなら「聞きやすい、良い話の組み立て方でした」のような内容でいいんじゃないでしょうか?

どのような益を受けたか、どのように励まされたか、といった内容は協会に直接言ったらいいでしょう。

そういえば、この組織はエホバが導いておられるんでしたね。
エホバに感謝すればいいわけですね。


ちなみに僕は「ありがとうございました」とか「お疲れさまでした」としか言いません。

バプテスマを希望する人たちのための質問

2008年07月28日 22時55分55秒 | 一般記事
組織の本 196-197ページ

エホバの証人として献身し、献身の象徴としてバプテスマを受ける場合、会衆の長老と「エホバのご意志を行うための組織」の本を使って「バプテスマの討議」をしなければいけません。

質問に対して答えるのですが、ものみの塔研究のように答えが直接書いてあるわけではありません。

それぞれの質問に対し、答えを導き出せる聖句が引用されており、その聖句から答える、という形式です。

と言っても、聖書から自由に注解できるわけではなく、エホバの証人の教義に合わせた、司会者が期待するような答えを言わなければなりません。

例えば、197ページ 10節に「クリスチャンが血を避けるべきなのはなぜですか。血を避けるとはどういう意味ですか。」という質問があります。

この質問に対して期待されている答えとは、「血を飲むことや、血の抜かれていない肉を食べることを避け、輸血も避けます」と言った内容だと思います。

間違っても「輸血は個人が決定するべき問題」とか、「血を避けるように神が命じておられるので、血液から作られる血液分画も厳密に避けなければなりません」のように、「組織の教え」とは異なる答えを言うとバプテスマは保留となるでしょう。

輸血・臓器移植・骨髄移植など聖書にはっきり禁止されていない事柄は個人が決定するべきでしょう。

この点で、ものみの塔 1980年6月15日号 31ページの「読者からの質問」は役に立つでしょう。一部を引用します。

聖書は特に血を食べることを禁じてはいますが,他の人間の組織を受け入れることをはっきりと禁じている聖書の命令はありません。そのわけで,この問題について決定を迫られる人各々は,物事を注意深く,祈りのうちに考量し,それから神のみ前で自分のできること,あるいはできないことを良心的に定めなければなりません。それは個人的に決定を下す問題です。(ガラテア 6:5)ある人が臓器の移植を受けたとしても,会衆の審理委員会は懲戒措置を取らないでしょう。

パートナー生活は環境に悪い

2008年07月27日 20時03分49秒 | 一般記事
目ざめよ!誌の30ページには「世界展望」という世界の小ネタが掲載されています。

世界展望は聖書の内容ともエホバの証人の教義とも関係ない記事も多いですが、これを掲載する基準や理由は何ですかね?


画像は目ざめよ!2008年10月号 世界展望の記事「離婚は環境に悪い」です。

「世帯数が増え,世帯ごとの人数が減り,一人当たりの消費量が増す」ことによって「環境に悪影響が及んでいる」そうです。


でも、それを言うならエホバの証人がやってる「パートナー生活」だって環境に悪いんじゃない?

エホバの証人をよく知らない人のために説明すると、「パートナー生活」とは結婚生活のことではなく、開拓者の兄弟同士か姉妹同士が二人で生活することです。
多くの場合、エホバの証人が少ない地域に派遣され、その会衆からは「必要で入ってきた開拓者」などと呼ばれます。


「限りある資源の消費」が問題なら、親元にいた方が「資源効率」がいいのではないかと思います。


P.S.
この記事を掲載後に「離婚 環境 悪影響」で検索したらこの学説を批判しているブログを発見しましたのでリンクします。
離婚は環境に悪影響?! - 離婚日記
離婚は地球環境に悪影響を与える - 童子の戯言

エホバの証人は裁判員制度をどうみなすべきですか

2008年07月27日 02時09分11秒 | 一般記事
日本でも裁判員制度(陪審員制度)が2009年5月から始まりますが、エホバの証人が裁判員に選ばれたらどうするのだろう、と以前から疑問に思っておりました。

先ほど某掲示板をチェックしていたら、過去のものみの塔や目ざめよ!に載っていると言うことで調べてみました。

以前ライブラリーで調べたとき、「裁判員」というキーワードで検索していたので見つからなかったようです。

いやぁ、インターネットは役に立ちますね。
ちなみに、目ざめよ!2008年10月号は「子どもとインターネット」という記事です。


ライブラリーで調べればすぐに出てきますが、役に立つと思われる一覧を載せておきます。

ものみの塔 1997年4月1日号 読者からの質問
「クリスチャンは,陪審義務のために出頭を求められたらどうすべきですか。」

目ざめよ! 1979年3月8日号 聖書の見方
「クリスチャンは陪審員を務めますか」

ものみの塔 1973年7月15日号 読者からの質問
「エホバの証人は陪審義務についてどんな態度を取っていますか。」


それぞれ長い記事なのでここには載せませんが、協会としての見解は「個人的な決定」だそうです。

ものみの塔 1997年4月1日号 29ページ最後の段落を引用します。

まとめとして,陪審義務に直面するクリスチャンは各自,聖書に関する理解と良心に基づいて,自分がどんな行動を取るかを決定しなければなりません。クリスチャンの中には,陪審義務のために出頭し,ある事件について陪審を務めた人もいます。また,たとえ処罰されるとしても辞退せざるを得ないと強く感じた人もいます。クリスチャン各自は,自分がどうするかを決定すべきであり,他の人はその人の決定を批判すべきではありません。―ガラテア 6:5

噂好きのエホバの証人が裁判員に選ばれたら、他の証人に裁判内容をしゃべってしまうかもしれないね。

エホバの証人の二世が学校で直面する問題

2008年07月25日 23時16分51秒 | 一般記事
以前、学校とエホバの証人という記事で、「学校とエホバの証人」のブロシュアーが「エホバの証人と教育」に代わった、という内容を書きました。

ですが、どうやらそうではなく、教育機関に携わる人に提供するために「エホバの証人と教育」ができただけで、いまだに「学校とエホバの証人」は有効らしいです。

先日の奉仕会で、エホバの証人の子どもたちは学校を「特有の区域」とみなし、証言する良い機会であることなどが扱われました。

また、学校で直面する問題、例えば校歌を歌えないことや格闘技に参加できない理由を先生に説明するために親がどのように助けられるか、といった点も扱われました。

組織の本に書いてあるから従っているだけなのに、先生に説明(証言)するときは「聖書的な理由で、良心的に参加できません」なんて言ったりするんですよね。


例えば、校歌が本当に学校を賛美する内容なのかどうか、なんて考えもしないわけです。

「我が○○学校 賛美せよ~♪」なんて歌詞だったら、そりゃ良心的に歌えないかもしれませんが、必ずしもそういった内容でもないでしょ。

僕の小中学校の校歌は、学校を取り囲んでいる自然を歌い、「ほがらかでさわやかな人であれ」みたいな歌詞だったと思います。

つまり単なるテーマソングで、偶像崇拝とは無関係だと思うんですよね。


司会者の「学校で直面する問題に対処して聖書の原則を当てはめる点で、親がどのように備えさせてくれましたか」という質問に対し、「小学校のとき、校歌を歌えない理由を先生にうまく説明できなくて、あとで母親からアドバイスをもらい、うまく証言することができました」という注解がありました。

先生に対して、それは「良い証言」となったでしょうか。
先生がエホバの証人のことを理解してくれる良い機会となったでしょうか。


こういう話を聞く度に子どもの頃の嫌な思い出がよみがえってきてブルーになります。

自発奉仕に割り当てられた…

2008年07月25日 02時23分35秒 | 一般記事
申し込んでもいないのに…
全然「自発」じゃないじゃん。
しかも朝7時にミーティングとか、ありえない。

会場でやる気なさそうな「自発奉仕者」がいたら、僕かもしれないので声をかけてください。「なまぬる君ですか?」って。


そういえば、早いところでは今日(25日)から地域大会ですね。(日程一覧

金曜日に発表される「若い人」や土曜日の「神の愛」を受け取った方はレポートよろしく

エホバの組織に固く付く

2008年07月24日 23時29分44秒 | 一般記事
エホバの組織に固く付く


Watchtower Library には、エホバの証人向けの書籍「エホバのご意志を行うための組織」が収録されていません。

組織を重んじる宗教がこの本を収録しないのは何か理由があるんですかね?


ちなみに、これは「バプテスマを受けていない伝道者」に昇格するともらえます。

この本は2005年にリニューアルされました。
特に大きな発表もなく、書籍カウンターで受け取るように、という指示だったと思います。

僕がバブテスマを受ける時に討議したのはこれよりも前の版だったのですが、そのときに「自分が感染症にかかっている場合」の項目が印刷されたものが追加資料として渡されました。

このときの追加項目は196ページに載せられています。


今改めてこの本を読んでみると、いろいろと突っ込み所満載ですね。

第17章「エホバの組織に固く付く」をご覧ください。

神に近づくこと、エホバとの親しい関係がイエスキリストを通して持てること…などと話が続き、なぜか目に見える伝達経路に固く付くことや疑問を持ってはいけないことに結びつけられています。

この組織が偽りや矛盾のない、聖書にしっかりと基づいた組織なら固く付きたいと思いますがね。

最後に、僕の好きな聖句を紹介します。
「神よりもあなた方に聴き従うほうが,神から見て義にかなったことなのかどうか,あなた方自身で判断してください。しかし,わたしたちとしては,自分の見聞きした事柄について話すのをやめるわけにはいきません」。(使徒たちの活動 4:19-20

Watchtower Library の便利な機能

2008年07月24日 16時54分09秒 | 一般記事
書籍研究で取り扱われる「啓示の書」や「エホバの日」を予習するときに便利な機能が Watchtower Library にあります。

「抽出」という機能なのですが、それを使うと、節番号と引用されている聖句の一覧が印刷されます。


知らない人のためにさらに詳しく説明すると、扱われる資料の範囲を選択して右クリックの「抽出」で「引照聖句」をチェックし、最後まで進むと聖句の一覧が表示されます。

これを使えば、いちいち聖書を開かなくても、参照されている聖句をすぐに確認でき、予習にあまり時間を取れない人でも「聖句からの注解」ができる、という優れものです。

すべての聖句を開き、それを書き写していると時間だけが過ぎていき、「予習した気」になっても肝心の内容を把握していない、という状況を避けられるかもしれません。


僕は「啓示の書の預言」というくだらない本に時間をかけている暇はないので、聖句の一覧を印刷した紙を持参していました。

…ですが、それを見た監督に助言されてしまいました。

「ライブラリーは便利だけどそのような使い方は勧められていない。巡回監督も、聖句を書き込むように励ましていたし。


この組織は人の行動にいちいちケチをつけますよね。
予習しないで参加するよりずっといいじゃん。

エホバの証人と噂話

2008年07月24日 16時23分51秒 | 一般記事
会衆で私について、ある噂を流している人がいるようです。

内容はたわいもないことなのですが、まったく事実無根な内容なのが腹が立つのです。

ちなみに「背教的な考えを抱いている」とか、「批判的なブログを書いている」といった内容ではありませんのでご安心を。


エホバの証人って、本当に他人のことを噂するのが好きですよね。

エホバの証人の悪いところは、他人のプライバシーを侵害しても本人には悪気がない、というところでしょうか。

「○○兄弟のことみんな心配してるから…」などと正当化されるわけです。


個人的に相談した内容が会衆に知れ渡っていたり、長老に相談した内容がその妻や家族に知れ渡っていたり…。そんな例は何度も体験しました。

そういうことを経験した今では、この組織に相談などしていません。
それ以前に、相談しても返ってくる内容は大体予想できるからなんですけど。