なまぬるい生活

エホバの証人 元二世のブログ

雑誌の提供方法 - 目ざめよ!2008年5月号

2008年04月27日 21時45分40秒 | 雑誌の提供方法

原チャ様、24日の記事のコメントありがとうございます。

2008年5月号の目ざめよ!誌「若い人は尋ねる - 自分で命を絶つのは,どうしていけないんだろう」の記事ですね。

結構前にこの雑誌を受け取っていたのですが、読んでいませんでした。
励まされますね

というわけで、この記事の提供方法を掲載しておきます。

26ページの記事を見せながら次のように言う。
「もう苦しみを終わらせたい,という人がいれば,ぜひ助けになりたいと思いますね。
この記事では,若い人の自殺の兆候や,親や周りの人がどのように助けになれるかが扱われています」。
テサロニケ第一 5:14を読んで,この記事を紹介する。


硫化窒素の自殺が話題になっているので、まさに「時宜にかなった記事」といえるかもしれません。

余談ですが、「もう苦しみを終わらせたい,という人がいれば,ぜひ助けになりたいと思いますね。 」の前置きがちょっと不気味に感じちゃいました。

集会のプログラム変更の発表キター

2008年04月27日 21時10分59秒 | 一般記事
かねてからインターネットで噂になっていた、2009年1月以降の取り決めが今日発表されました。

僕はインターネットで情報を知っていたのですが、うちの会衆にも何人か知っていた人がいたようです。
主宰が話していたとしたらずいぶんとずさんな会衆だと思います。

現状の書籍研究は少人数で集まるため、「注解」しなければならないという雰囲気があったのですが、それがなくなるというのはいいことだと思います。

僕のような下っ端にも、毎週のように「祈り」や「朗読」の割り当てが来るのですがそれがなくなるのはうれしいことです。
さらに「霊性」が低くなりそうです


「開拓奉仕」の時間が変更されたときのように、とぼけた感想が寄せられそうです。 (「物事をありのままに考えるエホバの証人」を参照)
例えば、こんな感じで。


『本当に、本当に、ありがとうございます』。
2009年から調整された、集会のプログラムの調整に関して、このような感謝の言葉で始まる手紙が多くの兄弟姉妹たちから寄せられました。皆さんがこの変更について共通にお感じになった事柄が、ひしひしと伝わってきました。この調整が自分の祈りに対する答えであった、と述べた人も少なくありません。
ナイジェリアのある開拓者は、「何と優しい配慮なのでしょう」と書いています。皆さんも、その知らせについて同じようにお感じになったのではないでしょうか。

雑誌からどんな点を話せますか

2008年04月24日 18時08分29秒 | 一般記事
エホバの証人の「伝道者」に配られている「王国宣教」に、「ものみの塔」や「目ざめよ!」誌の提供方法が載せられています。

今後、この提案からいくつか掲載する予定です。

今日は「目ざめよ! 2008年4月号」の提供方法。

「ここをご覧いただけますか。[26ページを見せる。]
研究者たちは,ガラスの表面を逆さになって走れるヤモリの足を研究して,その足のような接着剤を開発したいと考えているようです。
この記事は,注目に値する良いアイディアが,自然界に見られるのはなぜかを考えるよう勧めています」。
箴言 30:28を読み、この記事を紹介してください。


爬虫類・両生類が好きな人ならまだしも、こんな記事をいきなり見せられたらびっくりするかもね。

JW的に成長するかどうかは会衆による

2008年04月24日 09時42分49秒 | 一般記事
エホバの証人は一致した民と自称していますが、人それぞれ性格が違うように、会衆ごとに雰囲気が違います。JW的に「霊が違う」と言います。

特に、長老がその会衆の雰囲気を左右するようで、若くて元気な長老がいる会衆は若者が育ちやすく、堅物なオッサン長老しかいない会衆は若者の元気がなく、離れやすいようです。


僕が生まれ育った会衆の長老は変わってる人ばかりで、特に主宰の長老(50代)がかなり消極的な性格なんですね。
本人いわく、そのような家庭で育ったため、ついそのような性格が出るようです。

この会衆は以前「必要の大きな会衆」でしたので、何組か開拓者の姉妹が入ってきましたが、なにかと理由をつけて全員元の会衆に戻ってしまいました。

2世の若者も、中学生位まで集会に来るけど、高校生位で自然と離れていく、というパターンが多いようでした。

このような環境ですから、成員すべてこの会衆が嫌いかというとそうでもなく、「熱心に野外奉仕をしなければならない」といった堅苦しい雰囲気が好きではない人にとっては居心地がいいようです。


今、僕が所属している会衆は若者が多く、できる限り(無理してでも)開拓奉仕をするよう「励まされて」いるんですね。
それで、多くの若者は高校を卒業すると、バイトをしながら開拓奉仕を始めるようです。


エホバの証人は、基本的に現在住んでいる「区域」を管轄している会衆に出席するのですが、もし自分の行っている会衆が自分と合わなければ、無理してでも行く必要はないと思います。
無理して行って、精神的に参ってしまったら元も子もないですからね。

うちの会衆も含め、区域外の会衆に「越境」して通っているエホバの証人もいますので、例外的に認められるのは事実です。

ある程度都会でしたら、同じ王国会館を他の会衆も使用していたり、すぐ近くに別の王国会館があったりしますので、気分転換に出席してみるのも手ですし、そちらの会衆が合うようでしたら移動しても良いかと思います。

迷信深い人

2008年04月17日 23時31分00秒 | 一般記事
罪への恐れで錯綜してしまった想像の病、すなわち空想と良心に入れ替わり立ち替わり襲われるそれほど、癒しにくい心の病はない。
迷信深い人はしばしば落ち込みやすく、落ち込みやすい人はたいていいつも迷信深いものである。
サミュエル・ジョンソン (1709-1784)


妄想に取り憑かれる人々」より。とりあえず載せておきます。

なぜバプテスマを遅らせるのですか。

2008年04月17日 17時53分27秒 | 批判的意見
と題する話が先週の「奉仕会」で行われました。
「ものみの塔」2006年7月1日号 29~30ページに基づくものですが、若いうちにバプテスマを受けるのは良いことだ、という内容でした。

多くの二世は中学生・高校生で受けているし、小学生で受けている人もいる、という長老の注解がありました。
若いうちに献身すれば、これから生じるさまざまな誘惑に対して身の守りとなるのだそうです。


「バブテスマを受ける」ということ自体はそれほど難しいことではありません。
集会や奉仕活動に定期的に参加していて、聖書や出版物の内容をある程度理解できていれば受けることができます。

消極的な長老だと、もう少し待った方がいいのでは?と言われることがありますが、二世離れが多い現在では積極的に勧めるようです。


でも、自分の人生を左右する重要な決定をそんな若いときに、簡単に決めていいものなのでしょうか。
自分でこの生き方こそ真理だと心から確信したのでしょうか。

会衆にもよるかもしれませんが、高校生でバプテスマを受けていないと、変わり者扱いされたり、バプテスマを受けるよう「励まされたり」します。

エホバの証人がよく使う「励ます」という言葉は、組織の提案を相手に押しつけるようにも思えるんですよね。
「励ましている」本人はなんとも思っていなくても相手にとっては重荷だったりするわけです。

「フィレモンへの手紙」14節には「あなたの良い行ないが,強いられたものではなく,あなた自身の自発的な意志によるものとなるためです。」と書いてあります。


イエス・キリストは29歳になってからバプテスマを受けたのに、なんでこの組織はこんなに早まらせるんでしょうね。これじゃ幼児洗礼と一緒ですよ。

集会中、子供たちはなにをしているべきか。

2008年04月15日 02時19分10秒 | 批判的意見
という質問に、普通のエホバの証人だったら「大人と一緒に話を聞いて、益を受けている」と答えると思います。

ふりがなを振られていない聖書や雑誌を持ち、大人ですら理解できないような話を聞いていなければならない。
居眠りしたり、ノートに落書きすることもゆるされない。
結局、ぼーっとしているしかないんですよね。

そういう環境で身につく特技とは、妄想にふけながらも話し手が言った聖句をきちんと開けることでしょうか。


2008年の「エホバの証人の年鑑」44ページに、ちょっとおもしろい写真があったので紹介します。
マダガスカルのものみの塔研究のようですが、左の子は頭に手を当てて大あくび。
真ん中の子は恍惚状態。その後ろの子は白目を向けて寝ています。

これが自然の状態でしょうか…

「啓示の書」の本がはげしくつまらん。

2008年04月15日 01時34分31秒 | 批判的意見
現在エホバの証人が書籍研究で研究している本が「啓示の書 その壮大な最高潮は近い!」という本なんですね。

この本が出版されたのは1988年で、かれこれ20年近く前です。

この本が出版されてから、多くの箇所が改訂されています。
訂正箇所の一覧は「王国宣教」に載せられたのですが、それを見ながら研究するというのも結構面倒です。

「大文字版」や「ペーパーバック版」では「王国宣教」に掲載された訂正箇所が反映されているのですが、それを大々的にアナウンスしないのは、多くの証人がすでにこの本を所有し、2回研究していることや会衆によっては古いハードカバー版が大量に在庫しているためかと思います。

ちなみに、「ウォッチタワーライブラリー2007年版」では「ペーパーバック版」と同等の記事を閲覧できるようです。(ただし挿絵はありません)


この本が出版したときは、20世紀が終わる前にハルマゲドンが来ると思っていたようですが、残念ながら21世紀になってしまいました。

「王国宣教」に掲載されている訂正箇所以外にも、2006年以降に印刷された版では「20世紀の今日」が「近年」となったり、「今日の20世紀では」が単に「20世紀では」と変更されたりしています。


この本は翻訳がだめなのか、元の英語からだめなのか知りませんが、ものすごく読みにくい上に理解しにくいんですね。
挿絵もなんだか気味悪いですし。

理解しにくい本をエホバの証人は「固い食物(しょくもつ)」と呼びます。
「乳」のような基礎的な事柄だけでなく、深い理解を得なきゃならん、というわけです。

ですが、この本が理解しにくいのは固い食物だから、というわけではなく単につまらないからだと思うんですね。
辞書を読んでいるような感じです。

出席者も本に書いてあることを読むことが「注解」だと思っているようで、理解している人はあまりいないようです。
先日の集会で、司会者が最後に「今日の内容からどんな益が得られましたか?」と質問したところ、だれも答えられる人がいませんでした。

多くのエホバの証人が望んでいるのは、早く2008年8月になって次の研究が始まることでしょうか。