古い建物が大好きで、以前より辰野金吾さんに興味があったので、この本が出版されてすぐ喜び勇んで読みました。
若干なぜだか盛り上がりに欠けるような感じがあるものの、知ってる著名人の名前が出て来たり、色々知らない知識を教えてもらえたりして、私は面白く読ませていただきました。読み終わって暫く経つと、しみじみ良さが後から湧いてくる作品かも。4つ★半
どこまでが事実でフィクションなのかが、こういう歴史小説の場合、判断が難しいのですが・・・
今日は全てネタバレで、あらすじと感想を書きました。
辰野さんの人柄等が、想像していたのとは全然違っており・・・、強引で野心的な人だったんですね。なりふりかまわず、欲しい仕事をつかみ取る人でした。
師匠コンドルの仕事を強引に横取りしたり、偉くなった後には議員建築調査会の委員を弟子で固めたり・・・。
でも、愛人・妾等は取らなかったそうです。
明治維新後、開設される工部大学校(現・東京大学工学部)を受けるも落ちてしまう。しかし運良く追加試験に猛勉強の末、合格。入学後も特に良い成績ではなかったのに、それまで首席だった同郷の達蔵を抑えて辰野が首席になり、その特権でイギリスへの留学生となる。帰国後、コンドル先生の後の教授となったのでした。
彼は、外国人ではなく、日本人の手で「東京」の街づくりを行いたいと強く思っていました。
その後、日本銀行の本店新築を手掛けたいと思うが、すでに辰野の恩師コンドルに内定済みだった。
しかし諦めきれず、コンドルが手掛けた鹿鳴館へ乗り込み、首相伊藤博文に直談判するのでした。
自分ならばもっと・・とか、コンドルはたいした事ないとか、色々と熱く訴え、横取りに近いやり方で日銀の仕事を奪う。(小説では、その殆どをコンドル先生に聞かれていた⇒コンドル先生は怒るわけでもなく、ただじっと聞いていて、とても紳士的だった。)
そんな金吾と共に同郷出身の曽根達蔵が描かれます。
2人は子供の頃に出会っていますが、金吾が一方的に一度見て覚えているだけで、当然ながら達蔵は憶えていませんでした。下級武士の金吾と、もっと位の高い達蔵では身分的にかなり差があったのでした。
後に、金吾の妻までもが達蔵を様付けするか君で呼ぶか・・ずっと戸惑いがある様でした。
曾禰達蔵
唐津藩の主筋・小笠原長行の小姓を6年務めるが、幕府崩壊時に、函館に向かう主君から、彼の才能を惜しまれ「戻りなさい」と言われます。故郷に戻り、燃え尽き症候群になっていたところ、英語を学ぶ耐恒寮に入学、金吾等と出会う。
大学卒業時の首席、欧州留学、教授の座、東京駅舎等、金吾に何度もその座を譲って来たが、常に冷静で穏やか、紳士的で、嫉妬があるのか、ないのか・・・常に本音を現さない人でした。
後にコンドル先生が「卒業論文も、金吾より達蔵の方が実は上だった。知識が豊かで分別があり、結論にまとまりがあった。でも、一刻も早く西洋に肉薄しなければならぬ日本で、無理やりにでも腕を天へと伸ばす人を取るべき、ということで、かなり強引な結論を書いたものの金吾を選んだ」と言っていました。
卒業後、金吾が3年留学に行っている間、達蔵は助教授を務めていましたが、帰国すぐに金吾が教授に入って来た。
と、なんだか損というか・・・腹が立って当然なのに、いつだって達蔵は眉一つ動かさずに微笑んでいたのでした。
★「一世の師表と仰がれる人」「温厚、実直な人格で、皆に慕われ」
こちらpdfなのでPCからしか開けないかも・・・
曽禰達蔵 曽根達蔵
三菱一号館他、慶應系列の建物一杯など、知っている建物を色々作っていた方だったのね。
彼も優秀で、また認められた人だったのですね。
また彼の長男は忘れられた物理学者と言われており、クリスチャン。開成高校の校長さんだったそうな。
本を読みながら、達蔵の方が魅力的で興味が湧いてしまいました。
さて、金吾は日本銀行を建てた後、東京駅を作る事になるのですが、
そもそも、辰野の設計した東京駅より先に、コンドルと曽禰達蔵が三菱1号館などのイギリス風のオフィス街「一丁倫敦」を建てていたのでした。その雰囲気を壊さない様に、似た感じにまとめようと思って、あの東京駅のデザインになったというのが驚きでした。後に辰野式と呼ばれる様になるレンガ風の建物は、もともとあったクィーン・アンという英国の変種だったのですね。
何故か達蔵は東京駅の設計を、辰野金吾に依頼するような行動に出るんですよね、何故だったんだろう?これは最後金吾が病床の枕元でも質問するのだけれど・・・。
金吾は死に際、達蔵には「かなわなかったな、生涯」と妻にこぼすのでした。
ちなみに、出来上がった東京駅は庶民には丈夫そうだとか立派だと好評でしたが、プロには不評だったそうです。入口と出口が別で南北に離れており不便で、両方使えるようになったのは、完成から34年後の昭和23年のことだったそうです。端っこにある入り口出口は一般客用で、中央は天皇や皇室用に作られていたからなのでした。
ジョサイア・コンドル
工部大学校・造家学科で辰野金吾等を指導した教授。金吾の師匠であり大恩人。ただ、年齢は2つしか離れていなかった。
作品に鹿鳴館、ニコライ堂(設計のみ)、旧岩崎邸、旧古河庭園等・・
私は凄く優秀で高名な建築家だと思い込んでいましたが、そんなに著名な建築家というわけでは、なかったようです。
ちなみに、彼が作った鹿鳴館はたった7年で華族会館に払い下げられ、日本最初の流行遅れの物件、また彼も流行おくれの外国人になってしまった。でも、彼の作った岩崎邸とか三菱一号館とか、私は大好きですけどね・・。
日銀の仕事を金吾に奪われた後、自分の事務所を開設して個人邸宅などの仕事を受けてはいたものの、金吾の様なスケールの大きい仕事は受けることはなかったのでした。
それでも母国の英国に戻らず日本に残り続けたのは、英国では一流にはなれず、戻っても居場所がないであろうこと、日本ならば先駆者ということで尊敬は得られることと、日本文化などに傾倒していたからだとか・・。コンドル氏は金吾が亡くなったわずか1年後にお亡くなりになられています。
ただ、金吾がかつて師匠コンドルを古いと言った様に、自分も後に東京駅を作る時、弟子に古いと言われ去られる経験をされるのです。弟子の松井清足から、もうこれからはコンクリートによる高層建築の時代だと言われ・・。金吾やコンドルの「建物に美術性」は不要で、NYに連立する空間を最大限使え、沢山の人が入れて頑丈な箱のようなビルディングが主流になると。
途中、ちょこっと登場する金吾のライバルに妻木頼黄という人がいました。武士の旗本の出身で、6期下。ドイツの先生に学び、ドイツの建築に詳しく、金吾にライバル意識をむき出しにしてくる人。
後に、横浜商銀本店(現・神奈川県立歴史博物館)を建てる際、金吾が任されると思いきや、妻木が担当した事で金吾がおもしろくなく思うのですが、彼が建てた建物を見たら、凄く立派だったことに愕然とし(金吾はドイツ風の日銀を建てたのですが、そもそも金吾は英国式には詳しいけれどドイツ式には詳しくはなかったので、)、以後石の建物は作らない!と。
その建物がこれです。
これ、以前横浜に行った時、馬車道あたりの道を歩いていて、うわ、すごいカッコイイ建物!これなんだろう?って、訳もなく撮影したんですよね 笑
その他、彼は、旧横浜新港埠頭倉庫(現・横浜赤レンガ倉庫) 1911年(明治44年)も作ったそうです。
ちょこちょこ登場する、金吾の人生を語る時に欠かせない高橋是清という人。
波乱万丈で破天荒で、天才的な頭脳の凄い人。この人の事をもっと知りたくなりました。以前オダギリジョーが演じたNHKの単発ドラマがありましたが、それは、こんな魅力的に描かれてなかったような・・・もう全然記憶にないです。
東太郎(高橋是清) 幕府御用絵師の妾腹。酒・博打で身を持ち崩したり、アメリカ留学するも奴隷に売られた経験も。唐津の英学校・耐恒寮の教師となり金吾等を指導。後に、ペルーでの銀山サギで無一文になるが金吾の日銀本店建築の際、事務方として助力、最後は大蔵大臣にまで上り詰める。
是非、門井先生、次回は、高橋是清さんの本を書いて下さい!みんなも同じ風に願ってるはず。
この「東京、はじまる」を大河ドラマでやってくれたら良いのになあー。キャストが困るけど、若い時の金吾は菅田将暉、年取ってからは役所広司、中年以後の達蔵は藤木君なんかどうかな。
東京、はじまる 2020/2/24 門井慶喜
門井慶喜
「家康、江戸を建てる」
「銀河鉄道の父」
若干なぜだか盛り上がりに欠けるような感じがあるものの、知ってる著名人の名前が出て来たり、色々知らない知識を教えてもらえたりして、私は面白く読ませていただきました。読み終わって暫く経つと、しみじみ良さが後から湧いてくる作品かも。4つ★半
どこまでが事実でフィクションなのかが、こういう歴史小説の場合、判断が難しいのですが・・・
今日は全てネタバレで、あらすじと感想を書きました。
辰野さんの人柄等が、想像していたのとは全然違っており・・・、強引で野心的な人だったんですね。なりふりかまわず、欲しい仕事をつかみ取る人でした。
師匠コンドルの仕事を強引に横取りしたり、偉くなった後には議員建築調査会の委員を弟子で固めたり・・・。
でも、愛人・妾等は取らなかったそうです。
明治維新後、開設される工部大学校(現・東京大学工学部)を受けるも落ちてしまう。しかし運良く追加試験に猛勉強の末、合格。入学後も特に良い成績ではなかったのに、それまで首席だった同郷の達蔵を抑えて辰野が首席になり、その特権でイギリスへの留学生となる。帰国後、コンドル先生の後の教授となったのでした。
彼は、外国人ではなく、日本人の手で「東京」の街づくりを行いたいと強く思っていました。
その後、日本銀行の本店新築を手掛けたいと思うが、すでに辰野の恩師コンドルに内定済みだった。
しかし諦めきれず、コンドルが手掛けた鹿鳴館へ乗り込み、首相伊藤博文に直談判するのでした。
自分ならばもっと・・とか、コンドルはたいした事ないとか、色々と熱く訴え、横取りに近いやり方で日銀の仕事を奪う。(小説では、その殆どをコンドル先生に聞かれていた⇒コンドル先生は怒るわけでもなく、ただじっと聞いていて、とても紳士的だった。)
そんな金吾と共に同郷出身の曽根達蔵が描かれます。
2人は子供の頃に出会っていますが、金吾が一方的に一度見て覚えているだけで、当然ながら達蔵は憶えていませんでした。下級武士の金吾と、もっと位の高い達蔵では身分的にかなり差があったのでした。
後に、金吾の妻までもが達蔵を様付けするか君で呼ぶか・・ずっと戸惑いがある様でした。
曾禰達蔵
唐津藩の主筋・小笠原長行の小姓を6年務めるが、幕府崩壊時に、函館に向かう主君から、彼の才能を惜しまれ「戻りなさい」と言われます。故郷に戻り、燃え尽き症候群になっていたところ、英語を学ぶ耐恒寮に入学、金吾等と出会う。
大学卒業時の首席、欧州留学、教授の座、東京駅舎等、金吾に何度もその座を譲って来たが、常に冷静で穏やか、紳士的で、嫉妬があるのか、ないのか・・・常に本音を現さない人でした。
後にコンドル先生が「卒業論文も、金吾より達蔵の方が実は上だった。知識が豊かで分別があり、結論にまとまりがあった。でも、一刻も早く西洋に肉薄しなければならぬ日本で、無理やりにでも腕を天へと伸ばす人を取るべき、ということで、かなり強引な結論を書いたものの金吾を選んだ」と言っていました。
卒業後、金吾が3年留学に行っている間、達蔵は助教授を務めていましたが、帰国すぐに金吾が教授に入って来た。
と、なんだか損というか・・・腹が立って当然なのに、いつだって達蔵は眉一つ動かさずに微笑んでいたのでした。
★「一世の師表と仰がれる人」「温厚、実直な人格で、皆に慕われ」
こちらpdfなのでPCからしか開けないかも・・・
曽禰達蔵 曽根達蔵
三菱一号館他、慶應系列の建物一杯など、知っている建物を色々作っていた方だったのね。
彼も優秀で、また認められた人だったのですね。
また彼の長男は忘れられた物理学者と言われており、クリスチャン。開成高校の校長さんだったそうな。
本を読みながら、達蔵の方が魅力的で興味が湧いてしまいました。
さて、金吾は日本銀行を建てた後、東京駅を作る事になるのですが、
そもそも、辰野の設計した東京駅より先に、コンドルと曽禰達蔵が三菱1号館などのイギリス風のオフィス街「一丁倫敦」を建てていたのでした。その雰囲気を壊さない様に、似た感じにまとめようと思って、あの東京駅のデザインになったというのが驚きでした。後に辰野式と呼ばれる様になるレンガ風の建物は、もともとあったクィーン・アンという英国の変種だったのですね。
何故か達蔵は東京駅の設計を、辰野金吾に依頼するような行動に出るんですよね、何故だったんだろう?これは最後金吾が病床の枕元でも質問するのだけれど・・・。
金吾は死に際、達蔵には「かなわなかったな、生涯」と妻にこぼすのでした。
ちなみに、出来上がった東京駅は庶民には丈夫そうだとか立派だと好評でしたが、プロには不評だったそうです。入口と出口が別で南北に離れており不便で、両方使えるようになったのは、完成から34年後の昭和23年のことだったそうです。端っこにある入り口出口は一般客用で、中央は天皇や皇室用に作られていたからなのでした。
ジョサイア・コンドル
工部大学校・造家学科で辰野金吾等を指導した教授。金吾の師匠であり大恩人。ただ、年齢は2つしか離れていなかった。
作品に鹿鳴館、ニコライ堂(設計のみ)、旧岩崎邸、旧古河庭園等・・
私は凄く優秀で高名な建築家だと思い込んでいましたが、そんなに著名な建築家というわけでは、なかったようです。
ちなみに、彼が作った鹿鳴館はたった7年で華族会館に払い下げられ、日本最初の流行遅れの物件、また彼も流行おくれの外国人になってしまった。でも、彼の作った岩崎邸とか三菱一号館とか、私は大好きですけどね・・。
日銀の仕事を金吾に奪われた後、自分の事務所を開設して個人邸宅などの仕事を受けてはいたものの、金吾の様なスケールの大きい仕事は受けることはなかったのでした。
それでも母国の英国に戻らず日本に残り続けたのは、英国では一流にはなれず、戻っても居場所がないであろうこと、日本ならば先駆者ということで尊敬は得られることと、日本文化などに傾倒していたからだとか・・。コンドル氏は金吾が亡くなったわずか1年後にお亡くなりになられています。
ただ、金吾がかつて師匠コンドルを古いと言った様に、自分も後に東京駅を作る時、弟子に古いと言われ去られる経験をされるのです。弟子の松井清足から、もうこれからはコンクリートによる高層建築の時代だと言われ・・。金吾やコンドルの「建物に美術性」は不要で、NYに連立する空間を最大限使え、沢山の人が入れて頑丈な箱のようなビルディングが主流になると。
途中、ちょこっと登場する金吾のライバルに妻木頼黄という人がいました。武士の旗本の出身で、6期下。ドイツの先生に学び、ドイツの建築に詳しく、金吾にライバル意識をむき出しにしてくる人。
後に、横浜商銀本店(現・神奈川県立歴史博物館)を建てる際、金吾が任されると思いきや、妻木が担当した事で金吾がおもしろくなく思うのですが、彼が建てた建物を見たら、凄く立派だったことに愕然とし(金吾はドイツ風の日銀を建てたのですが、そもそも金吾は英国式には詳しいけれどドイツ式には詳しくはなかったので、)、以後石の建物は作らない!と。
その建物がこれです。
これ、以前横浜に行った時、馬車道あたりの道を歩いていて、うわ、すごいカッコイイ建物!これなんだろう?って、訳もなく撮影したんですよね 笑
その他、彼は、旧横浜新港埠頭倉庫(現・横浜赤レンガ倉庫) 1911年(明治44年)も作ったそうです。
ちょこちょこ登場する、金吾の人生を語る時に欠かせない高橋是清という人。
波乱万丈で破天荒で、天才的な頭脳の凄い人。この人の事をもっと知りたくなりました。以前オダギリジョーが演じたNHKの単発ドラマがありましたが、それは、こんな魅力的に描かれてなかったような・・・もう全然記憶にないです。
東太郎(高橋是清) 幕府御用絵師の妾腹。酒・博打で身を持ち崩したり、アメリカ留学するも奴隷に売られた経験も。唐津の英学校・耐恒寮の教師となり金吾等を指導。後に、ペルーでの銀山サギで無一文になるが金吾の日銀本店建築の際、事務方として助力、最後は大蔵大臣にまで上り詰める。
是非、門井先生、次回は、高橋是清さんの本を書いて下さい!みんなも同じ風に願ってるはず。
この「東京、はじまる」を大河ドラマでやってくれたら良いのになあー。キャストが困るけど、若い時の金吾は菅田将暉、年取ってからは役所広司、中年以後の達蔵は藤木君なんかどうかな。
東京、はじまる 2020/2/24 門井慶喜
門井慶喜
「家康、江戸を建てる」
「銀河鉄道の父」
面白い話を教えて頂きありがとうございました。
http://blog.livedoor.jp/todo_23-br/archives/23367771.html
わーー、嬉しいです!!
これ、とてもお気に入りの小説なのですが、誰も読んでいる方がいなくて、淋しく思っていたんです。
結構分厚い本だし、人によっては、あまり・・・かもしれませんが、Todo23さんも面白く読まれたとのこと!
古いお家や建築に興味があるお方ですものね。
東京駅、三菱一号館美術館、日比谷公園、赤坂離宮など行ったことのある場所を思い浮かべながら読んでいて楽しかったです。
金吾がいなかったら、今とは全く違う眺めになっていたのでしょうねぇ。
妻木は先日ウォーキングで訪ねた愛知県半田市のカブトビール工場の設計にも関わっていたようで嬉しくなりました。
わーい、コメントありがとうございます
そうなんです。これ、かなりお気に入りな小説だったんです。
一杯登場する建物や場所に、こにさん行ってらっしゃるのね。羨ましい―。
私ったら、こにさんより近い処に住んでるのに、まあ行った事無い処も数か所!
>妻木 カブトビール工場
おおー!そういうのは嬉しいですね。
思いがけず最近行った場所が!っていうのは