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「猫を棄てる」村上春樹 感想

2020-06-06 | 小説・漫画他

猫のお話とファミリーヒストリー的な内容。
村上春樹さんという人がどういう環境で育って来たのか?というのが少し解って面白く興味深かったです。短いのですぐ読めちゃいます。

勉強が出来て非常に優秀だったお父さん、仏教系の学校に通いながらも京大に進学したほどでした。
その期待に応える事が出来なかった(とは言っても、私から見たら、充分村上春樹さんも優秀だけど・・ 勉強を特にしてたわけじゃなくても早稲田の文学部に入れる位だもの)

お父さんは学問が大好きだったけれど、10代から20代は戦争時代、思う存分勉強することがかなわず、生きて行くために中高一貫校の国語の先生になったのでした。
生徒から慕われる良い先生で一杯本も読み、俳句を愛し同好会を作って出版もしていたようだし、お母さんも学校の先生で両親の血筋から言っても生まれながらに文学的才能のDNAは受け継いでいたのでしょうね。

とにかく父の自分に対する長い間の落胆と慢性的な不満が春樹少年の痛み(無意識的な怒りを含んだ痛み)となっていたようです。小説家になってデビューした時お父さんはとても喜んでくれたけれど、でもその時にはもう2人の関係は冷え切ったものになっており、結局20年間ほど断絶してしまっていた・・・というのはちょっと驚きました。
2人が再会して関係が修復できたのは、お父さんがガンと糖尿病で、もう長くなり入院した頃だったそうです。

お父さんはこれまた優秀なおじいさん(京都のでっかいお寺を継いだ)の次男坊であったらしいです。
お父さんは戦争に3回も行く羽目になっていました。
殆どそういう話はしなかったけれど、最初の中国行きはとても大変だったであろうことも容易に推察され、また捕虜の中国人を処刑(斬首)する場にいあわせ、その中国人が乱れる事なくずっと冷静にいた姿が頭に焼き付いており、忘れる事が出来なかったようで、その時の事を少年時代聞かされた春樹少年も、またそれをずっと引き継いだ)
またお父さんが毎朝仏壇に向かって何やら一心に祈っていたけれど、あれは戦争時代に亡くなった人達のことを思っていたのかもしれない。

猫に関しては子供のころから今に至るまで、ずっと猫と共に生きて来て大の猫好きである村上さんだけれど、メインの2つの猫エピソードはちょっとブラックです。

タイトルにもなっている冒頭のエピソードは、父と一緒に猫を棄てに行くが家に戻って来たら捨てたはずの猫が先に家に戻っていて驚いたというお話。

そしてラストの猫エピソードは、小さい時に家にあった高い松の木に小さな猫が登っていったものの降りることができなくなり泣いていたが、その翌日声が聞こえなくなっていた。
降りることが出来てどこかに行ったのか、それとも降りられず、そのまま高い木の枝で死んでしまったのか・・・というお話でした。

村上さんは文章にして書く事で自分の思ってることや頭の中を整理できるという風なことが書かれていました。

単行本が回って来そうにないので文藝春秋版で読みました。
「猫を棄てる」村上春樹  (2020/4/23)


そうそう、最近聞いた村上radioで、あの山中伸弥先生の投稿メールが読まれました。
びっくり

村上氏がラジオDJとして自ら選曲を担当し、22日に放送された「村上RADIO ステイホームスペシャル ~明るいあしたを迎えるための音楽」。番組内で、山中教授がリスナーとして投稿したメールを村上氏がおもむろに読み上げた。山中教授は「春樹さん、一生のお願いなのですが、僕にもラジオネームをいただけませんか?」とまさかのオファー。村上氏は「しかしね、先生、ラジオネームごときで一生のお願いにしてしまっていいものですかね、ノーベル賞とは違いますから」と驚きながらも、「そこまで言われると僕としてもむげに断ることはできません。超デラックスで超豪華なラジオネームにしましょうね」と快諾した。
 そこで村上氏が考えたラジオネームは、なんと「AB型の伊勢海老」


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「女のいない男たち」
「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」
「1Q84 3」
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