リートリンの覚書

日本書紀 巻第十三 雄朝津間稚子宿禰天皇 二 ・妃の決死の訴え ・即位


日本書紀 巻第十三 
雄朝津間稚子宿禰天皇 二

・妃の決死の訴え
・即位



元年、冬十二月、
妃の忍坂大中姫
(おしさかのおおなかつひめ)は、

群臣が憂い、
吟(うめ)いているのに苦しみ、

自ら洗手水(おおてみず)を執って、
皇子の前に進みました。

そして申し上げて、
「大王が辞して位(みくら)に即かず、
位が空いてから既に年月を経ています。

群臣百寮は、
愁いて、
どうしていいのか知りません。

願わくは、大王。
群の望みに従い、
強いて帝位に即いてください」
といいました。

然るに、
皇子は聴(ゆる)そうとは欲(おも)わず、
背を向けて居て、
なにも言いませんでした。

大中姫命は惶(かしこまり)て、
退くことなど知らず、
侍して四、五剋(とき)を経ました。

この時、
季冬(しわす)の節で、

風もまた烈しく寒く、
大中姫の捧げた鋺(まり)の水が
溢れて腕に凝(こご)り、

寒さに堪えられず、
将に死にそうになりました。

皇子は顧みて驚き、
すぐに扶(たす)け起こして、

語って、
「嗣位(ひつぎのくらい)は重き事である。
たやすく就くことはできぬ。

これをもって、
今まで従わずにいた。

然るに、
今群臣の請う事理(ことわり)は、
灼然(いやちこ)である。

何、
謝(ことわ)り続けられようか」
といいました。

そこで大中姫命は、
仰いで歓(よろこ)び、

則ち、群卿に語って、
「皇子が、
群臣の請を将に聴(ゆる)しました。

今、
天皇の璽符(しるし)をたてまつるべきです」
といいました。

群臣は大いに喜んで、
即日に、天皇の璽符を捧げて、
再拝してたてまつりました。

皇子は、
「群卿は共に天下のために寡人を請うた。

寡人、何、敢えて辞りつづけられようか」
といい、

乃ち、帝位に即きました。
この歳、太歳は壬子(みずのえね)。



・洗手水(おおてみず)
手を洗う水
・季冬(しわす)
十二月のさいごの月
・灼然(いやちこ)
神仏の利益、霊験などが著しさま。あらたかなこと。はなはだ明らかであること



(感想)

允恭天皇元年冬12月、
妃の忍坂大中姫命は、

群臣が憂い、
呻(うめ)いているのに苦悩し、
自ら洗手水を持って、
皇子の前に進みました。

そして申し上げて、
「大王が辞して皇位に即かず、
皇位が空いたまま既に年月が経っています。

群臣百寮は、
愁い、どうしていいのか分かりません。

願わくは、大王。
群の望みに従い、
強いて帝位に即いてください」
といいました。

しかし、
皇子は聞き入れようとはせず、
背を向けて、
なにも言いませんでした。

大中姫命は恐れおののき、
退くこともできず、

お側に付き添って
四、五刻が経ちました。

この時、
季節は冬の師走。

風が烈しく、そして寒く、
大中姫の捧げた鋺(まり)の水が溢れて、
それが腕で氷となり、

寒さに堪えられず、
将に死にそうになりました。

皇子は振り返ると驚き、
すぐに助け起こして、

語って、
「皇位は重き事である。
たやすく就くことは出来ない。

こういうわけで、
今まで従わずにいた。

しかし、
今群臣の請願や理は明らかに正しい。
どうして、
断り続けられるだろうか」
といいました。

そこで大中姫命は、
仰いで喜び、

すぐに、
群卿に語って、
「皇子が群臣の請を
聞き入れてくださいました。

今、
天皇の璽符(しるし)を
たてまつるべきです」
といいました。

群臣は大いに喜んで、
その日のうちに、
天皇の璽符を捧げて、
再拝してたてまつりました。

皇子は、
「群卿は共に天下のために私を請うた。
私はどうして、
敢えて辞りつづけられようか」
といい、

すなわち、帝位に即きました。

この歳、太歳は壬子(みずのえね)。

やっと、
即位されましたね。

まぁ
病気で歩くこともままならないとなると、
断るのも頷けますが、

引っ張りすぎのような…。

さて、天皇となった皇子、
今後の活躍はいかに。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました😊。


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