弥生時代の祭祀
弥生時代の人々もさまざまな道具を使い、
祈りや儀式を行っていたと考えられています。
今でも、
春の田植の前には
米作りがうまくいくように
祭り(春祭り)をし、
秋になって稲の刈り取りが行われば、
収穫を感謝する祭り(秋祭り)をします。
これらは日本各地で慣わしになっていて、
現在の春と秋のお祭りの始まりは、
水田稲作が導入された弥生時代にありました。
縄文時代と少し違うのは、
祈りを捧げる対象が増えたということです。
縄文時代は自然界から得られる恵に
頼っていたため、
そこに存在する目に見えない存在
(超自然的存在)
にさまざまなことを祈ったと考えられます。
一方、
弥生時代には、超自然的存在以外に、
祖霊といわれる広い意味での
祖先の霊にも祈ったと考えられています。
地域によって祖霊や稲の精霊を
連れてくる鳥形の木製品や、
水田には欠かせない水を司る
龍の絵を描いた土器などを
祭祀具として使っていました。
これらは、
水田稲作の技術と共に
大陸から伝わった思想だと
考えられています。
・龍の絵のある土器
龍は水を司る象徴として、
土器などの祭祀用具の表面に描かれました。
・鳥形の木製品
鳥は祖霊や稲の精霊を連れてくると
信じられていました。
鳥の下には木製の棒が差し込まれ
立てられていて、
背中には羽が付いていたと推測されます。
祈りを司るシャーマン
祈りを指揮したのは、
縄文時代と同じように
シャーマン(巫女・呪術師)でした。
具体的な姿が土器の表面に描かれていますが、
実際に福岡県飯塚市立岩遺跡の甕棺墓からは、
シャーマンと思われる人骨が
見つかっています。
特別な副葬品があり、
社会的地位の高さを示しています。
右腕には南島産の貝輪を
14点も身に付けていました。
貝輪の中には輪っかの径が小さく、
到底成人の手が入るような
大きさではない物もありました。
つまり子どものときに身につけ、
水田稲作などの大変な
労働に従事することなく
暮らした人だったと考えられます。
種類豊かな祭祀の道具
弥生時代には
木製品で作られた
祭祀の道具が沢山見つかっています。
鳥形地木製品もその一例ですが、
中には「木偶(もくぐう)」があります。
人形(ひとがた)である土偶の多くが、
妊娠した女性を表現していると言われますが、
木偶は男女ペアで作られています。
稲作には男女が力を合わせて
作業に取り組むことから、
男女の祖霊を表現しているとも、
男女の和合を表しているとも言われています。
縄文時代の代表的な祭祀の道具に、
男性器を模して作った石棒があります。
弥生時代には、
よりリアルな男根形木製品が
作られるようになりました。
縄文的な再生や豊穣を祈る道具も、
衰えた稲を蘇生させるための
祭りの道具とも考えられています。
木製品の中には箱形地の琴もありました。
島根県出雲市姫原西遺跡から
見つかった琴には
三日月と円形の模様が施されています。
・箱形の琴
鳥取県の青谷上寺土地から
出土した木製の琴(弥生時代中期)。
側板には月やシカなどの
模様が施されています。
・男女ペアの木偶
弥生時代の祭祀には「木偶」と呼ばれる
木製の人形が使用されることもありました。
・イノシシの骨
一直線に並んで出土したイノシシの下顎の骨。
中央には鹿の頭骨がありました。
どんな祭祀に使われたのかは
わかっていません。
音のでる祭具、「銅鐸(どうたく)」。
主に西日本の限られた遺跡から
見つかっています。
もともと中国や朝鮮半島で作られていた
青銅製の鈴や鐸を弥生人が受け入れ、
独自にアレンジし、
農耕の祭りの道具にしたようです。
銅鐸は次第に大型化していき、
鳴らして使うには
不向きな構造になっていくものもありました。
青銅で作られた祭祀の道具には
銅剣や銅戈(どうか)、
銅矛(どうほこ)と言われる
武器もありました。
当初は武器として渡来しましたが、
後に大型化し、
祭祀の道具になったと考えられています。
祭りの場でそれらを使って模擬戦を行い、
豊作か凶作かを占ったと考えられています。
・銅鐸(どうたく)
銅鐸を叩くと高い金属音が鳴り響きます。
銅鐸は後に大型化し、
「聞く銅鐸」から「見る銅鐸」へ
変ってきました。
・骨で吉凶を占う「卜骨(ぼっこつ)」
弥生時代の遺跡からは、
シカなどの動物の骨に熟した棒を押し当て、
そのヒビの入り方から
稲作や戦いの吉凶を占う「卜骨」も
見つかっています。
もともと中国で行われていた占いが、
日本に持ち込まれ定着したようです。
消えた土偶のナゾ
縄文時代の特徴のひとつと言っていい、
人形の焼物である「土偶」。
その道具は弥生時代になると、
どうなっていくのでしょうか?
弥生時代になると、
「木偶」という男女ペアの祭祀道具が
登場します。
実は弥生時代になると、
「土偶形容器」と言われるものが長野県、
山梨県、神奈川県などで
作られるようになりました。
見た目は人形(ひとがた)をしていますが、
中が空洞で、後頭部に開けられた穴から、
どうやら人の骨を入れていたと思われます。
祈りの道具であった土偶は、
その姿形はなんとか引き継いでいるものの、
用途はまったく違うものになったのです。
そして面白いことに、
土偶形容器も男女ペアで
作られることが多かったようです。
感想
今回、一番気になったのは、
銅鐸。
しかし、
図書館で資料を探してみたのですが…
いい資料が見つからず。
残念。
以前、
東京国立博物館や
橿原考古学研究所附属博物館に
銅鐸のレプリカがありました。
東京国立博物館は人がたくさんいて
ちょっと恥ずかしいので
鳴らさずかえってきましたが、
橿原考古学研究所附属博物館は
空いていたので家族で鳴らしました。
カーン
という音が響いて
癒されたことを思い出します。
祭祀の道具ではとされていますが、
本当の所はどうなのでしょうね。
癒しの音の波動〜😏
銅鐸は気になりますから
今後も資料を探していきたい。
いい資料が見つかったら
記事にしたいと思います。
さて本日はこの辺で。
明日も弥生時代シリーズ続きます。
最後まで読んで頂き
ありがとうございました。
(参考)
・知られざる弥生ライフ 著者 譽田亜紀子
監修 大阪府立弥生文化博物館
・中学生の歴史 帝国書院
・中学 諸説用語&資料集 社会 受験研究者
・日本史B
・日本国紀 百田尚樹 幻冬舎