リートリンの覚書

弥生時代 11 弥生時代のお墓


弥生時代のお墓


弥生時代には、
さまざまなお墓が作られるようになりました。

集落の近くに作られた共同の墓地も、
時期によって埋葬のされ方が
変化していきます。

地域による大きな違いとしては、
弥生前期の九州北部では
数個の石を支えにして、
その上に大きな石を蓋のように載せた
「支石墓」や「甕棺墓」が
多く作られました。 

それに対して、
東日本では、
一旦埋葬した人骨を取り出し、
再び埋葬し直す「再葬墓(さいそうぼ)」
多かったようです。

また、
弥生時代のお墓の大きな特徴として、
土を盛ったり周囲に溝を巡らしたりして
区画を示すお墓が出現します。

それらは
「方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)」と
よばれます。

特別に大きなものは
「墳丘墓(ふんきゅうぼ)」などとよばれ、

この後に登場する
古墳につながっていくものもあります。

さまざまなお墓は、
大陸の影響を受けたものや、
縄文時代から変わらないものもあります。


お墓の様相


・土壙墓(どこうぼ)
(佐賀県吉野ヶ里遺跡)
地面に小規模な穴を掘り、
遺体を棺に入れず、直接埋葬します。
弥生時代の最も一般的な埋葬方法で、
足を曲げた「屈葬」が主流です。

・木棺墓
(大阪府安満(あま)遺跡)
長方形に掘った穴の中に、
遺体を入れた木製の棺を埋葬したお墓です。
弥生時代を通じて
各地で見られた埋葬方法です。

・箱式石棺墓
(山口県土井ケ浜遺跡)
長方形に掘った穴の周囲に板状の石で囲い、
その中に遺体を入れました。
これも弥生時代を通じて
各地で見られた埋葬方法で、
特に九州北部から近畿地方で多くみられます。

・支石墓(しせきぼ)
(長崎県里田原(さとたばる)遺跡)
穴を掘って棺を入れた遺体を埋め、
その上に大型の石を積んだお墓です。
よく見ると、大型の石の両端を
小型の石で支えていて、
下側に空間があります。
九州地方に多くみられます。

・方形周溝墓(ほうけいしゅうこうぼ)
(埼玉県鍛冶谷(かじや)
・新田口(しんでんぐち)遺跡)
低く土を盛った墳丘の周囲に溝を掘り、
その中央に穴を掘って遺体を埋葬しました。
弥生時代前期に作られ始め、
中期以降に多くみられます。

・甕棺墓
(福岡県金隈(かねのくま)遺跡)
専用の巨大な甕を作り、別のもので蓋をし、
カプセルのような巨大な土器の中に
遺体を入れ、穴をほり埋葬する墓です。
九州北部に多くみられ、
中には豪華な副葬品とともに
埋葬されたものもあります。

・墳丘墓(ふんきゅうぼ)
(佐賀県吉野ヶ里遺跡)
遺体を埋め、高く盛り土をしたお墓です。
首長の権力を示す目的で造られたとも
考えられています。

・四隅突出型墳丘墓
(よすみとっしゅつがたふんきゅうぼ)
(鳥取県妻木晩田遺跡)
文字通り、
長方形の四隅が飛び出した形をした
さまざまな大きさの墳丘墓です。
弥生時代中期以降、
山陰地方東部から北陸地方にかけて
多くみられます。


感想

実に多くの埋葬方法があったのですね。

縄文時代から続く埋葬方法に
大陸から持ち込まれた埋葬方法。

縄文時代から続くものも若干変わり
再葬墓がされるようになりました。

再葬墓は、
何がきっかけで始まったのでしょうか?
気になりますね。

火葬が日本で受け入れられたのも、
一度埋葬し、
骨を拾い再び葬墓する風習が
あったからかもしれませんね。

さて本日はこの辺で。
明日も弥生時代シリーズ続きます。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。

(参考)
・知られざる弥生ライフ 著者 譽田亜紀子
監修 大阪府立弥生文化博物館

・中学生の歴史 帝国書院

・中学 諸説用語&資料集 社会 受験研究者

・日本史B

・日本国紀 百田尚樹 幻冬舎

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