リートリンの覚書

日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 二十八 ・百済王の三策 ・吉備臣や旱岐等の返事



日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 二十八

・百済王の三策
・吉備臣や旱岐等の返事



密かに聞いたのは、
新羅、安羅の両国の境に
大きな江水(かわ)が有る。

要害之地(ぬみのところ)である。

吾は、
この地に拠り所にして、
六城(むつのさし)を修繕しようと思う。

謹んで天皇に三千の兵士を請い、
城ごとに五百と我が兵士とをあわせて、

田を作らせず、
ひしひしと追いつめ悩ませたなら、

久礼山(くれむれ)の
五城(いつつのさし)は、
自ら兵を投げて降伏するだろう。

卓淳国(とくじゅんのくに)も
また復興するだろう。

請うところの兵士には、
吾が衣と糧を給わろう。

天皇に奏しようと思う、
策のその一である。

なお、
南韓(ありひしのから)に、
郡令、城主を置くことは、

けっして、
天皇に違背(いはい)し、
貢調の路を遮断しようと
思っているのではない。

ただ、
数多くの難をよくすくい、
強敵を殲(ほろ)ぼし、
撲(う)とう。

凶党が、
誰につくと謀(はか)ることが
できないからだ。

北敵は強大で、
我が国は微弱である。

もし南韓に郡領、城主を置いて
修理、防護しなかったなら、
強敵をふせぐことはできない。

また新羅を制することができない。

故になおも置いて、
新羅をひしひしと追いつめ攻めて、
任那をたもとう。

もし、そうしないと、
恐らく滅亡を見て、
朝聘(ちょうへい)できなくなるだろう。

天皇に奏しようと思う、
策のその二である

又、
吉備臣(きびのおみ)、
河内直(かわちのあたい)、
移那斯(えなし)、
麻都(まつ)が
なおも任那国に在るのなら、

天皇が『任那を建てよ』と詔しても、
建てることができないだろう。

請い、
この四人を移して、
各々その本邑に遣わして還そう。

天皇に奏しようと思う、
策のその三である。

宜しく、
日本の臣、任那の旱岐等と、
俱、使いを遣わし奉り、

同じく天皇に奏して、
恩詔を聞くことを乞おう」
といいました。

ここにおいて、
吉備臣や旱岐等は、
「大王の述べられた三策は、
また愚(わたし)の情(こころ)に
かないました。

今、願うのは、
帰って、日本の大臣、
(任那に在る日本府の大臣のことをいいます)

安羅王、加羅王に諮(はか)り、

俱、
使いを遣わして同じく天皇に奏しましょう。

これ誠に千載一会の期(き)です。

深く思って熟して
計らないわけにはいかないでしょう」
といいました。



・違背(いはい)
命令・規則・約束などに背くこと違反



(感想)


密かに聞いたのは、
新羅、安羅の両国の境に大きな川がある。

味方にとっては要だか、
敵には害となる場所だ。

私は、
この地に拠り所にして、
六城を修繕しようと思っている。

謹んで天皇に三千の兵士を請い、
城ごとに天皇の兵・五百と
我が百済の兵士とをあわせて、

新羅に田を作らせず、
ひしひしと追いつめ悩ませたなら、

久礼山の五城は、
自ら兵器を捨てて降伏するだろう。

卓淳国もまた復興するだろう。

請うところの天皇の兵士には、
私、百済が衣と糧を供給しよう。

天皇に奏しようと思う、
策のその一である。

なお、
南韓に、
郡令、城主を置くことは、

けっして、
天皇に背き違反し、
貢調の路を遮断しようと
思っているのではない。

ただ、
数多くの難を救い、
強敵・高句麗を撲滅しようと思ったからだ。

凶党・新羅が、
誰につくと、
はかることができないからだ。

北敵・高句麗は強大で、
我が国は微弱である。

もし南韓に郡領、城主を置いて
修理、防護しなかったなら、

強敵を防ぐことはできない。
また新羅を制することができない。

であるから、
なおも郡領、城主を置いて、
新羅をひしひしと追いつめ攻めて、
任那を保とう。

もし、そうしないと、
恐らく滅亡して、
朝聘できなくなるだろう。

天皇に奏しようと思う、
策のその二である

又、
吉備臣、河内直、移那斯、麻都が、
なおも任那国に在るのなら、

天皇が『任那を再建せよ』と詔しても、
再建することができないだろう。

請い、
この四人を移して、
各々その本邑に遣わして還そう。

天皇に奏しようと思う、
策のその三である。

宜しく、
日本の臣、任那の旱岐らと、

ともに、
使者を派遣して、

同じく天皇に奏して、
恩詔を聞くことを乞おうではないか」
といいました。

ここにおいて、
吉備臣や旱岐らは、
「大王の述べられた三策は、

また私の心にかないました。

今、願うのは、
任那に帰って、
日本の大臣、安羅王、加羅王にたずね、

ともに、
使者を派遣して同じく天皇に奏しましょう。

これ誠に千載一会の期(き)です。

深く思って熟考し、
計画しないわけにはいかないでしょう」
といいました。

百済王と日本の臣、任那の旱岐とのやり取り。
やっと終わったようです。

正直。
百済王の話。
長くて、くどかった。

色々語っていましたが、
ほとんど覚えていない。

今回のお話だけで良くね?
、と思うのは、
私だけでしょうか。

明日に続きます。

読んで頂きありがとうございました。


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