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リートリンの覚書

東京史跡巡り 玉川上水水番所跡


東京史跡巡り

玉川上水水番所跡
(たまがわじょうすいみずばんしょあと)



江戸時代に玉川上水の水量や水質を管理した水番所があった所に、明治28年(1895)に建てられた石碑です。



史跡
玉川上水水番所跡
所在地 新宿区内藤町八十七番地
 玉川上水は、多摩川の羽村堰で取水し、四谷大木戸までは開渠で、四谷大木戸から江戸市中へは石樋・木樋といった水道管を地下に埋設して通水した。
 水番所には、水番人一名が置かれ、水門を調節して水量を管理したほか、ごみの除去を行い水質を保持した。当時、水番所構内には次のような高札が立っていた。
 定
一、此上水道において魚を取水をあびちり芥捨てべからず 何にても物あらひ申問敷並両側三間通に往来候並木下草其外草刈取申間敷候事
右之通相背輩あらば可為曲事者也
元文四巳未年十二月 奉行

東京都指定有形文化財(古文書)
水道碑記
指定年月日 昭和五年十二月
 玉川上水開削の由来を記した記念碑で、高さ四六○センチ、幅二三○センチ。上部の篆字は徳川家逹、撰文は肝付兼武、書は金井之恭、刻字は井亀泉によるもので、表面に七八○字、裏面に一三○字が陰刻されている。
 碑の表面には明治十八年の年紀が刻まれているが、建立計画中に発起人西座真治が死亡したため、一時中断し、真治の妻の努力により、明治二十八年(一八九五)に完成したものである(裏面銘文)。


所在地

東京都新宿区四谷4丁目


最後に

1653年(承応2年)、江戸の飲料水不足解消のために開通した玉川上水。

その水量や水質を管理していた水番所がこの辺りにあったのですね。

水番所のあった所は、現在新宿区の四谷区民センターになっているそうです。

辺りを見渡したのですが、水番所があった痕跡は、この碑のみで、当時の名残はありませんでした。




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