リートリンの覚書

麁服と繒服 8 桑とは? 桑と日本 日本の養蚕の歴史




桑は、
湿地帯でも乾燥地でも、
またやせた荒地でも生育する植物で、

南緯10度から北緯50度の範囲に
分布している環境の変化に強い樹木です。

絹の原産地中国では
遺跡の出土品や考古学的な分析から、

蚕資源は
古代黄河の流域や
揚子江の流域に豊富に分布していたこと、

また近年の野生桑や野生蚕の
資源調査からみて、

蚕織発展の源泉地は
黄河の中・下流そして
揚子江流域ではないかと伝えています。

ヨーロッパでは、
紀元前300年頃の編纂といわれる、
ギリシアのテオブラストの
「植物誌」には、
クロミグワの記載がされています。

蚕飼技術の伝わっていない時代ですが、
すでにヨーロッパで
桑が自生していたことがわかります。

日本の気候は桑の生育に適しており、
また長年にわたり
桑の品種改良が行われてきたので、
1200種以上の桑が保存されています。

それらの桑のルーツをたどると、
主なものは
中国伝来のカラヤマグワ系、ロソウ系、
日本在来のヤマグワ系、シマグワ系の
四つの系統に大別されます。

新潟県佐渡島の
両津市にある天然記念物の
「羽吉の大桑」(ヤマグワ)は、
樹齢1300年をこえるという古桑です。

また、

群馬県沼田市町田町にヤマグワの巨木、

「薄根の大クワ」があります。


樹齢は1500年以上とされており、

ヤマグワの巨樹としては、日本最大。

国の天然記念物に指定されています。


養蚕群馬の象徴として、

古くから養蚕の神として称えられてきました。


ぐんま絹遺産のひとつとして

登録されています。


このように日本にも山桑が自生しています。

「魏志倭人伝」が伝える

「桑を摘み、
蚕を飼い絹や真綿を産出している」

邪馬台国の桑は、
そうした日本在来の山桑だったと思われます。


日本の桑糸地名


「古事記」(712巻)、
「日本書紀」(720巻)
のなかで最初に
蚕糸関係の地名がでてくるのは
垂仁天皇の時代です。

大和国(奈良県)には
桑原邑と桑市が、

摂津部(大阪府)に
桑津ノ邑と桑原があります。

また、伊勢(三重県)には
綺宮が、

丹波(三重県)には
桑田があります。

これらの多くは外来民族が
定住した地に関係あるもので、

当時の蚕糸業が
すでに渡来民族が重きをなしていたことが
うかがわれます。


日本における蚕糸業の歴史    


大化の改新(645年)、
さらに大宝律令が制定され(701年)、

公民にたいして
一定の口分田があたえられる一方、

租、庸、調などの税が課せられるようになり、
調物として絹が貢がせられました。

このような経過を経て養蚕は
奈良時代には、
近畿から関東・東北にまで広がり、

平安時代にはほぼ
全国に広がったものと思われます。

また、
大化の改新のころからの
日本における養蚕の担い手は、

主として大陸からの帰化人で、
相当に高度な技術をもち、
養蚕はもとより
製糸、機織りまで行っていたと思われます。

その後、
応仁の戦禍や徳川幕府の
絹織物の使用禁制などにより
一時衰微の過程をたどりました。

1859年(安政六年)の開港により
生糸は輸出の道がひらかれました。

明治時代に入ると、
新政府は欧米諸国にならい
近代化を目指します。

欧米の進んだ技術や機械を取り入れ、
各地に蚕の繭から生糸をつくる製糸業、

綿をつむいで綿糸をつくる紡績業の
官営工場を作りました。

それらは日本の工業化の中心となりました。

製糸業では、
幕末の貿易開始以来、
生糸が輸出品の第1位となり、
長野県の諏訪地方や群馬県などを中心に
産業が進みました。

かつては、

日本の主要産業でしたが、


しかし、

世界恐慌以降の海外市場の喪失、

ナイロンなどの代替品の普及などで

衰退していきました。


現在、繭の生産は、

中国、インド、ブラジルなどで

盛んに行われています。



感想

桑の木、
種類が1200もあるのには、驚きです。
みんな、同じに見える😅

しかし、桑の木。
懐かしいです。

小学生の頃、
どこそこに、
桑の実がなっている木がある、
とクラスメイトと話し、

放課後
食べに行ったことを思い出しまします。

甘酸っぱくて美味しかった。

しかし、
今考えてみると…

実は他人の家の桑の実。
勝手に食べていたんだと…猛烈反省😔

ごめんなさい🙇‍♂️

さて、蚕の源泉地は、
黄河や長江流域ではないかといわれています。

おそらく、
桑の源泉地もその辺ではないかと。

以前調べた、
縄文時代に使われていた植物を
調べたことを思い出しました。


漆は、
源泉地は揚子江周辺。

また、麻の源泉地は中央アジア。

縄文時代には、
すでに大陸から様々な植物が
運ばれてきていた。

となると、
あんな美味しい物、
運んでこないはずはない
縄文時代から桑あったのでは、
と自分は思うのですが…

さて、
日本の近代化を支えた
製糸業。

製糸業があったから
今の日本がある。

製糸業を支えてくれた、
皆々に感謝です。

最近では、
養蚕業を営んでいる方が
減ってしまいました。

が、
懸命に守り続けている方々も
いらっしゃります。

頑張って頂きたい。
応援しています。

さて、今日はこれで。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。


参考にさせていただいた本

・シルクのはなし 
小林勝利 鳥山國士

・絹の文化誌 
篠原昭 嶋崎昭典 白倫 編著

・皇后さまとご養蚕 
扶桑社

・麁服(あらたえ)と繪服(にぎたえ)
天皇即位の秘儀 践祚大嘗祭と二つの布
(著)中谷 比佐子・安間 信裕 監修 門家 茂樹



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