リートリンの覚書

日本書紀 巻第十 譽田天皇 十 ・吉備の国を分割


日本書紀 巻第十 譽田天皇 十

・吉備の国を分割



秋九月六日、
天皇は淡路島で狩りをしました。
この島は海に横たわり、
難波の西に在ります。

峯と岩とが紛錯(ふんさく)し、
山稜と谷が重なり合っています。

芳草は生い茂り、
長瀾(ちょうらん)は潺湲(せんえん)で、

また麋鹿(びろく)、鳧(けり)(がん)
多くその島にいました。

故に、
乗輿(すめらみこと)
しばしば遊びに行っていました。

天皇は、
淡路から転じて、
吉野に幸しようと小豆島で遊びました。

十日、
また葉田葦守(はだのあしもりのみや)
移り居ました。

(葉田は簸娜(はだ)といいます)

時に、
御友別(みともわけ)が参上しました。

そして、
その兄弟子孫を膳夫(かしわで)として
食事を奉りました。

天皇は、
御友別が謹惶(かしこまり)
(つか)え奉る状況をみて、
うれしく情(おも)いました。

そこで吉備の国を割して、
その子らを封じました。

まず川嶋県(かわしまのあがた)を分けて、
長男の稲速別(いなはやわけ)を封じました。
これは下道臣の始祖です。

次に、
上道県(かみつみちのあがた)には、
真ん中の子の仲彦(なかつひこ)封じました。
これは上道臣・香屋臣(かやのおみ)の始祖です。

次に三野県(みののあがた)には、
弟彦を封じました。
これは三野臣の始祖です。

また波区芸県(はくぎのあがた)には、
御友別の弟の鴨別(かもわけ)を封じました。
これは笠臣の始祖です。

また苑県(そののあがた)には、
兄の浦凝別(うらこりわけ)を封じました。
これは苑臣の始祖です。

そして織部(はとりべ)を兄媛に与えました。
その子孫は今も吉備の国にいます。
これがその由縁です。



・紛錯(ふんさく)
まじり乱れること

・長瀾(ちょうらん)
永く連なる波。長浪

・潺湲(せんえん)
さらさらと水の流れるさま

・麋鹿(びろく)
しふぞう、しかの一種

・鳧(けり)
チドリ目チドリ科タゲリ属に分類される鳥類の一種

・葦守(あしもり)
岡山県吉備郡足守町


感想

秋9月6日、
天皇は淡路島で狩りをしました。

この島は海に横たわり、
難波の西に在ります。

峯と岩とがまじり乱れ、
山稜と谷が重なり合っています。

芳草は生い茂り、
長く連なる波はさらさら流れ、

また麋鹿、鳧、雁、
その島に沢山いました。

ですから、
皇はしばしば遊びに行っていました。

天皇は淡路から転じて、
吉野に行幸しようと小豆島で遊びました。

10日、
また葉田葦守宮に移りました。

(葉田は簸娜(はだ)といいます)

時に、
兄媛の兄・御友別が参上しました。

そして、
その兄弟子孫が膳夫として
食事を献上しました。

天皇は、
御友別がかしこまり、
仕え奉じる状況をみて、
うれしく思いました。

そこで吉備の国を分割して、
その子らに国を与えました。

まず川嶋県を分割し、
長男の稲速別に与えました。
これは下道臣の始祖です。

次に、
上道県を真ん中の子の仲彦に与えました。
これは上道臣・香屋臣の始祖です。

次に三野県を弟彦に与えました。
これは三野臣の始祖です。

また波区芸県を
御友別の弟の鴨別に与えました。
これは笠臣の始祖です。

また苑県を兄の浦凝別に与えました。
これは苑臣の始祖です。

そして織部を兄媛に与えました。
その子孫は今も吉備の国にいます。
これがその由縁です。

明日に続きます。

読んで頂き
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