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リートリンの覚書

神社参拝日記・水稲荷神社


水稲荷神社
(みずいなりじんじゃ)



概要


東京都新宿区西早稲田にある神社です。
甘泉園公園に隣接しています。


神紋・社紋




主祭神


倉稲魂大神
(うかのみたまのおおかみ)
佐田彦大神
(さだひこのおおかみ)
大宮姫大神
(おおみやひめのおおかみ)


創建


941年


例祭日


9月9日


別名


戸塚稲荷神社
高田水稲荷神社
早稲田水稲荷神社


略縁起


天慶4年(941年)俵藤太秀郷朝臣が旧社地の富塚の上に稲荷大神を勧請しました。古くは「富塚稲荷」「将軍稲荷」と呼ばれました。

江戸中期境内の大椋に霊水が湧き評判を呼んだことが、社名の由来の一つであるといいます。



境内


社殿

 
御神楽殿

 
御神輿蔵

 
手水舎

授与所

 
鳥居

 
堀部安兵衛の碑



 
新宿区指定有形文化財 歴史資料
堀部武庸加功遺跡之碑
所在地 新宿区西早稲田三丁目五番四十三号
指定年月日 平成二十八年三月四日
この記念碑は、「忠臣蔵」における代表的説話であり、地域の伝承として知られる「高田馬場の決闘」(元禄七年)における赤穂浪士・堀部安兵衛(1670~1703)の事績を顕彰する記念碑である。江戸時代に高田馬場の管理を委託されていた甲州屋の子孫・行田久蔵が、明治四十三年(1910)に建立した。篆額は西園寺公望、撰文は信夫怒軒、書は日下部東作、鐫は堀部忠蔵の手になる。また、賛助者には頭山満、犬養毅、大隈重信、三田村鳶魚など当時の名士が名を連ねている。当初は茶屋町通りにある久蔵の植木園に建てられたが、昭和四十六年(1971)に現在地に移された。総高はやく350㎝である
この記念碑が建てられた当時は、日露戦争後の国家主義の高揚を背景とし「忠臣蔵」の再評価が高まった時代であった。また、明治から大正にかけては全国的に建碑ブームが巻き起こり、歴史上の事象や人物に関する顕彰運動が盛んな時代でもあった。

平成二十八年三月二十五日
新宿区教育委員会


境内社

浅間神社
祭神
木花咲耶姫命
石長姫尊

三島神社
水神社
 
大国社

祭神
大国主命
 
高木神社

元々は、早稲田大学構内にあった神社です。
 
北野神社

祭神
菅原道真公
 


住所

東京都新宿区西早稲田3-5-43

アクセス


東京メトロ東西線 早稲田駅
徒歩12分

東京メトロ副都心線 西早稲田駅
徒歩12分

都電荒川線 面影橋停留場・早稲田停留場
各徒歩5分



最後に

水稲荷神社を参詣しようと、階段を上ったら、

食事中のやぎさんが出迎えてくれました。よくよく見ると、角ガードが斬新です。

神社の境内では、心地よい気が流れていました。癒されました。

参拝を終えて、やぎさんの前を通ると、食事を終えていました。

やぎさんから、もっとなんかくれ~という視線をいただきましたが、何も持ち合わせていません。申し訳ないと思いながら、水稲荷神社を後にしました。

訪れたのは、2021年。ヤギさん。元気でしょうか?


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参考
Wikipedia
東京都神社庁HP



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