リートリンの覚書

日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 四十九 ・余昌、敵に囲まれる



日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 四十九

・余昌、敵に囲まれる



余昌(よしょう)
遂に囲まれて、
出ようと思いましたが、
出られず、

士卒(いくさびと)は、
あわておどろいて、
どうするべきかわかりませんでした。

よく射る人、
筑紫国造(つくしのくにのみやつこ)
がありました。

進みて弓をひき、
ねらいをさだめて、

新羅の騎卒(うまいくさ)で、
最も勇壮な者を射落(いおと)しました。

発した箭(や)の利(するど)さは、
乗った鞍の
前後橋(まへつくらぼねしりつくらぼね
通し、

その被った甲(よろい)の
領(えり)に及びました。

また、
続けて発した箭は雨の如く、

いよいよはげしく、
おこたることがありませんでした。

囲んだ軍は射られ、
却(しりぞ)きました。

これによりて、
余昌及び諸将等は、
間道(かくれみち)から
逃げ帰ることができました。

余昌は、
国造が囲んだ軍を
射って却(しりぞ)けさせたことを
讃(ほ)め、

尊び名づけて
鞍橋君(くらじのきみ)
といいました。
(鞍橋これは、矩羅膩(くらじ)といいます)

ここにおいて、
新羅の将等は、
百済が疲れつきたのを具に知り、

遂に、
余すことなく滅ぼそうと謀りました。

一将が、
「不可(ふか)。

日本天皇は、
任那の事で、
しばしば吾の国を責めている。

況(いわ)んや、

また、
百済の官家(みやけ)を滅ぼそうと謀れば、
必ずや患いを招くだろう」
といいました。

故に止めました。



・士卒(いくさびと)
兵士
・鞍の前後橋(まへつくらぼねしりつくらぼね)
鞍の前後
・不可(ふか)
よくないこと。いけないこと



(感想)


余昌は、
遂に敵に囲まれて、

囲いの外に出ようと思いましたが、
出られず、

兵士は、
慌て驚いて、
どうするべきかわかりませんでした。

よく弓を射る人、
筑紫国造がいました。

彼は進み出て弓をひき、
狙いを定めて、

新羅の騎兵で最も勇壮な者を
射落(いおと)しました。

発した矢の鋭さは、
乗った鞍の前後を射通し、
その被った鎧のえりに及びました。

また、
続けて発した矢は雨のように降り注ぎ、

いよいよ激しく、
怠ることがありませんでした。

囲んだ軍は射られ、
退却しました。

これによって、
余昌及び諸将らは、
隠れ道から逃げ帰ることができました。

余昌は、
国造が囲んだ軍を射って
退却させたことを讃(ほ)め、
尊び名づけて鞍橋君といいました。

ここにおいて、
新羅の将らは、

百済が疲れ果てたのを詳しく知り、

遂に、
余すことなく滅ぼそうと謀りました。

しかしある将が、
「よくない。

日本天皇は、
任那の事で、
しばしば我国を責めている。

ましてや、
百済の官家(みやけ)を滅ぼそうと謀れば、

必ずや禍を招くだろう」
といいました。

故に滅ぼすことを止めました。

明日に続きます。

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