日本書紀 巻第三十
高天原廣野姫天皇 二十
・腋上陂・吉野宮への行幸
・京と畿内の老人に稲を与える
二月五日、
天皇は、
腋上陂(わきがみうえのつつみ)に
幸しました。
公卿大夫の馬を観ました。
十一日、
新羅の沙門の詮吉(せんきち)、
級飡(きゅうさん)の
北助知(ほくじょち)等、
五十人が歸化しました。
十七日、
天皇が吉野宮に幸しました。
十九日、
内裏で齋を設けました。
二十五日、
歸化した新羅の韓奈末の
許満(こま)等十二人を、
武藏国に居させました。
三月二十日、
京と畿內の人で、
年が八十以上の者に、
嶋宮(しまのみや)の稻を賜りました。
人に二十束。
その位のある者には、
布・二端を加え賜りました。
夏四月三日、
使を遣わして、
廣瀬の大忌神と龍田の風神を祀らせました。
七日、
京と畿內の
耆老(きろう)・耆女(きじょ)、
五千三十一人に、
稻を賜りました。
人に二十束。
・腋上陂(わきがみうえのつつみ)
現在の奈良県御所市井戸または池之内に比定される
・級飡(きゅうさん)
新羅の官位のひとつ
・耆老(きろう)
6、70歳の老人。年寄り
・耆女(きじょ)
66歳以上
(感想)
(持統天皇4年)
2月5日、
天皇は腋上の池の堤に行幸しました。
公卿大夫の馬を観閲ました。
11日、
新羅の沙門の詮吉、
級飡の北助知ら、50人が帰化しました。
17日、
天皇が吉野宮に行幸しました。
19日、
内裏で斎を設けました。
25日、
帰化した新羅の韓奈末の許満ら12人を、
武蔵国に居住させました。
3月20日、
京と畿内の人で、
年が80歳以上の者に、
嶋宮の稲を与えました。
人ごとに20束。
・嶋宮(しまのみや)
7世紀代から8世紀中葉ごろまで飛鳥にあった宮。天武朝には草壁皇子の宮となっていたらしい。
その中で、位のある者には、
布・二端を加え与えました。
夏4月3日、
使者を派遣して、
廣瀬の大忌神と龍田の風神を祭らせました。
7日、
京と畿内の耆老・耆女、5031人に、
稲を与えました。
人ごとに20束。
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
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