リートリンの覚書

日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 十五 ・高麗の使者が筑紫に到着する ・粛慎を討伐する



日本書紀 巻第二十六 
天豊財重日足姫天皇 十五

・高麗の使者が筑紫に到着する
・粛慎を討伐する



六年春正月一日、
高麗の使人の
乙相賀取文(おつそうがすもん)等、
百余りが、
筑紫に泊まりました。
 
三月、
阿倍臣(あへのおみ)(名を欠く)
遣わして

船師(ふないくさ)二百艘を率いて、
粛慎国(みしはせのくに)を伐ちました。

阿倍臣は、
陸奧の蝦夷を
己の船に乗せて大河の側に到ました。

ここにおいて、
渡嶋(わたりのしま)の蝦夷千余りが、

海のほとりに集まり、
屯(たむろ)して、
河の向こうで営していました。

営中の二人が進み出て、
急ぎ叫びかけ、

「粛慎の船師が多く来て、
まさに我等を殺そうとしています。

願わくは、
河を渡り、
仕官したいと思うのですが」
といいました。

阿倍臣は、
船を遣わして、

二箇所の蝦夷を喚び、
賊の隠れている所とその船の数を
問いました。

二箇所の蝦夷は、
隠れている所を指して、
「船は二十余艘です」
といいました。

卽ち、
遣使(つかわしめ)して喚びました。

しかし、
来ることを承知しませんでした。

阿倍臣は、
乃ち、綵帛(さいはく)、
兵(つわもの)、
鐵(ねりかね)を
海の畔で積んで、
貪嗜(ほしめつのましむ)させました。

粛慎(みしはせ)は、
乃ち、船師を陳(つら)ね、
羽を木にかけて、
挙げて旗としました。

棹(さお)をそろえて、
近づき来て、
浅いところに停まりました。

一つの船の裏から
二人の老翁(おきな)を出して、
行ってあちこちとめぐらせて、

積まれた綵帛(しみのきぬ)等の物を
熟視(じゅくし)させました。

便ち、
単衫(ひとえきぬ)に着替えて、
各々布を一端を提(ひっさ)げて、
船に乗って還り去りました。

しばらくして、
老翁が更に来て、
換(か)えた衫(かえきぬ)を脱いで置き、
あわせて提げた布を置いて、
船に乗り退きました。

阿倍臣は数船を遣わして、
喚ばせました。

来ることを承知せず、
また弊賂弁嶋(へろべのしま)に
引き返しました。

しばらくして和を乞いましたが、
遂に聴き入れませんでした。

(弊賂辨(へろべ)は、渡嶋の別れです)

己の柵(さく)を
據(よりどころ)にして戦いました。

時に、
能登臣馬身竜(のとのおみまむたつ)は、
敵のために殺されました。

なお、
戦いが終わっていない間に、
賊(あた)は敗れて、
己の妻子を殺しました。



・船師(ふないくさ)
水軍
・粛慎国(みしはせのくに)
異民族の国
・綵帛(さいはく)
美しい綾のあるきぬ)
・兵(つわもの)
兵器
・鐵(ねりかね)
・貪嗜(ほしめつのましむ)
=たんし・むさぼりふくる
・熟視(じゅくし)
よく見つめること
・賊(あた)



(感想)

前回のお話

日本書紀 巻第二十六  天豊財重日足姫天皇 十四 ・盂蘭盆会を説かせる ・不吉な兆し ・羆の皮 - リートリンの覚書

日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十四・盂蘭盆会を説かせる・不吉な兆し・羆の皮十五日、群臣に詔して、京内の諸寺に、盂蘭盆経(うらぼんきょう)を講じるよう勧め、...

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斉明天皇6年春1月1日、
高麗の使者の
乙相賀取文たち100人余りが、
筑紫に停泊しました。
 
3月、
阿倍臣を派遣して、
水軍・200艘を率いて、
異民族の国・粛慎国を伐ちました。

阿倍臣は、
陸奧の蝦夷を
己の船に乗せて大河の側に到着しました。

ここにおいて、
渡島の蝦夷1000人余りが、
海のほとりに集まり、
たむろして、
河の向こうで野営していました。

営中の二人が進み出て、
急ぎ叫びかけ、

「粛慎の水軍が多く来て、
まさに我らを殺そうとしています。

願わくは、
河を渡り、
仕官したいと思うのですが」
といいました。

阿倍臣は、
船を派遣して、
2カ所の蝦夷を喚び、

賊の隠れている所と
その船の数を問いました。

2カ所の蝦夷は、
隠れている所を指して、
「船は20余艘です」
といいました。

すぐに、
使者を派遣して喚びました。

しかし、
来ることを承知しませんでした。

阿倍臣は、
そこで、美しい綾のある絹、
兵器、鉄を海の畔で積んで、

欲しがり、
夢中にさせることにしました。

異民族は、
この時、水軍をつらね、
羽を木にかけて、
挙げて旗としました。

さおをそろえて、
近づき来て、
浅いところに停泊しました。

一つの船の内から二人の老翁を出して、
行ってあちこちとめぐらせて、
積まれた美しい綾のある絹などの物を
よく見させました。

そして、
単衣の上着に着替えて、
各々布を一端を手に引っさげて、
船に乗って還り去りました。

しばらくして、
老翁が更に来て、
着替えた単衣の上着を脱いで置き、
あわせて手に引っさげた布を置いて、
船に乗り退きました。

阿倍臣は数隻の船を派遣して、
異民族を喚ばせました。

しかし、
来ることを承知せず、
また弊賂弁嶋に引き返しました。

しばらくして和平を乞いましたが、
遂に聴き入れませんでした。

(弊賂辨は、渡嶋の別れです)

異民族は
自己の柵をよりどころにして戦いました。

時に、
能登臣馬身竜は、
敵のために殺されました。

なお、
戦いが終わっていない間に、
敵は敗れて、
己の妻子を殺しました。

すみません。

うっかり今回の条をふっと飛ばして、
先に別の条を発表してしまいました。

次のお話

日本書紀 巻第二十六 天豊財重日足姫天皇 十六 ・高麗の使者、難波館に到着する ・初めて漏剋を作る - リートリンの覚書

日本書紀巻第二十六天豊財重日足姫天皇十六・高麗の使者、難波館に到着する・初めて漏剋を作る夏五月八日、高麗の使人の乙相賀取文(おつそうがすもん)等が、難波館(なに...

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ありがとうございました。


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