リートリンの覚書

日本書紀 巻第十二 去来穂別天皇 八 ・草香幡梭皇女を皇后に ・蔵職を建設 ・新しい妃と兄 ・崩御



日本書紀 巻第十二 去来穂別天皇 八

・草香幡梭皇女を皇后に
・蔵職を建設
・新しい妃と兄
・崩御



履中天皇六年、春正月六日、
草香幡梭皇女(くさかのはたびのひめみこ)
皇后に立てました。

二十九日、
始めて蔵職(くらのつかさ)を建てました。
よって蔵部(くらひとべ)を定めました。
 
二月一日、
鯽魚磯別王(ふなしわけのおおきみ)の娘、
太姫郎姫(ふとひめのいらつめ)、
高鶴郎姫(たかつるのいらつめ)を
喚(よ)びだして、
後宮に納(い)れました。

並びに嬪(みめ)としました。

この二人の嬪はいつも嘆いて、
「悲しい。
吾の兄王は、
どこに去ってしまったのでしょう」
といいました。

天皇はその嘆きを聞き、
問うて、
「汝たちは、なにを嘆息しているのだ」
といいました。

答えて、
「妾たちの兄、
鷲住王(わしすみのおおきみ)は、

人となりが力が強く、
軽捷(けいしょう)で、

これによって、
独り八尋もある屋敷を馳け越えて、
遊行してしまいました。

すでに多くの日が経っていますが、
顔をあわせて話すこともできません。
故に嘆いているのです」
といいました。

天皇は、
その強力とよろこんで、
呼び出しました。
参内しませんでした。

また使いを重ねて召しだしました。
なおも参内しませんでした。

つねに住吉邑(すみのえむら)に居ました。
これより以後は、
求めるのをやめました。

これが、
讃岐の国造、
阿波の国の脚咋別(あしくいわけ)、
すべて二族の始祖です。

三月十五日、

天皇は、
玉體不悆(おおみやまい)をしてしまい、
水土不調(やくさむ)してしまいました。

稚桜宮で崩御しました。
(時に、年は七十)

冬十月四日、
百舌鳥耳原の陵に葬りました



・軽捷(けいしょう)
身軽ですばやい
・遊行(ゆうこう)
遊び歩くこと
玉體(ぎょくたい)
天子または貴人の体。特に天皇の体を敬って言う語。
楽しむ、のびのびとする意味をもつ漢字。
・水土不調(やくさむ)
病により体が臭くなる



(感想)

履中天皇6年春1月6日、
草香幡梭皇女を皇后に立てました。

29日、
始めて蔵職を建てました。
よって蔵部を定めました。
 
2月1日、
鯽魚磯別王の娘、
太姫郎姫、高鶴郎姫を呼びだして、
後宮に召し入れました。

並びに嬪としました。

この二人の嬪はいつも嘆いて、
「悲しい。吾の兄王は、
どこに去ってしまったのでしょう」
といいました。

天皇はその嘆きを聞き、
問うて、
「お前たちは、
なにを嘆息しているのだ?」
といいました。

答えて、
「妾たちの兄の鷲住王の人となりは、
力が強く、すばやく、

これによって、
ひとり八尋もある屋を馳け越えて、
遊行してしまいました。

すでに多くの日が経っていますが、
顔をあわせて話すこともできません。
ですから嘆いているのです」
といいました。

天皇は、
その強力と聞きよろこんで召し出しましたが。
参内しませんでした。

また使いを重ねて召しだしました。
なおも参内しませんでした。

つねに住吉邑に居ました。
これより以後は、
求めるのをやめました。

これが、
讃岐の国造、
阿波の国の脚咋別、
すべて二族の始祖です。

いや〜、
天皇の呼び出しに応えないとは、

普通なら処刑されてもおかしくない。
しかし、なんの処分もされていない。
その訳は?
気になります。

3月15日、
天皇は病気になってしまい、
そのことにより体が臭くなってしまいました。

そして稚桜宮で崩御しました。
(時に、年は七十)

うーむ。
体が臭くなる病気とは、
何の病でしょうか?

それと、
天皇の享年70歳。
年齢が気になります。

いままでの歴代天皇の享年は、
仲哀天皇を除き、
だいたい100歳越えは当たり前。

履中天皇から少し流れが変わり、
寿命が短くなっていく。

身体が臭くなる病気。
寿命が短くなった。

…今までにない、
新しい病が発生した?

気になりますね。

冬10月4日、
百舌鳥耳原の陵に葬りました。

明日に続きます。

読んで頂き
ありがとうございました。


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