スペイン風邪
(1918年パンデミック)
・100年まえ流行したスペイン風邪
スペインかぜは、
1918年パンデミックともよばれ、
極めて多くの死者を出した
インフルエンザによる
パンデミックの俗称です。
1918年1月から192012月まで
世界中で5億人が感染したとされ、
これは当時の世界人口の
4分の1に相当します。
死者数は1700万人から5000万人との
推計が多く、
1億人に達した可能性もあると
指摘されるなど
人類史上最悪の感染症の1つです。
・近年の研究により、
スペインかぜは
H1N1亜型インフルエンザウイルスに
よるものと判明しています。
・地理的起源は諸説あります。
何故スペイン風邪と
呼ばれるようになったのか?
当時は、第一次世界大戦中でしたので、
士気維持のため、
病状や死亡の初期報告は
最小限に抑えられていました。
一方、中立国スペインでは、
伝染病の影響は自由に報道され、
スペインが特に大きな被害を受けたという
誤った印象を生み出しました。
ここから「スペインかぜ」という
呼称が広まりました。
スペイン風邪の特徴
ほとんどのインフルエンザの流行では、
死者が乳幼児と高齢者に偏り、
その中間年齢層の生存率が高いのですが、
スペイン風邪では、
若年層の死亡率が
他のインフルエンザと比較して高かった。
科学者たちは、
1918年のインフルエンザ大流行の
死亡率の高さについて、
いくつかの可能性のある説明を提示しています。
・ウイルスがサイトカイン放出症候群を
引き起こし強い致死性を
得ることを示しています
(サイトカインストーム)。
・スペインかぜのウイルス感染は
以前のインフルエンザ株よりも
攻撃的ではなかったことが判明しています。
その代わり、栄養失調、
過密な医療キャンプや病院、
劣悪な衛生状態が細菌性の重複感染を
促進していたとみられます。
被害者の数
世界
世界全体の推定感染者数は
世界人口の25-30%(WHO)、
または世界人口の3分の1、
または約5億人とされています。
当時の世界人口は
18億人から20億人と推定されています。
日本
日本では、
当時の人口5500万人に対し
約2380万人が感染したとされています。
・第一回流行(大正7年8月―大正8年7月)
患者 2116万8398人
死者 25万7363人(致死率2.22%)
・第二回流行(大正8年10月―大正9年7月)
患者 241万2097人
死者 12万7666人(致死率5.29%)
・第三回流行(大正9年8月―大正10年7月)
患者 22万4178人
死者 3698人(致死量1.65%)
合計
患者 2380万4673人
死者 38万8727人(致死率1.63%)
(歴史人口学的手法を用いた死亡45万人(速水、2006)という推計もあります)
(参考・東京都健康安全研究センター・スペイン風邪)
感想
100年前にもパンデミックがあった。
歴史を勉強した際、
「スペイン風邪」のことは、
知っていました。
しかし、
詳しいことは授業で触れておらず、
何処か、他人事のように思っていました。
スペイン風邪の感染拡大の理由は、
戦争が原因の一つだった。
当時、第一次世界大戦中ですから、
人々の精神的ストレスは
かなりのものだった事でしょう。
また、物資不足も関係するでしょう。
劣悪な環境の中、
人々は、苦しんだことでしょう…
医学的にも抗生物質が
開発されていなかった時代。
今回のことがなかったら、
当時の人々の痛みを知ることなく
生きていたかもしれません。
医学が発達し、
次々と、
抗生物質などの薬品が開発され、
医療機器も最新のものが作られました。
感染症とは、
過去のものと、
危機感が薄れていたところでの
世界的大流行。
まさに、
天災は忘れた頃にやって来るです。
反省です。
1918パンデミック。
日本では、
人口の半数が
スペイン風邪に感染しました。
死者も38万8727人におよんでいます。
恐ろしい数です。
しかも、流行は3年にも及びます。
素人の意見ですが、
過去から学びますと、
現在のパンデミックは
しばらく続く可能性が高いと思われます。
覚悟が必要かもしれません。
しかし、
過去と違う所があります。
医療機器の進歩。
過去から学んだ公衆衛生。
今は、
世界各国との連携ができます。
医学のプロの方々が、
必ずや治療法を
見つけてくれると信じましょう。
自粛、生活の不安、
様々ありますが、
明けない夜はないです。
頑張りましょう。