リートリンの覚書

日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 三 ・皇后を立てる ・皇后と子どもたち ・己知部の帰化 ・蝦夷や隼人の帰属 ・諸国の朝貢 ・帰化人の戸籍編成



日本書紀 巻第十九 天国排開広庭天皇 三

・皇后を立てる
・皇后と子どもたち
・己知部の帰化
・蝦夷や隼人の帰属
・諸国の朝貢
・帰化人の戸籍編成



元年正月十五日、
有司が皇后を立てるよう請いました。

詔して、
「正妃の武小廣國押盾天皇
(たけおひろくにおしたてのすめらみこと
の娘、
石姫(いしひめ)を立てて皇后にしよう」
といいました。

二男一女を生みました。

長を箭田珠勝大兄皇子
(やたのたまかつのおおえのみこ)
といいます。

仲を譯語田渟中倉太珠敷尊
(おさたのぬなくらのふとたましきのみこと)
といいます。

少を笠縫皇女
(かさぬいのひめみこ)
といいます。
(更の名は狹田毛皇女(さたけのひめみこ))

二月、
百済人、己知部(こちふ)が
投化(おのづからまける)しました。

倭国の添上郡(そふのかみのこおり)
の山村に置きました。

今の山村の己知部の先です。

三月、
蝦夷や隼人が、
並びに衆(ともから)を率いて帰属しました。

秋七月十四日、
都を倭国の磯城郡磯城嶋に遷しました。
磯城嶋金刺宮(しきしまかなさしのみや)
と号(なづ)けました。

八月、
高麗、百済、新羅、任那、
並びに使いを遣わして、献し、
みな貢職(みつぎもの)を修めました。

秦人(はたひと)、漢人(あやひと)等、
諸蕃(となりのくに)の投化した者を召して、

国郡に安置し、
戸籍(へのふみた)に編成しました。

秦人の戸数は、
七千五十三戸

大蔵掾(おおくらのふびとを、
秦伴造(はたのとものみやつこ)としました。



投化(おのづからまける)
帰化すること
倭国添上郡の山村
奈良市帯解本町辺
・衆(ともから)
仲間、一族
・諸蕃(となりのくに)
隣国



(感想)

欽明天皇元年1月15日、
有司が皇后を立てるよう請いました。

詔して、
「正妃の宣化天皇(せんかてんのう)の娘、
石姫を立てて皇后にしよう」
といいました。

石姫は、
二男一女を生みました。

長子を
箭田珠勝大兄皇子といいます。

次子を譯語田渟中倉太珠敷尊といいます。

末子を笠縫皇女といいます。
(更の名は狭田毛皇女

2月、
百済人の己知部(こちふ)が帰化しました。

倭国の添上郡山村に置きました。
今の山村の己知部の先祖です。

3月、
蝦夷や隼人が、
ともに一族を率いて帰属しました。

秋7月14日、
都を倭国の磯城郡磯城嶋に遷しました。
磯城嶋金刺宮と名づけました。

8月、
高麗、百済、新羅、任那、
皆に使者を派遣して、
献上し、
みな貢職(みつぎもの)を修めました。

秦人、漢人等、
隣国の帰化した者を召集して、

国郡に安置し、
戸籍に編成しました。

秦人の戸数は、総七千五十三戸
大蔵掾を、秦伴造としました。

明日に続きます。

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