日本書紀 巻第二十 渟中倉太珠敷天皇 二十三
・馬子、三人の尼を還付される
夏六月、
馬子宿禰(うまこのすくね)が奏して、
「臣の疾病は、
今に至っても
まだ愈(い)えることがありません。
三宝(さんぽう)の力を
蒙(こうむ)らないと、
救納(きゅうじ)するのは難しいでしょう」
といいました。
ここにおいて、
馬子宿禰に詔して、
「汝はひとりで仏法を行え。
余人(あたひと)はやめるべきだ」
といいました。
すなわち、
三尼を馬子宿禰に還付(かんぷ)しました。
馬子宿禰は、
受けとり歓悦し、
未曾有(めずらしきひと)と嘆いて、
三尼を頂礼(ちょうらい)し、
新しく精舎(てら)を営み、
迎え入れて供養しました。
(或本は云う。物部弓削守屋大連(もののべのゆげのもりやおおむらじ)、大三輪逆君(おおみわのさかふのきみ)、中臣磐余連(なかとみのいわれのむらじ)、俱(ともに)、仏法を滅ぼそうと謀り、寺塔を焼き、あわせて仏像を棄てようと思いました。馬子宿禰は、諍(あらそ)い、従わなかったと)
・三宝(さんぽう)
仏教で、仏・法・僧のこと。ここでは三尼のこと
・救納(きゅうじ)
病気などをなおして、もとのよい状態にすること
・余人(あたひと)
=よじん・ほかの人。別の人。よにん
・還付(かんぷ)
いったん所有主の移ったものを、元の所有主へかえすこと
・未曾有(めずらしきひと)
=みぞう・今まで一度もなかったこと。きわめて珍しいこと。みぞうう
・頂礼(ちょうらい)
仏教の礼法の一つ。尊者の前にひれ伏し、頭を地につけ、足元を拝する最敬礼
(感想)
(敏達天皇14年)
夏6月、
馬子宿禰が奏して、
「私の疾病は、
未だに治りません。
三尼の力を受けなければ、
病気を治し、
もとのよい状態にするのは
難しいでしょう」
といいました。
私の解釈ですが、
大臣の私の病気が治らなかったら、
天皇、困るでしょう。
だから、三人の尼ちゃんかえしてチョ
大臣の胸の内は
こんな感じでしょうか。
そこで、
馬子宿禰に詔して、
「お前ひとりで仏法を行え。
ほかの人はやめるべきだ」
といいました。
とかいいつつ、
大臣に尼ちゃんたちを
返してあげちゃいましたね。
そして、
三尼を馬子宿禰に返しました。
馬子宿禰は、
受けとり歓悦して、
珍しき人と嘆いて、
三人の尼の前にひれ伏し、
頭を地につけ、
足元を拝する最敬礼し、
新しく寺を営み、
迎え入れて労り養いました。
(或本は云う。物部弓削守屋大連、大三輪逆君、中臣磐余連は、ともに、仏法を滅ぼそうと謀り、寺塔を焼き、あわせて仏像を棄てようと思いました。馬子宿禰は、争い、従わなかったと)
この条を読みますと、
嫌な順位が形成されているなぁ
、と思いました。
ちょっと修行しただけの若い尼さんの元へ、
国の重鎮が駆け寄り、
ひれ伏し、
頭を地につけ、
足元を拝したんですよ。
大臣<若い尼<仏教
これってヤバイですよね。
しかも、
尼さんたちと蘇我氏の師匠なんて
僧を還俗した人なんですよ。
真の仏教を学び終えているとは
到底思えない。
物部氏たちが危険視するのも頷けます。
さて、
怪しい宗教にハマった大臣の運命は如何に。
マジ、この時代に伝来した仏教。
怪しすぎる。
明日に続きます。
読んでいただき
ありがとうございました。
ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。