日本書紀 巻第十七 男大迹天皇 九
・穂積臣押山を百済に派遣
・百済国、四県を請う
六年夏四月六日、
穂積臣押山(ほづみのおみおしやま)を使い
百済に遣わしました。
なお筑紫国の馬四十匹を与えました。
冬十二月、
百済が使いを遣わして、
貢調(こうちょう)しました。
別に表して、
任那国(みまな)の上哆唎(おこしたり)、
下哆唎(あろしたり)、娑陀(さだ)、
牟婁(むろ)の四県を請いました。
哆唎国守(たりのくにのみこともち)である
穂積臣押山が奏して、
「この四県は、
百済に近く連なり、
日本とは遠く隔たっています。
旦暮(たんぼ)に通い易く、
鷄犬(けいけん)を別けるのが難しいです。
今、
百済に与えて合わせて、
同じ国とするなら、
固(かたく)存する策(はかりごと)として、
これいじょうのものはありません。
然るに、
与え国を合わせても、
後世になおも危ういかもしれません。
異なった場にしておくなら、
いったい幾年
よく守ることができましょうか」
といいました。
大伴大連金村
(おおとものおおむらじかなむら)は、
具にこの言を得て、
同じ謀り事だと奏しました。
乃ち、
物部大連麁鹿火
(もののべのおおむらじあらかび)をもって、
宣勅(みことのり)する使としました。
・旦暮(たんぼ)
朝と晩。朝に夕に
・鷄犬(けいけん)
ニワトリと犬。身近な動物
(感想)
継体天皇6年夏4月6日、
穂積臣押山を使者として百済に派遣しました。
なお筑紫国の馬四十匹を与えました。
冬12月、
百済が使者を派遣して、
貢調しました。
別に表して、
任那国の上哆唎、下哆唎、婆陀、牟婁の四県、
全羅南道のほとんど全域を請いました。
哆唎国守である穂積臣押山が奏して、
「この四県は、
百済に近く、百済に連なり、
日本とは遠く隔たっています。
四県と百済とは、
朝と晩に通い易く、
行き来する鷄犬を別けるのが難しい。
今、
百済に四県を与えて、
合わせて同じ国とするなら、
堅固に存続する対策として、
これ以上のものはありません。
しかし、
たとえ与え国を合わせたとしても、
後世になおも危ういかもしれません。
ましてや、
四県と百済とを異なった場にしておいたなら、
いったい幾年、防衛できましょうか」
といいました。
大伴大連金村は、
具体的なこの言葉を聞いて、
自分も同じ謀り事だと奏しました。
乃ち、
物部大連麁鹿火を、
宣勅する使者としました。
はて?
穂積臣押山が提案した
この対策は果たして良いものなのか?
任那国の人々は、
納得するのか?
疑問ですね。
明日に続きます。
読んで頂き
ありがとうございました。
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